2022年11月7日
韓国 朝鮮半島

「意識が遠のき、死ぬかも」梨泰院の転倒事故の生存者が語った

「ある人が両親に電話をかけました。
『ここから抜け出せないと思う。帰れないと思う。愛しているよ』と。
そうしたら、周りの人たちも…」

日本人2人を含む156人が亡くなった韓国ソウルの繁華街、イテウォンでの転倒事故。

身動きもとれず、次々に意識を失っていく人たち。
楽しいはずの3年ぶりの規制がないハロウィーンの夜、何が起きたのか。

現場となったあの坂道で事故に巻き込まれ、一命を取り留めた男性が当時の状況を語りました。

(ソウル支局 長野圭吾)

あまりに人が多かった… 予想を超えた人出

ソウル近郊で暮らすチョ・ソンホ(趙誠鎬)さん、32歳です。

あの日、友達と4人で楽しみにイテウォンに向かい、道幅3メートルほどの細い坂道で事故に巻き込まれました。

チョ・ソンホ(趙誠鎬)さん(32)

チョさん
「人が多いだろうとは予想をしてイテウォンに行ったんですが…。いざ着いてみたら、人があまりにも多かったんです。それで、身動きできない状態になって。下敷きになって苦しんでいた人の姿が浮かびます。本当に心が痛いです」

チョさんが、ハロウィーンの日にイテウォンに来るのは、今回が4度目でした。

地方出身のチョさんにとって、同郷の友達たちと仮装してこの街を歩くのが、毎年恒例の行事でした。

仮装したチョさん(右から2番目)

今年は友達と4人で、アニメ映画のキャラクターに仮装しました。

新型コロナウイルスによる屋外でのマスクの着用義務がなくなり、3年ぶりのイテウォンでのハロウィーン。心から楽しみにしていました。

チョさん
「イテウォンには自由なイメージがあります。これまでも初めて会った人たちとも写真を撮ったり、お酒を飲んだりして楽しく遊んだ記憶しかありません。本当に楽しかったんです。3年ぶりにマスクを着けずに自由に遊べる、祭りを楽しめる環境になったので、友達ともすごく期待してイテウォンに行きました。」

水が流れるように、人波であの坂道に

みんなが楽しみにしていたあの夜。何が起きたのか。

チョさんがわずか1週間前のつらい記憶をたどって、話してくれました。

事故後 「世界グルメ通り」を歩くチョさん

10月29日の夜10時。

チョさんたちが、飲食店やナイトクラブが並ぶ「世界グルメ通り」に近づくと、3年前とは比べものにならないほどの人たちが集まっていました。

通り沿いの店も入口まで人があふれ、後ろから押され引き返すこともできません。

チョさんたち4人は脇道がないか探しながら、前へと進んでいきました。

しかし事故現場となったあの坂道につながる三差路を通過しようとした時です。

強い人波によって、坂道の方に押し出されていったといいます。

チョさん
「現場の坂道のほうにいくつもりはなかったんです。ただ前に向かって歩いていたんですけど、自分の思う通りに歩けなくて、急に左側の路地に引き込まれました。わずか10秒もたたないうちに、坂道に引き込まれたと思います。そのあとは、自力で歩いていくのではなくて、人波に押されて、人と人の間に挟まれた形で、水が流れるように動かされました。最初は深刻な状況だとは思っていなかったんです」

ただ、チョさんの記憶には、ある男性2人がとった行動が鮮明に残っていました。

男性たちは、何かを察知したのか、坂道に面した飲食店の看板によじ登って、人混みから抜け出したといいます。

なぜ、そんなことをするのだろう、と思った矢先、チョさんは、全く身動きができなくなり、自分ではどうしようもない状況になっていました。

いったい、ここで何が起きているのか。

状況がわからないなか、あの惨事へとつながっていきます。

チョさん
「前の状況が全く見えなかったんです。それで人が倒れているということを知らないまま挟まれていました。私にも見えなかったんですから、私の後ろの方にいた人たちは全く知らなかったと思います。人が倒れたことで、前の方に空間ができたので、後ろの人たちは前に進めるんじゃないかと思って押してきました。でも、前の方からは『後ろに下がれ』『助けてほしい』と叫んでいた人たちの悲鳴が聞こえました…」

地面から浮き、45度くらい傾いた状態

後ろから強く押される中で、人々はどんどん密集した状況となっていき、チョさんたちに異変が起きていました。

チョさんが当時の状況を描いたスケッチ

チョさん
「私も挟まれるように地面から完全に足が浮いて、45度くらい傾いた状態で、1時間くらい耐えました。私だけでなく、周りにいた人たちも全員傾いていた状態でした。次第に息苦しくなり、意識が遠くなっていきました。体がきつく挟まれて血流が止まりそうで、血流をよくするためにもがきました。でも、1センチたりとも体を動かせなくて…。死ぬかもしれないという恐怖もありましたけど、足がえ死して切断しなくちゃいけない状況になるんじゃないか、そういう恐怖がより大きかったんです」

周りでは、現実とは思えない状況が広がっていました。助けてほしいと叫んでいた人たちの中に、次第に意識を失う人が出てきたのです。

もう自分も助からない…。諦めかけたチョさん。

その時、坂道に面した店の人が水をかけてくれて、意識を取り戻したといいます。

チョさん
「ナイトクラブの人が冷たい水をかけてくれてそれで意識を取り戻しました。そのあと隣で意識を失っていた友達を起こして『もう少しの辛抱だ』と声をかけました。前の方に顔だけを出していた女性にも、『もう少しの辛抱だから』とずっと声をかけましたが、その女性はもう返事ができる気力もなさそうに見えました。小柄で、本当に顔だけ出して息をしていた状態でした。私の前にいる人たちは全員、意識のない状態でした」

