2022年12月15日
サッカーW杯 カタール 中東

俺たちはもう用なしか ワールドカップの不都合な現実

薄暗い寮の部屋の扉を開いて外に出ると、そこには荷物をまとめた大勢の仲間たちの姿がありました。

突然、突きつけられたのは、事実上の”解雇”と帰国の要請でした。目の前が真っ暗になりました。

世界中が熱狂するサッカーのワールドカップカタール大会の裏で、夜も眠れないほど苦しみ続ける外国人労働者たちがいます。

彼らを取材すると、華やかな大会には都合が悪い現実が浮かび上がってきました。

(ドバイ支局長 山尾和宏)

外国人労働者に突然、一斉帰国を強要

中東初のワールドカップ開幕まで半年を切った2022年7月。首都ドーハ中心部は、植えたばかりの芝生や木々が道路脇を美しく飾り、高層ビル群には有名選手を起用した巨大な看板が並び、大会ムードが高まっていました。

外国人労働者向けの寮

そこから、50キロほど南西の砂漠には、外国人労働者向けの寮として使われる建物が等間隔にいくつも並んでいます。

ここで、ネパール人のプニト・マハラさん(35歳)は立ち尽くしていました。

ただ夢中で、目の前で起きている信じられない光景をスマートフォンで撮影しました。

この寮で集団生活を送っていたプニトさん。騒がしい声を聞き、部屋から外に出てみると、荷物をまとめた大勢の労働者が列を作っていました。少なくとも500人から600人はいると、プニトさんには見えました。

プニトさんが撮影した動画

皆、バングラデシュやインドなど国籍は違えど、建設現場で苦楽を共にしてきた仲間たちでした。彼らは突然、帰国を迫られて、バスに乗り込むところでした。

プニトさんにも見知らぬ男性が近づいてきて、「荷物をまとめなさい。すぐに帰国しなさい」と告げました。最悪なことが起きたと、すぐに悟りました。

どれだけ待っても雇用主からは何の説明もありません。不信感と怒りとともに、まず頭に浮かんだのは、ふるさとに残してきた妻と幼い2人の息子の顔でした。

結局、手渡された航空チケットで帰るしか選択肢は残されていませんでした。わずか1年足らずの短い出稼ぎ生活となりました。

プニト・マハラさん

ふだんは、警備上の理由で、寮での撮影は厳しく制限されているのですが、気がついたら、動画を撮っていました。動画を見せれば、妻は私に起きたことをわかってくれると思ったからです。妻にこっそり電話し、帰ると伝えました。

借金をしてでも海外に稼ぎ口を求める労働者たち

2021年11月 道路拡張工事で働く外国人労働者

人口およそ290万人のカタール。ワールドカップの招致が決まった2010年以降、まるで都市を大改造するかのように、スタジアムや地下鉄の建設、道路拡張など大がかりな工事を進めてきました。

実は、カタールの国民は人口の1割程度に過ぎず、残りの9割は主に外国人労働者たちです。工事での肉体労働はアジアやアフリカからの外国人労働者が担ってきました。

「カタールに使い捨てにされた」と憤るプニトさんもそんな外国人労働者の1人です。

プニトさんたち労働者に何が起きたのか?その経緯などを調べるため、カタールからおよそ3400キロ離れた、ネパールにいるプニトさんのもとを訪ねることにしました。

首都カトマンズから山間の道を車で7時間かけて走り、ようやくたどり着くインドとの国境に近いネパール南東部のマデシ州。田園地帯の中を通る未舗装の道路を進んだ先の、土や木で作られた簡素な家が建ち並ぶ小さな集落が、プニトさんのふるさとです。

ネパール南東部マデシ州

自分や仲間たちの苦しい現状をどうにかしてほしい。プニトさんは、生活をつなぐ日雇いの仕事の合間をぬって、NHKの取材に応じてくれました。

プニトさんは、ここで兄家族などとともに14人で暮らしています。国内産業が脆弱なネパールでは、外国で働く家族からの仕送りが経済を支えています。カタールは主要な働き先の一つです。

プニトさんの集落でも、父親とプニトさんの2人の兄を含む多くの男性がカタールやサウジアラビア、それにマレーシアなど外国に働きに出ていました。

プニトさんがカタールに渡ったのは2021年9月。新型コロナウイルスの世界的な感染拡大で一度は大幅に減った外国人労働者の受け入れが増え始め、大勢のネパール人男性が目指していたといいます。

