即位の儀式の歴史

天皇の即位に伴う儀式は、時代とともにあり方を変えながら続けられてきました。

儀式は奈良時代末期に即位した桓武(かんむ)天皇の頃から、新たな天皇が皇位の証しとして 神器(じんぎ)を受け継ぐ儀式と、即位を広く宣言する儀式とに分けて行われるようになったとみられています。

このうち天皇の位と一体のものとされている神器を受け継ぐ儀式は即位から間を置かずに行われてきました。

一方、即位を宣言する儀式は即位から一定の期間を置いて行われ、その期間は天皇によって異なりますが、即位した年か、その翌年のうちに行われる例が多かったとされています。

今回、天皇陛下は、即位した令和(2019)元年5月1日、「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」で、三種の神器のうちの剣(つるぎ)と曲玉(まがたま)を受け継ぎ、半年近くあとの10月22日、「即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀」で、即位を広く宣言されることになります。

儀式が行われる場所はその時々で移り変わってきました。

桓武天皇の即位以降、およそ1000年にわたって都が置かれた京都では、即位を宣言する儀式は、当初、「大極殿(だいごくでん)」という建物を中心に行われていました。大極殿は火災による焼失と再建を繰り返し、平安時代の終わり頃に焼失したあとは再建されなくなります。

その後、即位を宣言する儀式は大極殿の近くにあった別の建物で行われ、さらに室町時代の後期からは、現在の「京都御所(ごしょ)」にある「紫宸殿(ししんでん)」で行われるようになります。

京都御所 紫宸殿を見学する人たち 平成30(2018)年4月

明治時代に入ると首都は東京に移りましたが、大日本帝国憲法とともに定められた旧皇室典範(てんぱん)で、即位を宣言する儀式は京都で行うことが定められ、昭和天皇の代までは「紫宸殿」で儀式が行われました。

儀式のあり方や雰囲気もさまざまな変遷を経てきました。

古くから江戸時代までの長い期間、即位を宣言する儀式では、天皇や参列者が中国風の服を身につけるなど一部に中国の影響が表れていたとみられています。ところが日本が開国し、近代化の道を歩み始める頃の明治天皇の儀式では大きく雰囲気が変わります。明治天皇は平安時代から天皇の装束とされてきた「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」という日本風の装束を着用し、会場には、榊(さかき)に5色の布を垂らす神式の旗が立てられました。

黄櫨染御袍を着用された天皇陛下 令和元(2019)年5月8日

また、会場の一角には直径1メートル余りの大きな地球儀が置かれ、天皇が世界を見渡すことを表そうとしたとみられています。

そして、明治時代の終わり頃には平安時代の儀式書などを参考にしながら皇室の儀式などについて定めた「登極令(とうきょくれい)」が制定されました。大正天皇と昭和天皇の即位を宣言する儀式はこれに沿って行われ、会場には、「八咫烏(やたがらす)」や「霊鵄(れいし)」といった神話に基づく図柄が刺しゅうされたのぼり旗が並び、即位を宣言することばは、以前は「宣命使(せんみょうし)」という人物が代読していましたが、天皇みずからが読み上げる形に変わりました。

即位の大礼の正装をした昭和天皇 昭和3(1928)年11月

戦後になると旧皇室典範や登極令が廃止されて新憲法が施行され、皇室制度が現在のものに改められました。

新憲法のもとで初めて行われた上皇さまの即位に伴う儀式では、大正、昭和の儀式から、いくつかが変更されました。儀式が京都ではなく初めて東京で行われたほか、のぼり旗に使われていた神話に基づく図柄は、政教分離を定めた新憲法のもとでふさわしくないとして姿を消しました。

前回の「即位礼正殿の儀」 平成2(1990)年11月12日

今回の「即位礼正殿の儀」に向けては、政府の式典委員会などが皇室の伝統も尊重しながら平成の代替わりの際の考え方を踏襲して儀式のあり方などを決定しました。

  • 宮中三殿での儀式

  • 即位の礼をめぐる裁判

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