「たぶん帰れない、愛している」次々に携帯電話で…

十分に息も吸えない、身動きもとれない。

どれくらいの時間がたったのかも分からない中、徐々に意識を失う人たちが増えていきました。

「彼女を助けてほしい」
一緒にいた女性が意識をなくし、泣き叫ぶ男性。

そして、チョさんの近くでは、諦めて死を覚悟する人が出ていました。

チョさん
「携帯を持っていた人が両親らしき人に電話をかけました。お父さんなのか、お母さんなのか分かりませんが、『イテウォンに来ているけど、人に挟まれて、息苦しくて、たぶん帰れないかもしれない。愛している』と…。そうしたら、周りにいた人たちも電話をし始めました。ポケットやカバンに携帯を入れていた人たちは、身動きができず、取り出すこともできないので、携帯を手に持っている人に頼んで、両親に電話をかけたりする状況でした。通話していた人は4、5人いたと思います」

チョさんの友人もその1人でした。

チョさん
「友達がお母さんに電話しました。『イテウォンに来ているけど、人が多すぎる。挟まれて息苦しい。死にそうなので、幸せになってほしい』と。そのあと友達はそのまま諦めて目を閉じて、頭が垂れました」

チョさんは、すぐに友達に「しっかりして」と声をかけ、友達はなんとか気持ちを取り戻したといいます。

難航する救助、自力で歩けない

現場付近に到着した救急車と救助隊

ようやく始まった救助活動も難航しました。

救助は坂道の上側から、重なっている人をひとりひとりはずしていく形で行われました。

救急隊員たちは、手足に力が入らない人たちを、文字どおり引き離していきました。

しかし、多くの人が、特に下半身に強い圧迫を受け続けたため、もう自力では動くこともできず、救助は難航しました。

チョさん
「救助は大変だったのだろうと思います。救助隊がすぐ後ろにまで来ていましたが、私のところまでくるのに時間がかかりました。私もそうでしたが、力が入らず、下半身を動かすことができなかったのです。ですから、空間ができたとしても、自力では歩いて出ていけないんです、足が動かないので。救助隊が相当、不足していたと思います。一般の市民が助けてくれたり、事故に巻き込まれた人でも、動けた人は救助を手伝った人もいると思います」

救助にあたる消防隊と救助隊

チョさんが現場から抜け出したのは、動けなくなってから40分から1時間後でした。

一緒に来ていた同郷の友人3人も無事でした。

事故現場を離れ「世界グルメ通り」に戻ったチョさんたち。

通りには、意識を失った大勢の人たちが横たわっていて、心肺蘇生を受けていました。

泣き叫ぶ声。必死に続く救命活動。

わずかな違いだけで分かれた生と死。まさに阿鼻あび叫喚といえる現場の状況でした。

チョさん
「私が思うには、背の高い人は生き延びたんです。胸辺りが圧迫されると息ができないのですが、背の高い人たちは呼吸ができたんじゃないかと思います。それと腕を組んで、自分で呼吸できる空間を確保できた人もです。それと、お酒を飲んでいたかどうかもです。私たちは、まだ食事もお酒も飲んでいなかったので、圧迫を強く感じなかった面もあると思います。もしお酒を飲んでいたら、上手く呼吸できなかったかもしれません。それに坂道の外側にいたので、道沿いの店の人から水をもらえました。そうしたいくつかの要素が生死を分けたのだと思います」

「歩いているだけで死んでしまう国とは」 悲しみが続く…

今回の事故で亡くなった人は156人。(11月7日時点)

現場から少し離れた体育館には、現場に残された衣類や靴などを保管されています。

家族を亡くした人たちが、遺留品を探しに訪れています。

亡くなった息子のスニーカーを見つけた母親の叫びが、体育館に響きました。

「私の息子はどこに行ってしまったの!早く帰ってきて、早く帰ってきて。この世に歩いているだけで死んでしまう国がどこにあるの!なんて世の中だ」

このような事故が二度と発生しないように

事故現場のすぐ横にある地下鉄イテウォン駅の入口の献花台には、連日多くの花が手向けられています。

さらに、亡くなった人たちを悼むメッセージも貼られています。

「ご冥福をお祈りします」とチョさんが記したメッセージ

チョさんも「謹んで故人のご冥福をお祈りします」と記し、静かに祈りを捧げました。

事故のあと、警察の不手際が次々に明らかになっています。

事故発生の4時間も前から、現場の危険な状況を知らせる通報が11件もあったことが判明。批判が集まっているのです。

しかし、チョさんはそうした動きよりも、早くやってほしいと願っていることがあります。

チョさん
「難しいことですけども、今回のイテウォンのハロウィーン祭りは、誰か主催者がいるわけでないんです。市民たちが自ら集まってくるものです。これからこのような事故が二度と発生しないように、マニュアルやガイドラインを作って事故を防止してほしい」

取材後記

何度も深いため息をつきながら、苦しい記憶をたどってくれたチョ・ソンホさん。

取材を受けた理由を聞くと「あの坂道で何が起きたのか正しく知ってほしい。だから話をしたかった」と答えてくれました。

現場で何があったのか。

この悲劇を繰り返さないためにも、その究明が必要だと感じます。

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