2019年06月21日
(聞き手:勝島杏奈 田嶋あいか)
両国が譲らず報復合戦となってきた「米中貿易摩擦」。トランプ大統領の外交政策に向き合わなくてはならないのは、日本も例外ではありません。この4月から日本は、アメリカとの新たな貿易協定の締結に向けた交渉を開始。次期大統領選に立候補を表明したトランプ大統領にどう向き合うの…?大事なポイントを1からまとめて聞きました。
解説してくださったのは、経済担当の神子田章博解説委員。経済部の記者時代は自動車業界を担当、ワシントンや北京の特派員も歴任されています。
日米の貿易交渉、鍵を握る人物はやはりアメリカのトランプ大統領ですか。
そうですね、トランプ大統領だと思います。というのも、この日米貿易交渉が始まったきっかけがそもそもトランプ大統領なんですよ。
どういうことですか?
トランプ大統領は、アメリカが日本との間に巨額の貿易赤字を抱えていることを非常に問題視しているんです。
貿易赤字というのは、アメリカから日本に少ししか輸出できていないのに、日本から物をたくさん輸入しないといけない状態が続いていること。
アメリカに日本製品が入ってくればくるほどアメリカの物が売れなくなり、それをアメリカ国内で作る人の仕事がなくなってしまうということなんだよね。
なるほど。
トランプ大統領は、選挙戦の時から、そういう人たちの仕事を守るんだと言っていましたから、とにかく日本からの輸入を減らして、輸出を増やすということに熱心なんです。
貿易赤字の問題を抱えているのは日本だけじゃないと思うんですけど、なぜ今回は日本が標的なのですか?
日本に対する貿易赤字は去年(2018年)676億ドルと、中国、メキシコ、ドイツに続き4番目の大きさなんだよね。だから少しでも解消したい。
あとね、トランプ大統領はこういうことをいろんな国に対してやっているんですよ。
同じようなことを?
そう。よくニュースになっている米中の貿易交渉もあるでしょう。あとは、NAFTA=北米自由貿易協定というのがあるんだけど、メキシコやカナダからの輸入が多いことを問題視してこのNAFTAも見直しました。
トランプ大統領って、※TPP(環太平洋パートナーシップ協定)からも離脱したり、やることが大胆というか、アメリカは変わったなという印象があります。前のオバマ大統領との違いは?
TPP…環太平洋地域による経済連携協定(EPA)。輸出入の際にかかる関税を段階的に引き下げ、自由貿易を推進する。
オバマさんは「世界各国と協力してやっていこう」という立場だったんですよね。で、トランプさんは「アメリカにとって良いことを実現するためには手段を選ばない」という立場。
たとえば地球温暖化防止対策とか、各国と協調してやってきたこともアメリカの経済にとって良くないとトランプさんが判断したらやめてしまうし。
ほかの国を敵にまわしてもですか?
そう。敵にまわしても、批判をあびてもですね。
自分の国が良ければいいという…。
そうですね。国際協調かアメリカ第一主義かというところがオバマさんとトランプさんは大きく違いますね。
貿易に関しては、どう変わったのでしょうか?
そうですね、たとえばある国の貿易のやり方に不満があるとする。そういう場合、普通は※WTO(世界貿易機関)に訴えるんですけど、トランプさんは、その国から入ってくる輸入品の※関税を上乗せしたりして、自分で勝手に制裁をかける。
WTO(世界貿易機関)…国際貿易のルールを協議する機関。自由貿易の推進や貿易の秩序維持などを目的とする。
関税…国内産業の保護などを目的に、輸入品に課す税金。
中国のことですね…。
そうです。関税を上げると相手は輸出しにくくなるし、アメリカ国内では輸入品の値段が上がるので国内製品が売れるようになって、それを作っている人の雇用が守られる。
そういう風にしてトランプさんは自分の力で解決しようとするんですね。
WTOをはさまなくても大丈夫なんですか?ルールとして。
国際的な枠組みから言えば、それはちょっとどうかという話だけど。でも、中国の例だと、WTOのルールできちんと取り締まれていないからアメリカがやるんだというところもあるんです。
WTOにも文句があるということですか?
そうですね。
そのトランプ政権と日本は交渉しないといけないのですね…。
4月にワシントンで開かれた日米貿易交渉の初会合。
茂木経済再生担当大臣とアメリカのライトハイザー通商代表が、自動車や農産物などモノの関税を中心に議論することで合意した。
この時期に日本とアメリカの貿易交渉が始まったというのは、なぜなのですか?
