自分は土俵で戦って父は上から見守ってくれる。父と一緒に戦う

朝乃山

大相撲 #苦しいとき

朝乃山には忘れられない光景がある。

新型コロナ対策のガイドライン違反などで受けた6場所出場停止の処分から復帰した令和4年名古屋場所の2日目。大関から三段目に番付を落とし、復帰最初の一番で土俵に向かって花道を歩んだ際、館内から大きな拍手が沸いた。

「コロナ禍で声援はできないが、拍手だけでもすごくありがたかった。まだ応援されているんだと実感がわいたし、もう1回、期待に応えて頑張ろうという気持ちになった」

しかし、復帰戦をいちばん待ち望んでいた人に見てもらうことはかなわなかった。
朝乃山の父・靖さん。

地元の富山から応援にたびたび駆けつけ、息子が幕内で初優勝した時や大関に昇進したときは隣で喜びを分かち合った。
不祥事を起こしたあとも支え続けてくれた最愛の父が出場停止期間中の令和3年8月、突然、心臓の病気で倒れ、帰らぬ人となった。
朝乃山は自分の不祥事が父の死に影響したのではないかとみずからを責め続けた。

「不祥事を起こして苦労をかけて亡くなってしまったのかなと自分を追い込んだ時期があった。すごく悔いが残った」

失意の中で支えになったのは、かつての兄弟子で今の師匠、元関脇・朝赤龍の高砂親方だった。

「親のためにも、もう1回頑張ろう」
そう言われて前を向くことができた。

そして改めたのが「しこ名」だった。
かつて新十両に昇進した際、朝乃山は高校時代の恩師の名前をもらって「英樹」と改名していた。
しかし、父は本当は本名の「広暉」を名乗ってほしかったのだと亡くなったあとに母から聞いて知った。

「心が広く大きく育つように」と父が付けてくれた名前。
処分明けの復帰戦から「朝乃山 広暉」として土俵に立った。

「いちばん復帰戦を楽しみにしていたのは父。復帰戦を見届けられられず悔しいだろうし、自分も悔しかった。自分は本土俵で戦って、父は上から見守ってくれると思うので一緒に戦う気持ちでつけた」

父とともに再び上を目指すことを決めた朝乃山。
大関経験者として「勝って当たり前」という重圧と戦いながら得意の右四つ左上手の相撲で白星を重ねた。

復帰場所は三段目で優勝。
幕下では優勝はできなかったものの、2場所連続で6勝1敗の成績を残し、初場所で十両に返り咲いた。

幕内復帰に向けて正念場となる十両の土俵。前にいたときとは顔ぶれが変わり、力のある若手が増えた。

「若い子には負けていられない」
ことし29歳を迎える朝乃山は場所前は連日、20番以上、地道に稽古を積み、得意の右四つの形に磨きをかけてきた。

幕内、そして大関復帰へ実力が試されるこの1年。
「朝乃山 広暉」として父とともに歩みを進めていく。

「十両はまだまだ通過点。一歩ずつ確実に少しずつ上を目指していきたいし、自分の中では、もとにいた番付(大関)を目指していきたい。たぶん父からは十両で満足してはいけないから、もっと上を目指しなさいと言われると思う。また頑張るので見守っていてほしい」

大相撲 #苦しいとき