オリンピックという夢がキラキラ光っていたから見失わなかった

峰幸代

ソフトボール

3大会ぶりにオリンピックの舞台に戻ってきたソフトボール。
前回2008年の北京大会の時はチーム最年少の20歳だったキャッチャーの峰幸代は、エース上野由岐子とバッテリーを組み金メダルに貢献した。
しかし、その後ソフトボールはオリンピックから消えた。
一度は見失ったオリンピック出場の夢。それを東京で13年ぶりにかなえた。

「私が頑張る原動力となったのは、オリンピックを目指すという覚悟から生まれた頑張れる力だった。いざその場に立ったときに『あったかい達成感』というか、試合がいまはじまるのに感無量みたいな、そういう感覚でした」

北京のあとも峰は日本代表の主力として世界選手権など国際大会を戦ってきた。
しかし、オリンピックという夢が途絶えてしまった無念さは埋まらず、一度現役を引退する。競技を離れて1年が近づく頃、運命を変える知らせが届いた。東京オリンピックでのソフトボールの「復活」だ。
峰は現役復帰を決めた。

「年も30に近かったですし現役復帰はなかなか無謀なチャレンジだとみんな思ったと思うんですけど、私にはできるんだという謎の自信があった。オリンピックという夢があって、その夢がすごくキラキラ光っていたからどんな状況になっても見失わなかった。その目標が光り輝いていたからこそ、目標に向かって進んでいけた」

北京を経験しているのは、上野由岐子、山田恵里、そして峰の3人だけ。
東京大会でチーム最年少だった後藤希友が「小学生の時に北京オリンピックの金メダルを見てソフトボールをはじめた」というほど13年という時間は長かった。

そのチームにあって峰の出場は2試合にとどまったが、金メダル獲得のために彼女にしかできない役割を担っていた。

「オリンピック経験者として『オリンピックとは』『オリンピックで勝つためには』という技術的なことだったり精神的なものを、チームが勝つために活躍すべき選手に伝えていくことが役割と考えていました。自分自身のプレーのことは3割くらいで考えていて、7割はもうチームにとって大切な仕事をやっていくという頭でした。未経験の子たちがのびのびとプレーすることが日本にとって一番大事なことなので、いろいろコミュニケーションとったり、いかにチームの力になっていくかが大事だってことをみんなと話したりしながらやっていました」

13年越しのオリンピック連覇の瞬間、峰は…

「ベンチで監督の隣にいて、キャッチャーフライが上がったときふつうはみんなベンチを抜け出してわーっていくじゃないですか。でもちょっとなんかそういう気持ちになれなくて。すごく満足して、望んでいた結果で終わったんだという達成感、みんなよく頑張ったなってちょっと遠くからみんなの姿を見ていたみたいな感じでしたね」

2つめの金メダルを手にした峰は、2021年シーズンかぎりで現役を引退した。

「いままで大変だったことを思い返してみると『終わったんだ』『やりきったんだ』と。年齢も上がって大変で疲労感も多かったんですけど、すごく長くてすごく充実した時間になりました。金メダルはみなさんに見せると喜んでいただけるんですけど、私の中では金メダルを取ったという経験がすべてなので、自宅ではそっとしまってあります」

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