もともと去年の秋の日米首脳会談で貿易交渉をやりましょうという話になっていました。当初は今年1月にも交渉が始まるとみられていたんだけど、米中の貿易交渉が長引いていますよね。
そうですね。
中国と真剣勝負をやっているさなかに、日本に時間を割くことができないということで1月ではなくてこの時期になったと。米中交渉の行方を見ながら始めようということで。
そうだったんですね。
4月になったのは、直後に安倍総理大臣とトランプ大統領の日米首脳会談が行われたんですけど、トランプ大統領は貿易赤字の問題を重視しているので、首脳会談でも話が出るだろうと。その前に閣僚大臣級で話をしておこうということで、初会合が開かれたんです。
そうなんですね。
これは覚えておいてほしいんだけど、首脳会談があるとね、必ずその前に閣僚会議をやるんですよ。トランプ大統領が日本に言いたい話を、いきなり安倍総理に言われると困ったりするじゃないですか。だから、事前に事務方や閣僚でこんな話になっていますとすり合わせをする。
それで首脳会談はなるべく穏便に済ませる。極端に言えば握手するだけというかね。首脳どうしが対立しちゃったら、まとめる人がいなくなっちゃうでしょう。
だから、首脳会談の前の閣僚会議で話をして進ませると。
そうそう、進みます。進むし対立もするし。
で、肝心の交渉なんだけど、アメリカの最大の関心事は自動車と農業なんです。
なぜその2つなのですか?
まず自動車に関して言えば、あまりにもインバランスが大きいと。
インバランス…?
不均衡ということね。日本からは年間170万台の車がアメリカに輸出されているんですけど、日本がアメリカから輸入しているのは10万台ちょっとしかない。
日米の貿易赤字の約80%は自動車と関連部品なんです。だから、非常に目立つし大きいんだよね。
農業のほうは、アメリカの特に中西部あたりの農家や農業団体は、大統領選挙で大事な票になる人たちだからね。
TPPがアメリカ抜きで始まったでしょう?あと、日本はEUとも経済連携協定(EPA)を締結した。
そうですね。
こうした協定で、アジアやヨーロッパから日本に輸出される農産物の関税は徐々に下がっていくんだよね。でもアメリカはTPPから抜けたから、アメリカからの農産物にかかる関税は高いままになる。
TPPの関税は何%なんですか?
モノによっていろいろあるんですけど、たとえば牛肉だったら、日本は38.5%だった関税を段階的に9%まで引き下げることになっているんです。
TPPに入っているオーストラリア産の牛肉は、この関税引き下げの恩恵を受けるけど、アメリカ産の牛肉は高いままになる。
このままではアメリカ産の農産物の競争力がどんどん低下して売れなくなると農家は怒っている。だからアメリカは日本に関税を下げてくれと要求しているんです。
そうなんですね。
でも日本側は、TPPの水準以上の関税の引き下げはしませんということを最初から言っています。
なぜですか?
そもそも日本がTPPに入る時、関税が安くなっていろんな国から農産物が輸入されたら日本の農家は大打撃だよねということで、日本国内で反対の声が根強くあったんです。
それをなんとか押し切ってまとめたのがTPPなので、それ以上は妥協できないというのが日本の立場なんです。
自動車に関しては、合意に向けてどんな課題があるんですか?
自動車はね、日本側がすごく心配していることがあって。それが「輸入制限」。
アメリカはNAFTA(北米自由貿易協定)を見直した時に、メキシコ・カナダに対して輸入制限という措置を打ち出したんです。
輸入制限ですか。
何台以上は輸入しませんというのを決めたんです。
WTOは自由貿易を推進しているから、最初にそんな枠を決めたら自由な貿易とは言えない、WTOのルール違反ではないかといった批判が出ています。
こうした輸入制限を求めてくるのではないかと日本側は懸念しているんです。
そうなんですか。
実際アメリカでは、先日、輸入制限を日本に求めるという報道もあったんですよ。日本側は、そういう事実はないと否定していましたけど、どうなるかわからないね。
さきほどの話ですと、輸入台数を今より少なく制限したら、WTOのルール違反ではないですか?
