「争いを起こさない、とても落ち着いた少年」
「口数は少ないけれど、皆から好かれる性格」
サッカーワールドカップカタール大会で見事優勝を果たしたアルゼンチン代表のリオネル・メッシ選手の地元で住民から聞いたことばです。
今回の優勝で「神の子」と呼ばれたマラドーナさんを超えたとも言われるメッシ選手は、どんな場所で生まれ育ったのか。
その街を訪れました。
(サンパウロ支局長 木村隆介)
スーパースター・メッシ選手のふるさとは
「ロサリオの家に帰って妻と一緒にマテ茶を飲みながら、ゆっくりと優勝の喜びを味わいたいね」
劇的な優勝を飾った直後のインタビューでメッシ選手が語った「ロサリオ」。
首都ブエノスアイレスから北西におよそ300キロにあるアルゼンチン第3の都市でメッシ選手が生まれ育った場所です。
現地を訪れると、マンションや公園など、いたるところにメッシ選手の巨大な壁画が描かれ、誰に話を聞いてもことばの端々にメッシ選手への親しみや誇りを感じました。
スペインの名門・バルセロナに移籍した13歳までこの街で過ごしたメッシ選手。
マラドーナさんのように首都ブエノスアイレスでのプレー経験はなく、ロサリオがアルゼンチン国内で暮らした唯一の場所で、妻もロサリオ出身の同級生です。
メッシ選手が生まれ育った家は当時のまま残されていて、今では多くのファンが訪れる聖地となっています。
内向的でおとなしかったメッシ少年
メッシ選手がサッカーを始めて最初に入団した地元の少年サッカークラブには無数のトロフィーと共に、幼い頃のメッシ選手の写真が飾られていました。
小さいころから抜群のテクニックで注目されていたメッシ選手。
6歳から12歳まで所属した地元のチームによりますと、176試合で234ゴールを記録。一方で、当時のメッシ選手を知る人たちは口をそろえて「おとなしい子どもだった」と言います。
メッシ選手が小学5年生と6年生の時に算数を教えたアンドレア・ソサさんによりますと、メッシ選手は内向的な性格だったものの、多くの友達から慕われる存在だったということです。
ソサさん
「彼は争いを起こさない、とても落ち着いた少年でクラスメートに愛され、みんなが一緒に遊びたがる子だったのを覚えています。休み時間は校庭でサッカーをするのが大好きでした。教室になかなか戻らないので『いくら頑張ってもマラドーナにはなれないわよ』といって注意したほどです。今思えば、とんでもない間違いでした」
メッシ選手と家族ぐるみの交流があったという男性にも会うことができました。
カルロス・イバニェスさんはメッシ選手の実家の近所で雑貨屋を営んでいて、近くのグラウンドで友達と熱心にサッカーの練習をするメッシ選手の姿をよく見たと言います。
イバニェスさん
「体は小さかったですがテクニックが素晴らしかったです。口数は少なかったけれど、皆から好かれる性格でした。私たちがパーティーを開いたときには必ず来てくれましたよ。これは彼がバルセロナに行く前日に撮った写真です」
メッシ選手の活躍にロサリオ市民は熱狂
大会のMVPに選ばれたメッシ選手だけでなく、決勝で2点目のゴールを決めたディ マリア選手も、実はロサリオの出身です。
子どものころは別々のチームでライバルだったというロサリオ出身の2人が、アルゼンチン代表としてチームを36年ぶり3回目のワールドカップ優勝に導いたのです。
ロサリオ市によりますと、フランスを破って優勝を決めた日、人口およそ100万のうち70万もの市民が中心部の広場に繰り出し、アルゼンチンの優勝、そして地元のスーパースターの活躍を祝い、喜び合ったということです。
翌日の朝刊はどの新聞も一面にメッシ選手の写真を掲載し「ありがとう」「永遠の栄光だ」などといった見出しで活躍をたたえました。
故郷からのラブコールは届くのか
ワールドカップ優勝から一夜明けてNHKの取材に応じたパブロ・ハブキン市長。
見事優勝を成し遂げたメッシ選手に感謝を示すとともに、ロサリオ市民として、将来への期待も口にしました。
ロサリオ市長
「ロサリオは間違いなく世界のサッカーの中心地になりました。メッシ選手はとても若くしてこの街を去ったので、アルゼンチンのサッカーと、この街のために、またここに戻ってプレーする日が来るのを願っています」
唯一届かなかったワールドカップ優勝を手にしたメッシ選手。
「神の子」を超え伝説となったメッシ選手が故郷に戻ってプレーする。いつかそんな日がくるのではないかと地元の人たちは期待を膨らませています。