障害のある子どもたちに夢や希望を与えられたら

内田峻介

ボッチャ #やっぱ好きだなぁ

パラスポーツの球技、ボッチャ。
いま、一躍脚光を浴びているのが20歳の内田峻介だ。

去年12月、日本選手として初めて世界選手権を制し、1月は日本選手権の脳性まひ以外の障害のクラスで大会連覇を果たした。

ボッチャは脳性まひなど、重い障害がある人のために考案された競技で、赤と青のボールを投げ合って白い的球にどれだけ多く近づけられるかを競う。

内田は生まれたときから両手足に障害があり、幼いころから水泳や陸上など大好きなスポーツに取り組んでパラリンピック出場を夢見てきた。

そんな内田が、中学2年生の時に出会ったのがボッチャだった。
すぐその魅力に取りつかれ、始めて1か月ほどで地方大会で3位に入った。
大きな手応えを感じたという。

「やっていくうちにボールを単に近づけるだけのスポーツではなくて、押したりはじいたりさまざまな戦略があって、最後の一球まで本当に勝敗がわからないスポーツだというのに気づいて、どんどんのめり込んでいった」

そんな内田が悔しい経験をしたというのが、おととし、19歳で迎えた東京パラリンピック。内田は、あと一歩のところで日本代表を逃した。

パラリンピックの開会式では、聖火台に火をともす最終ランナーの大役を担ったが複雑な思いを抱えながら臨んでいた。

「やはり選手として出場したかったという気持ちが大きかったので、そこは本当に悔しい気持ちでいっぱいでもあった」

さらなる成長を求め、内田は新たな環境に飛び込んだ。
そこは、健常者と障害者がともにスポーツに取り組む大阪体育大学のアダプテッド・スポーツ部。中学3年生の時から指導を受ける東京パラリンピック、ボッチャ日本代表の曽根裕二コーチがチームを指導しているうえ、健常者と練習を積むことができる。

「健常者の学生は本当にパワーがある。そういった中で練習して、どうしたらボールがはじかれないかとか、どうやったら相手が嫌がるかというのを常に考えないといけない」

健常者と対戦することで、負けることも増えた。
内田は元来、負けず嫌いな性格だ。

「負けたら本当に悔しいし、健常者の学生が勝ったら『日本代表に勝った』みたいな感じで言われるので、より悔しい気持ちでいっぱいになる。そういったことで切磋琢磨(せっさたくま)して成長できたかと思う」

心に火がついた内田は、1日100球以上を投げ込んだ。
そして、同じ障害のクラスのライバルたちを上回るパワーと、より精度の高いコントロールを身につけた。

「肩周りが強化されたことでよりボールが密集した状況でもボールをはじくことが前よりできるようになったかと思っているので、それが強くなった1つの要因かと思っている」

実は、内田が大阪体育大学の教育学部に進学したのには、もう1つ理由がある。

「障害のある子どもたちに夢や希望を与えられたらと思っている。自分と同じような障害のある子どもたちの夢を後押しできるような特別支援学校の教員になりたいという気持ちもあった。アスリートとして結果を残すことでこういう選手になりたいとか、ボッチャを始めたいという子どもたちもいると思うので、プレーでそういったことを思ってもらえるようになりたいと思っている」

ボッチャの球の大きさは直径10センチにも満たず、重さは300グラム以下。内田は、その小さな球に大きな夢を託している。

「これから出場する国際大会でしっかり結果を出していって、パリパラリンピック出場、メダル獲得に向けて、よりいっそう練習を積んでいきたい」

ボッチャ #やっぱ好きだなぁ