そうだね、引っかかると思います。もし本当にアメリカが輸入制限を求めてきたら日本はWTOに違反だと訴えるのか、訴えないのか、いろいろ考えないといけないですよね。
訴えると、どうにかなるものなんですか?
WTOって裁判所みたいに1審2審とあって、2審まで結論が出たら言うことを聞かないといけないことになっている。でもね、トランプさんはWTOのことが好きではないので。
好きではない…!
「WTOから脱退だ!」と言い出すことも考えられる。WTOから抜けて自分たちに都合のいい自由貿易経済圏を作ればいいと思っているかもしれないですよね。
やりそうですね。
今回のこの交渉において、日本が逆にアメリカに要求していることはあるんですか?
日本は、そうですね。要求というか、実はアメリカにはひとつ弱点があって。
お!なんですか?
トラックの関税。
トラック…?
ピックアップトラックという、荷台が大きくて日本のレジャー用のSUVを大きくしたような車なんだけど。アメリカにはこのピックアップトラックの大きな市場があるんです。ビッグスリー(ゼネラルモーターズ、フォード、クライスラー)が強い分野で、25%の高い関税をかけている。
そうなんですか。
TPPの交渉のときには、長い時間をかけて、この25%の関税をゼロにするということでアメリカは合意しているんです。
でも今回アメリカは、そこは合意したくないんですよ。
え?そうなんですか?
1回合意したのに…
TPPで合意したのは前のオバマ政権だから。
ああ、そうか。トランプさんは、俺は違うと。
ここは守りたいわけなので、日本としてはついていけるよね。「こっちの関税を下げろと言うならそっちも下げなさい」みたいに。
もし自動車の輸入制限を求められたら、日本はルール違反だと突っぱねると思うんだけど、いよいよのときには「じゃあ、そちらもトラックの関税を下げてくださいよ」と攻めていく手はありますよね。
逆に言うと、日本が攻められるカードはこのトラックしかないんですか?
そうですね。一番効くのはトラックかな。
日本は結構不利な状況なんですかね…。
まあ基本はいつでも不利ですけどね、アメリカとの交渉では。
今回の貿易交渉もそうなんですけど、交渉というかアメリカの一方的な要求というイメージなんですけど。
そうそう。高いところからね。交渉のテーブルにつかなきゃいいんじゃないの?という意見もあるだろうけど、政府の担当者から言わせると、そういう訳にはいかないそうで。
やっぱり日米は同盟国だから、相手が「ちょっと聞いてよ」と言ったら一応会って話は聞くと。それがいつの間にか交渉になってしまうわけなんですね。
5月末に令和初の国賓として来日したトランプ大統領。
この際の日米首脳会談で、トランプ大統領は貿易交渉について「おそらく8月に良い内容を発表できると思っている」と述べた。また会談後の共同記者会見で、日本がTPPの水準を上回る農産物の関税引き下げには応じないとしていることについて、「アメリカはTPPに拘束されない」とも述べた。
自動車と農産物が交渉のポイントだということはわかりました。これからどうなっていくのでしょうか?
そうですね。アメリカにはなるべく早くこの交渉をまとめたい事情があるんですよね。
なんですか?
トランプ大統領は、来年秋に再選がかかる大統領選挙があって、この選挙に向けて成果を出さないといけない。
あまり間際だと遅いというか、大体来年の夏ぐらいには大勢が決まっていくと思うので、それまでにアピールできる成果をいくつか獲得しておきたい。
そうなんですね。
だから、米中の協議も急いでいますが、日米協議も割と早く決着するかもしれないという見方もあります。
自動車が長引くと思ったら、とりあえず農業だけで手を打って、アメリカの農家に、ちゃんと成果を出しましたよとアピールするかもしれない。
元を正せばトランプ大統領がTPPから抜けると言ったからこんなことになっちゃったんだけどね。
確かにそうですよね。
アメリカの農家は関税の面で、今、とても不利な立場になっている。
不満が高まっているので、一刻も早く解消しないとどんどん票が逃げてしまう。なのでアメリカは交渉を急いでいるんです。
農家の票は、そんなに大きいのですか?
大統領選挙は50の州で、1州1州共和党と民主党どちらがとったかなんですけど、毎回どちらが勝つかわからないスイングステートが中西部に結構あるんですよ。
そこで負けられないと。
そう。あのあたりの地域は農業も製造業もあって、両方から票を取りたいんです。
トランプ大統領は「アメリカ国民を守る」ということを言い続けているよね。貿易に関しては、とにかく赤字を減らすことでアメリカを守ると。それを中国に対しても日本に対してもやっているということなんです。
アメリカ側の事情はよくわかりました。日本も早く協議を終わらせたほうがいいんですか?
