山あり谷ありだったが僕だからこそやってこられた

長谷川勇也

野球

プロ野球、ソフトバンクで「打撃職人」という言葉が最も似合うのが、長谷川勇也だった。2021年シーズンかぎりで現役を引退する長谷川が歩んだプロの15年間は、決して平たんな道ではなかった。

長谷川は専修大を経て、ドラフト5巡目で入団。3年目にはレギュラーに定着し打率3割1分2厘の成績を残した。2013年シーズンには打率3割4分1厘、198本のヒットを打って首位打者と最多安打のタイトルを獲得した。

「順風満帆」と思った矢先、あるプレーが野球人生を大きく変えた。タイトル獲得の翌年、2014年9月だった。ホームに突入した際に右足首を痛め、その後、2回の手術を受けた。

「最初は『なんでこうなってしまったんだろう』とか『なんでうまくいかないんだろう』と考えることもあったが、こればっかりはしょうがないと思うようにした。しっかり向き合って、この体に、この足に合わせたバッティングを作り上げていく、そういうことを考えた」

ここ5年、出場機会は減ったが、足首に負担がかからないフォームを追い求め、勝負強いバッティングで主に代打の切り札として戦力となってきた。その一方で、けがが完治することはなく、足の状態は年を重ねるごとに限界に近づいていた。
2021年春のキャンプ初日。異変を感じた。

「足がロックして歩けなくなった。そのときは自分で治せたが、ちょっとおかしいなという感じはしていた」

シーズンに入っても足の違和感は取れず、交流戦の頃には強い痛みを感じるようになったという。さらに8月下旬から14打席ノーヒットと不振が続き10月2日、1軍の出場選手登録を抹消された。

「感覚と体のズレに大きなギャップを感じていた」

長谷川は、解決策を見いだそうともがき続けた。

「ズレを何とかしようと試行錯誤した。『きょうはこれどうだ、ダメか』『明日はこれだ、ダメか』『これだったらいけるだろう、それもダメか』と日々打ちのめされた。そして今の体の状況でできることがなくなってしまった」

プレーでファンに喜んでもらいたいという信念を持つ長谷川。「できることがなくなってしまった」という心境になったとき、バットを置くという結論に至った。

最後まで全力で取り組んだからこそ引退会見ではこう言い切った。

「山あり谷ありだったが僕だからこそやってこられた。悔いなくユニフォームを脱げる」

タイトル獲得の年に打ったヒットは198本。惜しくも届かなかったシーズン200本安打は、両リーグを通じてこれまで7人しかいない。

今後について長谷川は、「200本を打つような選手と関わりたい」と話した。
打撃職人が自身を超える「200本」の選手を育ててくれるのか、将来、指導者としてユニフォームに袖を通す姿が今から楽しみだ。

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