災害列島 命を守る情報サイト

これまでの災害で明らかになった数々の課題や教訓。決して忘れることなく、次の災害に生かさなければ「命を守る」ことができません。防災・減災につながる重要な情報が詰まった読み物です。

地震 水害 避難 教訓

津波警報は出たけれど…“防災のプロ”でも難しかった避難の話

「命を守るためにも素早く避難してください」

こう繰り返し呼びかける立場だったある防災の専門家。

でも、ことし1月に実際に津波警報が出ると、思ったように避難できませんでした。

凍結した道路は歩きにくく、避難すべき高台の場所もわからない…。

プロでも想定通りにならなかった津波避難の実体験です。

2022年2月に放送されたニュースの内容です

「いったい何事だ」

ことし1月16日未明。岩手県宮古市にけたたましいサイレンの音が響き渡りました。

「津波警報が発表されました」

南太平洋のトンガで海底火山が噴火し、その影響で日本でも太平洋側の広い範囲に津波警報や注意報が発表されたのです。

「いったい何事だ」

サイレンの音で飛び起きたのは、高知大学の原忠教授です。専門は地盤工学。地震の揺れで起きる地盤の変化や津波対策の工法などを研究する“防災のプロ”です。この日は、東日本大震災の被災地を調査するため岩手県宮古市の沿岸部のホテルに宿泊していました。

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当時届いたメール

防災無線やエリアメールでは「津波警報が発表された」と伝えています。突然のことに動揺したものの、そこは防災の専門家。「高台に避難しなければ」と気持ちを切り替え、ベッドから起き上がり、すぐさま準備を始めました。

まずは、着替えなければ。ところが、着替えの服を用意していませんでした。「出張先でも着替えを準備しておくべきだった」。そう反省しながら服をかき集めますが、冬場で服の枚数が多いこともあり、想像以上に手間取ったといいます。

次に持ち出す荷物の準備。ここでも時間を取られます。部屋を見渡すと、寝る前に仕事をしていた状態のまま。パソコンは机の上に出しっぱなし。スマートフォンは充電中。ばらばらに置かれた荷物を一つ一つ大急ぎでリュックに詰めました。

ようやく身支度を整え、避難を開始したのは、警報発表から14分後でした。

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懐中電灯で足元を照らして階段を上る人たち

ホテルで懐中電灯を借り、外に出た原教授。明かりはほとんどなく、道路も凍結していて、避難路は過酷な状況でした。

「高台はどっちだろう?」

焦りながら避難場所の案内標示を探しますが、見当たりません。「海と逆の方向に山があったはず」と、勘を頼りに歩き始めました。サイレンが鳴り響くものものしい雰囲気の中、暗さと足場の悪い道が避難の足取りを鈍らせます。

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警報発表から1時間以上経過してから避難してくる人も

息を切らしながら坂道と階段を駆け上がり、警報の発表から26分後の午前3時20分、ようやく高台に到着しました。

高台の道路も明かりはなく、懐中電灯の光以外は真っ暗。寒さのため、ホテルが用意した毛布を体に巻き付けて暖を取る人もいました。

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体を寄せ合って寒さをしのいでいた

専門家として素早い避難の大切さを繰り返し訴えてきた原教授。自分なら素早く避難できると思っていました。ところが、いざ、その場面に直面すると、想定どおりに行動することは意外と難しかったと振り返ります。

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原教授
「命を守るために何よりも迅速に避難してほしいと呼びかけてきましたが、いざとなると頭では分かっていても実行に移すのは難しいものだと痛感しました。訓練どおりに、想定どおりに、とはいかないものですね」

防災意識 薄れている?

原教授は、みずから反省する一方で、地域の備えの課題も見えたと指摘します。高台に到着して周囲を見回すと、すでに避難していたのは10人ほどで、少なく感じたといいます。NHKの取材でも、岩手県内で実際に避難所に向かった人は対象者の4.2%だったことが分かっています。

また、宿泊していたホテルも、緊急時の対応に習熟しているとは言えなかったと振り返ります。具体的な避難場所の案内はなく、従業員は宿泊客のための毛布や飲み物を用意するため、何度か高台を下りてホテルに戻っていたということです。宿泊客の点呼が行われたのも高台に到着してから1時間ほど後だったといいます。

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避難所まで消防団が先導

その後、移動した避難所の体育館には、地元の住民に原教授などホテルの宿泊客も加わり、およそ100人が身を寄せることになりました。新型コロナウイルスの感染が拡大する中、避難所の感染対策が求められていますが、消毒用のアルコールが置いてあるのみで、パーティションなど密を避ける工夫は不十分だと感じたといいます。

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当時の避難所の様子 パーテーションは無い
原教授
「被災地の復興の様子や防災の取り組みを見続けてきた中で、今回の避難に遭遇しました。地元では、災害の記憶や避難の経験があるため、危機意識は一定程度あるとは感じましたが、震災から10年以上が経過し、防災意識が薄れている側面もあるのではないかと感じました」

原教授が勧める“少しでも早く”避難するためのポイント

今回の経験を通じて原教授が改めて考えさせられたのが、南海トラフ巨大地震への対策です。30年以内の発生確率は70%から80%とされ、全国の広い範囲で大きな被害が想定されています。

太平洋沿岸の広い地域では津波の被害が懸念されています。特に、原教授が研究の拠点を置く高知県では、早いところでは地震の揺れからわずか3分で津波が到達するとも想定され、今回以上に素早い避難行動が求められます。確実に命を守るためにはどうすればよいのでしょうか。

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原教授は、まずは自分の身の回りの災害リスクを知ってほしいと呼びかけます。自宅や職場など、ふだん長い時間を過ごす場所の周辺には、どのような災害のリスクがあって、いざという時にはどのような避難が求められるのか。揺れの大きさや長さ、津波が到達する時間や高さなどの詳細を知ったうえで、考えてほしいといいます。

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そのうえで、実践的な備えを進めてほしいと呼びかけます。例えば、避難訓練。訓練のたびに、季節や時間帯、想定の内容を変える工夫をすることや、詳細なスケジュールを知らせずに「抜き打ち」で行うことなども効果的だということです。また、備蓄品についても、さまざまな状況を想定する必要があるといいます。

今回、冬の夜間に避難した原教授。コートなどで厚着ができる上半身とは違い、足先などは冷えやすかったということで、季節に応じた暑さ、寒さの対策の重要性を感じたといいます。さらに、支援が来るまでの間は必要な水や食料は自分で準備して命をつながなければならないことを痛感したといいます。

原教授は、こうした訓練や備えを通して、臨機応変な対応を学び、みずからの意識や備えを更新し続けてほしいと話します。

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原教授
「東日本大震災から数年間は、高知県内を含めて全国各地で防災意識が高まり、積極的な活動が行われた場所が多かったと思います。しかし、震災から10年以上がたち、意識が薄れてきている面もあるのではないでしょうか。私のように、実際に避難してみると思っていたようにはできないことも考えられます。今回見えた課題を自分の地域に置き換えて考え、現在の避難行動や備えで本当に命を守れるか見直してもらいたいです」

(高知放送局 記者 伊藤詩織)


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