いや、日本は7月に参院選があるんですよね。日本側はこの選挙に影響が出ることを懸念して、5月末の首脳会談では交渉の加速を確認することにとどめたい狙いがあったんです。
狙い通りになったんですか?
トランプ大統領はツイッターで「大部分は日本の選挙の後だ。大きな数字を期待している」と、夏の参院選までは妥結を急がないことを明らかにしています。選挙への影響を懸念する安倍総理大臣に配慮して恩を売ったと言えると思います。
トランプ大統領の「アメリカはTPPに拘束されない」という発言も気になったのですが、これはどういうことなのでしょうか?
日本政府は、農産物の関税を引き下げるにしてもTPPと同じ水準まで、とアメリカに繰り返し伝えてきた。
でもトランプ大統領はTPPをさんざん批判して離脱したのだから、そのTPPと同じ水準でいいですよとは、国内の農家の手前、言いにくいんですよね。それでこういう発言になったんだと思います。
でも日本はTPP以上の引き下げには応じられないという立場は変わらないんですよね?
そう。TPPと同じ水準というのは日米交渉の土台としてきた譲れないラインなので、今後、難しい交渉になると思います。
今回の交渉を私たちはどんなことに注目して見ていけばいいと思いますか?
学生が?日本人が?
日本人が…
消費者が…
両方お願いします!
消費者の立場からすれば、海外から入ってくる牛肉が安くなったほうがいいですよね。
はい。
だけど一方で、たとえば海外から農産物がたくさん入ってくると、日本の農家が廃れてしまう。そうすると食糧自給率が下がって、食糧安全保障の観点で脆弱になる。
あとは、輸入食品が増えるということは、食の安全の問題も出てくるよね。
単純に貿易といっても、モノやお金のやり取りだけではないし、安くなるからいいというだけではなくて、いろんな影響が出てくる話なので、そういうことも含めてどうなるか見ていかなければいけないと思います。
あとは車で言えば、日本は車離れが進んでいるって聞いたことあるかな?
あります。
日本国内の自動車市場はどんどん縮小しているんですよね。もしもアメリカへの輸出が大幅に減ったら、自動車工場がある地域で雇用が減ってしまうという影響も出てくるかもしれない。
自動車メーカーだけじゃないんですもんね。下請けの工場とかもありますもんね。
そうそう。部品の工場とかも含めて仕事が減って、地域経済にも影響が出たりする。自動車産業はそれだけ地域で大きな影響力を持っているんですよね。
自動車は日本がずっと強かった産業分野なんだけど、それがいつまでも続くわけではないと考える時期にきているのかもしれないですよね。
この日米貿易交渉も、米中貿易摩擦もですけど、トランプ大統領の登場もあって、世界中で貿易が大きなテーマになっているなと感じます。
昔はね、いろんな国が自国の産業を守るために輸入品に関税をかけた。だけど、他の国でも物を売ったり買ったりしてお互いに市場を広げるほうが、世界経済全体の成長につながりますよ、ということで自由貿易が広がっていった。
でもそうやって物が行き来するようになると、競争力がある物が勝って、弱い物は負けていく。
イギリスのEU離脱の問題を取材したときにも、そういうお話を聞きました。グローバル化には弊害もあると。
世界中でそういうことが起きて、負けた人はやっぱり我慢できない。
それで、そういう人たちのどうにかしてほしいという思いをすくい取ろうという政策を掲げる人が選挙で選ばれている。トランプさんなんかがそうだよね。
確かに。
でもトランプさんが仕掛ける「貿易戦争」や「自国第一主義」も危険な面があって。
実はアメリカは過去にも貿易戦争を仕掛けたことがあるんです、1930年かな。
そのときも今の米中と同じように報復関税の応酬になって、モノの流れが滞って世界の貿易は急速に縮小した。各国のナショナリズムが高まってブロック経済化が進んで、その後の第二次世界大戦につながった一因ともされているんだよね。
なので今後も、こうしたアメリカの保護主義的な動きは注意して見ていく必要があると思います。
よくわかりました。ありがとうございました!