申請は殺到し、なかなか行き先が見つからないなか、プニトさんは「お金を払えば早く行けるよ」という斡旋業者の言葉に従い、業者に日本円でおよそ17万円とネパールの人にとって高額な仲介料を支払いました。

幼い息子2人を抱えるプニトさんは、病院の診察費や薬代さえも払えない状態で、一刻も早く現金が必要だったのです。

仲介料を支払うためプニトさんが頼ったのは、違法な高利貸しでした。金利は年率36%と法外でしたが、2年間、出稼ぎすれば、返済できると思っていました。融資をしてくれる銀行などなく、これしか方法がなかったのです。

なかなか支払われない給料 ささやかな抵抗

多額の借金をしてカタールの首都ドーハの空港に降り立ったプニトさん。さっそくビルの電気工事などを請け負う地元の業者と雇用契約を結びました。

プニトさんの契約書 契約期間は2年間と記載されている

契約期間は2年間。雇用主が希望すれば、再契約し、期間を延長することもできるというもので、プニトさんは期待に胸を膨らませていました。

月収は1000カタールリヤル(約3万8000円※1カタールリヤル=約38円)と、決して良い待遇とは言えませんでしたが、プニトさんにとって貴重な現金収入でした。

しかし、就労ビザの取得手続きや現場の調整に時間がかかっているなどとして、仕事はなかなか始まらず、約束の給料は支払われなかったといいます。プニトさんは不満を訴えることもできず、耐えるしかありませんでした。

プニトさんが建設に携わった建物

結局、到着から2か月余り経って、ようやく現場での仕事が始まりました。そこは、首都ドーハ中心部の高層ビルに隣接する建物の建設現場でした。カタールの休日の金曜を除いて、週6日間、朝から晩まで資材運搬などの仕事をこなしました。ワールドカップ開幕までに工事を終わらせなければならず、現場は大忙しだったといいます。

しかし、またしても、不安な出来事に直面します。いつまでたっても約束の給与が支払われないのです。

プニトさんたちが過ごした寮

このままでは仕送りどころか、自分の生活も立ちゆかなくなる。

プニトさんたち労働者は協議の結果、寮でストライキを決行したといいます。朝、現場に向かうバスの時間になっても、寮の部屋から出ないというささやかな抵抗でした。立場の弱いプニトさんたちにとって、雇用主に逆らえば、解雇や国外退去のリスクもありましたが、できるかぎりの意思表示でした。

数日後にようやく給与は支払われましたが、その後も支払いは毎月のように遅れ、最大で20日間も遅れた月もありました。そのたびにストライキをして支払いを求めなければなりませんでした。

立場の弱い外国人労働者が抗議デモ

デモが行われたとされる幹線道路

そして、2022年6月下旬、労働者たちの我慢は限界に達し、寮の外に繰り出しました。抗議デモを行おうと、寮の近くにある幹線道路に出て、車の流れをせき止めたというのです。

プラカードなどはありませんが、自分たちの不満を世の中に精一杯示そうとしました。すぐに警察が駆けつけ、戻るよう説得されました。それから2時間ほどで労働者たちは寮に戻ったといいます。

仕事を失うことが恐ろしかったプニトさんはデモに参加できませんでしたが、マデシ州で取材を続けると、デモに参加したという3人の労働者から話を聞くことができました。

3人とも、プニトさん同様に、斡旋業者に多額の費用を支払い、借金を抱えていて、背に腹は代えられなかったといいます。

デモに参加したという男性

大勢の労働者がデモに参加していました。デモが原因で、仕事を解雇されれば、借金の支払いができなくなる心配がありましたが、食べものを買うお金もない状態でした。すぐに警察が駆けつけて、話し合いをしました。給料が支払われたと聞くまで、道路を塞ぎました。

『2年契約』はどこに 待っていたのは借金地獄

この2週間ほど後、プニトさんたちは、労働環境が改善されないまま、帰国することになりました。雇用主からは何の説明もなく、デモが原因かどうかも定かではありませんが、事実上の途中解雇とみられます。

必死に働いてきて、デモにも加わっていないプニトさんには、解雇されるようなことは、身に覚えはありませんでした。

机に契約書を広げるプニトさん

「2年契約」とされていたプニトさんが交わした契約書を確認すると、雇用主に有利な内容ばかりで、会社都合での解雇やその補償などについては、記述がみられません。退職金も1年以上働かないと受け取れないと書かれており、1年も働いていないプニトさんたちは、受け取れないことになっていました。

