2022年11月15日
世界の子ども 難民 オーストラリア

生きることをあきらめる人たち 絶望が招く「あきらめ症候群」

寝たきりになり、食べ物を食べなくなり、トイレにも行かなくなる。

そして、昏睡状態になって、痩せ細っていく。

安全な地で、人として当たり前の暮らしをしたい。

そう願って祖国を離れた人たちに待ち受けていたのは、“絶望”だったのかもしれません。

(政経国際番組部ディレクター 池田亜佑、ロンドン支局記者 松崎浩子)
文中の注釈(※)は、文末にあります

子どもが自殺願望を口にする、小さな島

「診察した患者のうち、60%に自殺願望がみられ、30%が未遂を起こしました。9歳の子どもですら“自殺”を口にして、実際に未遂をしていた状況は、あまりにも恐ろしかったです」

当時の状況をこのように話すのは、ニュージーランドの精神科医、ベス・オコナーさんです。

オコナーさんは「国境なき医師団」のメンバーとして、2017年の秋から約1年にわたり、南太平洋の小さな島国ナウル共和国に滞在しました。

現地では、難民認定を求める人たちが収容される施設でメンタルヘルスケアを担当。

しかし、オコナーさんが驚いたのは、収容されていた人たちの精神状態でした。

難民認定を求める人たちの行き先は…

ナウルにあったその施設は、難民認定を求める人たちを収容する「ナウル地域処理センター(Nauru Regional Processing Centre)」という施設です。

そこで暮らしていたのは、オーストラリアでの難民認定を求めて、イラン、アフガニスタン、スリランカなどからボートで海を渡って来た人たち。

ナウルの施設に収容された人たち(2001年9月)

なぜ、オーストラリアでの難民認定を求めた人たちが、ナウルにいるのか?

その理由は、オーストラリア政府がナウルと2001年に交わした「パシフィック・ソリューション」(※1)という措置です。

オーストラリア政府は、難民認定を求める人たちが密航業者などを通じて、危険な行路で海を渡る行為を根絶することを目的に、ボートでやってきた人たちをナウルなどへ移送・収容し、そこで難民申請などの手続きを行うとしたのです。

オーストラリア政府は、移送や滞在に必要な経費を負担するだけでなく、ナウルに対して追加の開発援助も行うことを表明。

ナウルの当時の大統領も「友が我々に頼んだ。我々は友人を助けることを決めた」と述べて、運用が始まることになりました。

ナウルの施設に収容された人たち(2001年9月)

これによって、ナウルに収容されたのは、最も多いときの2014年8月には、1233人に上りました。ナウルの人口1万人余りの10%近くに上る人数でした。

プライバシーのない暮らし

オコナーさんたちが施設内に開設したクリニックを拠点に、収容された人たちへの診療を始めると、徐々に健康状態や精神状態の状況が明らかになってきました。

大人から子どもまでいた収容された人たち。診察した208人のうち75%が、施設に来る前に母国や旅の間で、何らかの精神的な苦痛を受けていたといいます。ナウルに到着したあとで、身体的な暴力を受けていた人もいたということです。

ナウルの施設で診察する医師団のメンバー

また、診察した人たちの約6割に中度から重度のうつ症状が見られ、心理的な安全を感じることができる環境が必要だったといいます。

しかし、収容された人たちは名前ではなく”番号”で呼ばれ、施設内では狭い場所に密集し、プライバシーのない状態だったということです。

長い人では4年以上も、そうした状況で暮らしている人もいたそうです。

収容された人たちは難民申請が認められれば、オーストラリアなどで暮らすことになっていましたが、いつ認められて施設を出られるのか、基準も明らかになっていなかったともいいます。

