
複雑な思いが、僕を奮い立たせてくれる
明るさがとりえの1つだ。練習でも試合でも、演技の直前でさえもいつも笑顔を忘れない。小さい頃からの夢は2つ上の兄の航とともに東京オリンピックに出場することだった。
「お兄ちゃんと東京オリンピックに出て、金メダルをとりたい」
谷川翔がオリンピック代表候補に名乗りを上げたのは、3年前の全日本選手権。当時、19歳だった谷川は手足の先まで伸びた美しく、安定した演技を披露。大会11連覇を狙っていた内村航平を破り、史上最年少で日本一に輝いた。

「世界を目指して努力する。東京オリンピックで活躍できるようにこれからどんどん結果を残したい」
谷川は、翌年の全日本選手権で2連覇を達成すると、NHK杯で初優勝を果たし、名実ともに東京大会のエース候補に名を連ねた。
「最強になる」
勢いに乗る谷川は、大きな目標を口にした。しかし、オリンピックが延期になった後の2020年12月。つり輪の練習中に肩を痛めた。1か月以上、練習ができず、焦りばかりが募った。
「間に合わないかもしれない」
練習ができるようになってからは、本来の演技を取り戻そうとするあまり、手首なども痛めた。オリンピックの代表選考会となる2021年4月の全日本選手権を直前に、演技は本来の50%も戻っていなかった。

一時は諦めかけたが、ほんの少しのチャンスを信じて代表選考会に臨んだ。
「ただただ、耐えた」
全日本選手権は18位。翌月のNHK杯も順位は上げられなかった。それでも笑顔を忘れず、少しでもいい演技を取り戻せるように練習を続けた。
最後の代表選考会となった6月の全日本種目別選手権。ここでも納得のいく演技はできず、代表は逃したが、最後の種目を終えた後も、持ち前の笑顔は失わなかった。競技の後、東京オリンピックの代表に内定した選手たちがステージに上がり、インタビューでオリンピックへの意気込みを語った。その話を聞いて谷川は小さく拍手をすると、ロッカールームに戻った。現実が急に谷川を襲い、涙が込み上げ、止まらなくなった。ほどなくして誰かに肩をたたかれた。
「また、頑張ろう」
代表内定を決めた兄の航だった。
「絶対に金メダルをとって」
谷川は涙を止めることなく願いを託し、兄は、うなづいた。気持ちを落ち着けた後、谷川はオリンピック代表をかけた戦いを振り返った。

「体が思うように動かなくて一度は諦めかけた、このオリンピックは無理だって。でも、最後まで諦めなくて良かった。悔しいと思えたから」
「お兄ちゃんだけでも出てほしいと思っていたのでいい演技をして金メダルをとってほしい。僕がいないメンバーで金メダルを取ることには少し複雑な思いがあるけれど、それがまた僕を奮い立たせてくれると思う」
まだ22歳。悔しさを糧に、3年後のパリオリンピックを見据える。