多額の借金だけが残ったプニトさん。毎月のように、借金の取り立てに追われています。返済のめどは立たず、また外国に出稼ぎにいくことを考えています。

世界が熱狂するワールドカップについてたずねると、温厚な性格のプニトさんは怒りを込めながら次のように述べました。

ワールドカップはカタールに大きな利益をもたらしましたが、私たち労働者は苦しみ以外は得ていません。あの美しい都市は、労働者の犠牲の上に成り立ち、中身は空っぽです。そんなワールドカップに興味はありませんし、カタールにはもう二度と働きに行きたくありません。

国際社会から問題視される外国人労働者の人権

首都ドーハの1等地にあるきらびやかな高層ビル。ここの上層階を独占するように、プニトさんの契約書に記されていた、雇用主だった企業グループの表札が並びます。会社のウェブサイトによると、カタールで数多くのビルの建設に関わってきたことをアピールしています。

プニトさんの契約書に記された雇用主だった企業グループが入る高層ビル

なぜ、プニトさんたちは突然、帰国を迫られたのか。その理由を確かめようと、電話で取材を試みましたが、つながらず、経営実態はわかりませんでした。

カタールの外国人労働者の人権をめぐっては、給与支払いなど以外にもたびたび国際社会から問題視されてきました。

国際的な人権団体は、この10年間で、大会の開催準備で多くの外国人労働者が死亡し、死因の解明も尽くされていないとして、カタール政府に改善を求めています。

※この問題については、こちらの記事でも「ワールドカップ外国人労働者 相次ぐ “死因不明”」

2022年11月 ヨーロッパ議会

11月、EU=ヨーロッパ連合の議会、ヨーロッパ議会も労働者の相次ぐ死亡や不当な扱いについて、取り上げ、改善を求める決議を採択しました。

ヨーロッパ議会の場で説明するカタールの大臣

カタールの大臣はヨーロッパ議会に足を運び、「改革は進めており、改革を実行に移す取り組みも行われている。犠牲者の補償のためのしくみもあり、誰もが救済を求めることができる」などと説明しています。

NHKでは、プニトさんたちの事実上の解雇について、カタール労働省にも取材を申し込みましたが、回答は得られませんでした。

プニトさんたちのような、何の説明もないまま突然解雇され、帰国を迫られた結果、さらに困窮している労働者は大勢いると、この問題を調査する国際的な人権団体は指摘します。

アムネスティ・インターナショナル エラ・ナイト リサーチャー

帰国した労働者たちは、どこにも訴えることができないまま、多額の借金に苦しんでいます。正確な人数を把握することは難しいですが、こうした労働者はたくさんいると見られます。
カタール政府は、確かに労働者の待遇で改善も進めてきましたが、労働者が補償や救済を受ける仕組みについては不十分です。雇用主と労働者の間に、明らかな立場の差があり、多くの労働者が依然として搾取されています。

外国人労働者に支えられた大会 開催国の責任とは

大会の期間中、プニトさんが建設に携わったというドーハ中心部の建物を訪ねました。すでに完成し、日本など大会出場国の旗が並んで飾られていて、大会ムード一色の町並みに溶け込んでいました。

この風景だけを見ても、ここで働いていた労働者たちが、急に帰国を迫られ、不当ともいえる扱いを受けたことには気づきようがありません。

外国人労働者たちは、都合の良い道具ではなく、同じ人間です。一人ひとりに大切な家族がいて、それぞれの人生があることを、私たちは認識するべきだと思います。

2021年11月 道路拡張工事で働く外国人労働者

カタール政府には、労働者たちを使い捨てにしたと非難されないよう、悪質な業者を厳しく取り締まると同時に、立場の弱い労働者たちの声に真摯に耳を傾けていく必要があると思います。それが、世界的なスポーツの祭典を主催する国の責任ではないでしょうか。

それに、開催を認めた各国も、労働者の搾取を食い止めるため、具体的な対策を支援していく責任があると思います。

日本代表の活躍もあり、大きな盛り上がりを見せたワールドカップ。

ただ、この大会の開催を支えた外国人労働者たちの中には、今も苦しみ続けている人がいる現実を、私たちは受け止めなければならないと思います。

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