自殺を考え、生きることをあきらめる人たち

オコナーさんたちがヒアリングする中で特に驚いたのが、収容された人たちの多くに自殺願望がみられたことでした。

6割の人たちに自殺願望がみられ、3割が実際に未遂を起こしていたのだといいます。自殺未遂を起こした人の中には9歳の子どももいたということです。

妻がうつで食事・睡眠もとれないというイランから逃れてきた男性

オコナーさんたちは、自分の人生を自分で決めることが許されず、毎日が単調に過ぎていく中で、将来に絶望した人たちが、そうした願望を抱いてしまったと考えました。

さらに精神状態が悪化した子どもや大人の中には、ある症状が現れていたとオコナーさんは話しました。

それは「あきらめ症候群(生存放棄症候群)」と呼ばれるものでした。

オコナーさんたちが現地で活動中「あきらめ症候群」の症状が出たのは、10人の子どもと2人の大人だったといいます。

当時の収容施設内の様子

ある子どもは、時間がたつにつれて引きこもるようになり、その後寝たきりになって食事もとらなくなったそうです。話しかけても言葉を返さず、寝ている場所で失禁するようにもなったといいます。

昏睡状態になり、鼻からチューブを入れて胃に直接栄養を送る必要がありましたが、高度な医療を行う設備がなかったことから、法廷に訴えることで、なんとかオーストラリアの病院に移送することができたということです。

あきらめ症候群は、過去にも

体に特段の不調がみられないにも関わらず、眠ったような状態が何年も続くとされる「あきらめ症候群」。

20年ほど前から、難民認定を求めて旧ユーゴスラビアのコソボなどからスウェーデンに逃れてきた家族の子どもたちの間で数多く報告されています。

詳しい原因は分かっていませんが、心の傷を抱えた人が、何年にもわたり先の見えない状況に置かれることで、生きることをあきらめたような状態になると考えられています。

診察結果をナウル政府に報告するオコナー医師

オコナーさんたちは状況を改善しようと活動を続けましたが、2018年10月にナウル政府から国境なき医師団に対して「もう支援は必要ない」として突然24時間以内の国外退去が命じられ、活動を終了せざるを得なくなりました。

その後は現地の人たちと連絡をとることも禁じられ、「あきらめ症候群」の症状がみられた子どもや大人たちがどうなったのか、知ることができないのだといいます。

オコナーさんは、オーストラリア政府は、難民や難民認定を求める人たちの精神面での安全を保障する必要があるとしています。

ベス・オコナー医師

「『あきらめ症候群』になった人たちは、回復するまでにかなりの時間がかかることもわかっています。難民や難民認定を求める人たちは、精神的に安全な場所にいる必要があるのです。国外に拘束し続けることは、こうした人たちの精神状態に大きな悪影響を及ぼすのです」

移送措置に相次ぐ批判

難民認定を求める人を第三国に移送する「パシフィック・ソリューション」に対しては、人道上の観点からオーストラリア政府に対する批判があとを絶ちませんでした。

オーストラリア議会は、報告書の中で収容されている人たちのメンタルヘルスへの影響、長期間の拘留などに対する懸念をまとめたほか、オーストラリアの難民支援団体や国際協力機関は、メンタルヘルスへの深刻な影響や自傷行為などのケースを報告しました。

こうした批判が相次いだことなどから、施設は2008年に一時閉鎖。

その際、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は「正真正銘の難民たちが、長期間の孤独や精神的困難、将来の不確かさ、家族との長期的な離別を強制された」としてこの措置を批判しました。(しかし、2012年ナウルへの移送は再開される)

同様の政策を進めようとする国はほかにも

しかし、オーストラリアと同様の政策を実施しようとしている国があります。

イギリスです。

2022年4月、イギリス政府は、難民として保護を求める人たちを、どこの国から来たかに関わらず、東アフリカのルワンダに移送すると発表。対象は2022年1月以降に、ボートやトラックの荷台などに乗ってイギリスに到着した人としました。

