岩元美智彦さん 服から服へ “完全循環”への挑戦

古着を回収して新品の繊維に戻し、再び服にする”完全循環”の技術を実現した「日本環境設計」の岩元美智彦会長。いま国内外のアパレルメーカーが、この技術で服のリサイクルを進めています。循環型社会を追求する岩元会長の思いを聞きました。

服から服へ「何回でも化学的にリサイクル」

岩元会長の会社の福岡県北九州市にある工場では、全国から集まってきた服を選別し、ポリエステル100%の服を繊維の原料に戻しています。

まず服を特殊な液体に浸し、熱と圧力を加えて分子レベルにまで化学的に分解します。この過程で染料や不純物などを独自の技術で取り除き、「PET樹脂」と呼ばれる服の原料をつくります。新品と変わらない品質の真っ白な樹脂です。

これを再び糸にしてアパレルメーカーが原料に使うことで、服から服への完全循環が実現します。

日本環境設計 岩元美智彦会長

「(今までのリサイクルは)1回か、よくて2回ぐらいで、最後は物が劣化するので燃やす。これは循環じゃないなと思いました。『化学的にリサイクルする』。ここがうちの肝です」

「分子レベルで分解していくと物が劣化しない。リサイクルは10回でも100回でも1000回でもできる。半永久的に(服から服へ)何回もリサイクルできる。これは“究極”(のリサイクル)と言われます。(焼却処分で出る)CO2も減るし、新たな資源を使わなくで済むということで、いいことばかり。それに向かってやりたかった」

同じ思いの人をつなげて「循環の輪」実現

岩元さんは15年前、大学で化学を学んできた高尾正樹さん(現在の社長)と共に起業しました。

「『容器包装リサイクル法』が1995年にできて、家庭でペットボトルや紙の分別をして循環型社会にもっていこうというのが最初でした。まだ若かったけれど、ペットボトルが服になるとか再びペットボトルの一部になるとかの中で、『服から服にリサイクルして』というニーズが増えてきました。一生懸命いろんな会社に行ったり調べたりすると、国内外に再生技術がなかった。『そうしたら、やっちゃえ』って会社をつくったのが42歳の時でした」

しかし当初、周囲の反応は冷ややかだったと言います。

「小さな2人の会社だったので、『おまえ熱でもあるんじゃないか』『どうしたんだ』とか結構言われていました。『そういう事例、国内外であるのか?』『そんなことできっこない』とか、ずっと言われていました」

「ケミカル技術のリサイクル技術は世界になかったから、どこもプラントを請け負ってくれません。自分たちで設計して、国内外にパーツを発注し、ないものは自分たちで作って、組み立てて、システムを組んで、技術課題を解決して。それを1年以上繰り返しました」

それでも完全循環の意義を訴え続けることで、徐々に協力してくれる投資家やアパレルメーカーが増えていきました。

「最初は1人だと思っていました。ただそれが意外と、企業に行ったり技術を探しに行ったりすると、『俺も思っていた』『私も』という人が多くて。そうしたら『みんなでやろうぜ』ということになりました。私は、思いを持っている人たちを探していただけでした。それがつながっていって、本当にすてきな循環型社会の輪が今できだしました」

「協力体制ができて回収拠点ができたり、技術ができたり、製品ができたりして、今(リサイクルの輪が)ぐるぐる回るようになってきました。一緒の思いの人を見つけてつなげていけたというのが成功の要因ではなかったかと思います」

「消費者の行動変容が大事」

リサイクルに参加している企業は、大手アパレルメーカーなど100を超えるまでになりました。全国2000か所の拠点にハチのマークの回収ボックスを設置して、服の回収を進めています。

「リサイクルという言葉はありましたが、消費者がどう参加していいか分かりませんでした。消費者に『いちばんリサイクルしたい場所はどこか』アンケートをとると『買った店』と答える。そのデータを各店に説明して、それを実現させようと少しずつ増えて、今相当な数の会社が参加してもらっている」

リサイクルを広げるためには、消費者の意識が変化することが欠かせないと岩元さんは考えています。

「消費者の行動変容が大事です。服だけ1年に1回、2年に1回リサイクルをする。これも大事ですが、行動変容になりません。文化とか習慣にならないからです。だから、おもちゃとか文具とか携帯とか眼鏡とか、そういう業界の人たちにもお願いして回収ボックスを広げていく。きょうは眼鏡、3か月後におもちゃ、半年後にファッションとリサイクルに参加すると“自分事”になるんじゃないか。そういう話を店にしながら、どんどん回収拠点を増やしていきました。そうするといろんな商品の回収点数が増えていく。どんどん“自分事”になってきたと思います」

「10数年前に回収拠点といったら役所しかありませんでした。今、本当にお店に広がって、人がこんなに動いてくれたというのは本当にうれしい」

海外への事業展開も視野

岩元さんは服に続いてペットボトルの完全循環を目指し、2021年、新たな工場を稼働させました。海外にもこの技術を広げていくのが2022年の目標です。

「『循環型社会はできない』とみんな思っていました。しかし成功事例が1つできると、『できるじゃん』と思うと思いました。回収し、技術開発をし、工場をつくり、原材料をつくり、生地を作り、服を作って、着てもらってまたリサイクル。『ほらできるじゃん、循環型社会』というのを表現したかったんです。そうなるだろうと思って、まず自分ですべてをやってみる。それがよかったのかなと思います」

「リサイクルはもうからないとか、補助金があって動くものだとみんな思っています。そうじゃないよと。ちゃんと技術と仕組みがあると、ちゃんと回るんだと。経済も環境も両立できることを示したかったんです」

「今は手応えを感じています。日本政府が2050年までにカーボン実質ゼロを目指すことを発信しました。日本の民間企業から『一緒に循環型社会をつくろう』『リサイクルできる商品を開発したい』、そういう話がいっぱい来るようになりました」

世界中で環境への意識がこれまでになく高まる中で、循環の輪をさらに広げていきたいと考えています。

「日本も世界も、今うちができたおかげで『やっぱりケミカルだ、リサイクルはケミカルだ』と言っていただいて、本当に今いろんな会社が研究開発をしているので、地球はいい方向に向いていくと思います」

「今国内だけじゃなくて海外からの問い合わせがすごく多いです。循環型社会が今、ギューっとすごいスピードで世界が動いているな、と感じています」

「グローバルでこの技術を展開していって、地球基準の循環型社会を構築したいと思っています。うち(の技術)がないと循環できないんじゃないか。それぐらいのプライドを持って事業を進めていきたいと思っています」

リサイクルには手間がかかる分、原料のコストは石油から新しくつくるよりもやや割高です。しかし石油の消費を減らし、CO2の排出も抑える再生原料を求めるアパレルメーカーが増えています。岩元会長は工場に集まってくるたくさんの服を見ながら、企業の本気度と消費者の意識が変わり、ついに追い風が吹いてきたと、時代の変化に手応えを感じていました。

(経済番組 島崎文雄ディレクター)

【2022年5月2日放送、初回放送2022年1月5日】