この政策の背景にあるのは、増加するイギリスでの難民申請を希望する人たちです。

ゴムボートや小型船で入国しようとする人の数は2021年に約2万8000人で、イギリス国防省によると、2022年は6月の時点で1万人を超え、10月末までに約4万人が到着したとしていて、2021年より大幅に増加しています。

また、国防省は2022年8月に、ボートでドーバー海峡を渡って入国しようとした人が、現在の統計を取り始めて以来、1日で最も多い1295人に上ったと発表しました。

その多くは、イラン、イラク、エリトリア、シリアなどの出身で、密航業者に大金を払ったものの途中でボートが転覆して亡くなる人はあとを絶ちません。

イギリス政府は、ルワンダに移送する政策によって「密航業者による悲惨な取り引きにより多くの命が海で失われる現状を終わらせる」(ジョンソン元首相)などとしています。

また、他国に移送する政策に対して人道上の懸念が指摘されていることについては「ルワンダは、世界で最も安全な国の1つで、移民の受け入れと社会的な統合に関し世界的に認められている」と反論しました(※2)。

そして、ルワンダ政府に1億2000万ポンド(日本円で約197億円)の資金援助をし、ルワンダ政府が移送された人の難民申請手続き、5年の間生活する場所の提供、職業訓練などを行うとしました。

援助金額は当初よりさらに増えていると伝えられています。
・為替レートは11月14日時点 1ポンド=164円

イギリスは、ルワンダへ移送する第1便を6月14日に出発させることを決めましたが、約160の人権団体などから「非人道的だ」として非難が殺到。

出発の前日、13日には、ロンドン中心部にあるイギリス内務省の前で、300人規模の抗議デモも起きました。

そして、第1便が出発する予定の14日。ヨーロッパ人権裁判所が移送を差し止めるべきだと判断を示し、離陸直前になって、移送は延期されました。

「私たちは“心”を持っている」

イギリスで難民認定を求めている人たちも、政府の計画に強い懸念を示しています。

そのうちの1人、キャミル・エリルマズさんです。トルコ出身のクルド人で、イギリス内務省前で行われた移送に抗議するデモにも参加しました。

キャミル・エリルマズさん

エリルマズさんは2019年に政治的な弾圧から逃れるためにイギリスにやってきたため、今回の計画でルワンダに移送される対象ではありません。

それでも、祖国に家族や友人を残し、築いてきたキャリアも投げうって、身を切るような思いでイギリスに亡命することを決断したエリルマズさんにとって、イギリス政府の決定は、大きなショックでした。

「難民認定を求める人たちは、すでに大きな精神的な苦痛を経験している上に、ルワンダに送られれば、2度目の精神的な苦痛を受けることになるでしょう。うつ病になるかもしれないし、自殺をするかもしれない。人は、鉄でも、石でも、機械でもないのです。私たちは、心を持っているのです」

「大本の原因を断ち切る必要」

国際政治が専門で、移民・難民問題に詳しい上智大学の岡部みどり教授に話を聞くと、オーストラリアやイギリスのように、強制的な移送によって、難民や移民の移動をコントロールしようという動きは、1990年代からあるのだといいます。

背景には、移民や難民を利用する密航業者の問題が深刻化している状況があります。2018年に発表された国連の報告によりますと、密航業者のネットワークは、闇ビジネスで年間55億ドル~70億ドル(日本円で約7600億円~約9700億円)の利益を得ていると推計されるとしています。
・為替レートは11月14日時点 1ドル=139円

密航業者は麻薬や武器の密輸のために使うルートを利用して、移民や難民に法外な借金を背負わせ、移送。借金を返済させるために、性的な搾取、労働、犯罪行為を強制するケースも報告されているということです。

岡部教授によると、イギリス政府は、移送政策によって、こうした問題を抑止できるとしているのです。

デンマークでも、2022年9月9日、イギリスと同じような協定をルワンダと結んだことが明らかとなりました。

岡部教授は、イギリスの移送政策は、難民問題を人道支援という観点のみから取り組むことへの限界が出てきている中で打ち出されたものだとした上で、実際に実行された場合の、国際社会への影響を懸念しています。

上智大学 岡部みどり教授

「世界の大国であるイギリスが、計画を遂行すれば、ほかの国にとっても1つの『正当性の根拠』として受け止められる可能性があります。しかし、難民問題は、本来、その根本にある紛争、破綻国家、貧困などに、国際社会が協力して取り組む必要がある課題です。今の国際社会、特に先進国が、大本の原因を断ち切るという方向に向かって積極的に動いているようには見えません。本来であれば、私たちはそちらにメスを入れる必要があるのではないでしょうか」

難民認定を求める人たちの将来に待ち受けているのは

難民認定を求める人たちを移送してきたオーストラリア政府は、2021年9月、ナウル政府と「永続的な施設の維持を構築する」とする覚え書きを交わしました。

その際、オーストラリア政府は「不法な入国者を阻止し、密航業者などのビジネスを駆逐する」ことを理由として強調しました。

一方で、施設には2021年9月の時点で、107人が生活をしていますが、どんな環境で暮らしているのか、詳細はわかっていません。

また、イギリス政府は、準備が整い次第、ルワンダに第1便を送るとして、計画を実行する姿勢を変えていません。

物が交換されるように、国と国との間で、人が移送される。「心を持っている人」として扱われなければ、その人たちの将来に待ち受けているのは、絶望だけなのかもしれません。

注釈

※1 パシフィック・ソリューション
2001年8月、オーストラリア政府は、400人以上の難民認定を求める人たち(多くはアフガニスタン人)を乗せた船が国内の港に入ることを拒否。乗船者の健康状態が悪化する中、オーストラリア政府は、ナウルとニュージーランドに移送することを決定した。船の名前にちなんで「タンパ号事件」として知られている。

これを機に、オーストラリアは、難民申請を求める人たちを上陸させず、他国で難民審査を行うため、2001年9月にナウルと、翌10月にパプアニューギニアと協定を結んだ。オーストラリアのこの措置は「パシフィック・ソリューション」と呼ばれるようになった。

こうした政策の導入について、当時のオーストラリア政府は、「オーストラリアは寛容で開かれた国であり、世界でも最も多くの難民を受け入れている国の1つである」とした上で、「私たちには誰が、そしてどのように来るのかを決める権利がある」と主張した。

「パシフィック・ソリューション」では、国際移民機関(IOM)がナウルとパプアニューギニアにおける施設の運営を担い、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)も初期の一部の難民審査に関わるが、その審査体制の透明性や施設の環境・人々の管理体制について、人道上の観点からUNHCRを含む国内外からの懸念や批判が絶えず、2008年に一度は解体された。

しかし、施設の閉鎖後、再び海からの不法入国者が急増したことで、2012年9月からナウル共和国への移送、2012年11月からパプアニューギニアへの移送を再開。これに対して再び批判が高まり、パプアニューギニアの施設は2016年4月にパプアニューギニアの最高裁判所から「違憲状態にある」との判決が出される。2017年6月にはオーストラリア政府もこれを認めて収容された人に対して慰謝料を払うことを発表。施設は2021年末に完全に閉鎖された。一方、ナウルとは、2021年9月「永続的な施設の維持を構築する」とする覚え書きを交わした。

※2 ルワンダへの移送
イギリス政府は「ルワンダは世界で最も安全な国の1つだ」と主張しているが、2021年1月イギリスの外務省は、ルワンダについて、公民権などが制限されていることに懸念を示し次の点などを勧告した。

「拘留中の死亡、強制的な連行、拷問があったとの申し立てについては、透明性のある独立した調査を実施、裁判を求める。また、人身売買の被害者に支援を提供するよう求める」

しかしその半年後イギリス政府は、ルワンダで独立した調査が実施されなかったほか、人身売買の被害者を支援しなかったとして、「失望し、遺憾に思う」などと声明を出している。

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