20年ぶりの投票 だって「あたり前」のことだから

重い障害があって、病院で生活していたら、選挙で投票はできない。

女性はそう思い込んでいました。病院の職員たちもです。だから、あきらめていたんです。

でも女性はおよそ20年ぶりに投票しました。

だって「あたり前」のことだから。

(宮崎放送局記者 玉木絢子)

できなくても、しかたない…

「この病棟に入ってから、投票はできないもんだと、あきらめていました」

障害のため、ゆっくりとひと言ずつ、こう話してくれたのは、西俣實知子(61)さんです。

西俣さんが暮らしているのは、宮崎県日南市にある「愛泉会日南病院」の病棟です。

愛泉会日南病院

この病棟には、重い身体障害と知的障害があるおよそ120人が、介助を受けながら生活しています。

西俣さんも脳性まひと知的な障害があります。

食事など生活のすべてで介助が必要です。

介助のスタッフに車いすを押してもらう西俣さん

入所者のなかには、自分の意思をうまく伝えることが難しい人たちも少なくありません。

そんな環境の中で、自分だけ投票に行くのは難しいだろう。

西俣さんは、そう思い込んでいました。

以前はあたり前に投票していた

でも西俣さんは本当はそんな風には思いたくありませんでした。

西俣さんは、かつて宮崎市内の自宅で親に介助をしてもらい、暮らしていました。

自宅で暮らしていた頃の西俣さん

幼いころから両親が選挙のたびに投票に行く姿をみていました。

20歳になってからは、家族の手を借りて、自らもほぼ欠かさず投票していました。

親が高齢となり、介助が難しくなったため、15年ほど前にこの病棟に入所しました。

それ以来、あきらめなければいけないことが多くなりました。

毎日食べていた大好きだったお母さんの手料理。

介助を受けながら行った飛行機での旅行。

そして、選挙での投票もです。

「投票できないのかな」と、思ったこともありました。

でも、口には出しませんでした。

病院で不在者投票ができた!?

実は、この病院では以前から選挙のたびに、院内で投票ができる環境がありました。

県の「不在者投票指定施設」になっていたのです。

病院に設けられた不在者投票記載所

不在者投票指定施設とは
病院や施設に入所して投票所に行けない患者や高齢者のために、施設内で不在者投票を行うことが認められた施設。選挙管理委員会が、法令等に定められた一定規模の施設であることや投票の秘密が守られる投票環境、政治的中立が保てる体制が整っているかを判断して指定する。宮崎県内では病院や老人ホームなど計301施設が指定を受けている。(2023年1月時点)

ただ病院側が利用を想定していたのは、病気などで入院する一般病棟の患者たちでした。

投票する記載所も、西俣さんたちが生活する病棟とは、別棟に設けていました。

一番近くにいて、理解しているつもりだったのに…

「閉鎖的な部分があったのは、確かだと思います」

こう率直に打ち明けてくれたのは病院の事務部長、西島元利さんです。

いまでこそ、地域に開かれた病院を目指して、建物の出入り口をガラス張りにして開放的に改築したり、入所者との交流の場を設けたりしています。

それに病棟内に無線LANを整備し、入所者たちが情報を得やすい環境も整えました。

西俣さんも病院内でタブレットを使っている

しかし、日々、介助する重い障害がある入所者たち。

複数いる候補者の中から自分がこれだと思う人を選ぶことができる人が何人いるのか。

入所している人たちは、自己決定や意思表示が難しい人も多く、「投票」に対する迷いがあったのです。

難しい、無理…。

入所者一人ひとりの障害をよく理解する職員ですら、そう思い込んでしまうことは避けられなかったといいます。

さらに「投票する」か「しない」かも一つの大切な意思決定。

それに、職員がどのように関与すればいいのかにも悩みました。

愛泉会日南病院事務部長 西島元利さん
「投票するとなると、どうすればいいのかというのは大きな迷いというか、なかなか一歩を踏み出せずにいました。もしかしたら、投票に行きましょうと話すこと自体が、投票を誘導することにつながるおそれもあるわけです。いくら『選挙権』という貴重な権利の行使ということであっても、無理にしてしまうと、その権利を侵害してしまうことにもつながりかねない。慎重にしないといけないという思いもありました」

私も投票したい!10数年ぶりの思い

こうした病院側の意識を吹き飛ばしたのが、西俣さんからのひと言でした。

去年7月に行われた参議院選挙の直前。

西俣さんが「投票したい」と、病院の職員に打ち明けてきたのです。

西俣さんが、一般病棟では投票ができることを職員どうしの会話で知ったのがきっかけでした。

私も以前と同じように、1票を投じたい。

事務部長の西島さんは、職員から西俣さんの話しを聞き、身につまされる思いだったといいます。

事務部長 西島元利さん
「西俣さんが投票したいと思っていること、社会や政治に関心をもっていることは知りませんでした。閉鎖的な環境の中で、西俣さんのやりたいことにチャレンジしたい気持ちや、いろいろな可能性を潰してしまっていたんじゃないかと、ハッとさせられました」

何ができる?病院が変わった

自分たち自身が、入所者ができることを狭めていたのではないか。

早速、病院側も動きました。

とはいえ、重い障害がある入所者が投票するのは初めてのことです。

選挙管理委員会にも相談しながら、投票の実現の可能性を探りました。

西俣さんは、手が不自由なため、投票用紙に名前を書く際に補助が必要です。

そこで病院は、代理投票ができるようにしました。

代理投票とは
病気や障害などが理由で、自ら投票用紙に文字を記入できない人のため、投票所の管理者が指定した補助者が本人の意向に従って代理で記載する制度

代理投票の方法はこちらの記事へ

投票までわずかな時間しかありませんでしたが、病院側は準備を進め、投票の日を迎えました。

いつも生活している病棟を出て、車いすで一般病棟に向かった西俣さん。

そばには、ふだんから西俣さんの介助を行う看護師が寄り添いました。

そして、看護師に手を添えてもらいながら、受け取った投票用紙に鉛筆で候補者の名前を記入しました。

投票する候補者はテレビやラジオで情報を集めて自分で決めていました。

西俣さんは、およそ20年ぶりに有権者として1票を投じるという“あたり前”を、かみしめました。

西俣實知子さん
「一生懸命に頑張っている人に投票しました。投票できてやったーという気持ちでした。長い間、投票に行けていなかったので、緊張してドキドキしました」

ほかにも投票する入所者が

さらにこの5か月後。

去年12月に行われた宮崎県知事選挙では、別の入所者の男性も西俣さんと一緒に投票しました。

17年前に病棟に入所した野邊剛さん(57)です。

西俣さんと野邊さん

これがおよそ25年ぶりの投票でした。

長引くコロナ禍で病院の面会制限が続き、家族や友人に会えない日々。

野邊さんは、新型コロナ対策を重視して1票を投じました。

野邊剛さん
「僕たちは介助してもらわないと生活できないので、コロナ禍で外出できない日々が続いてもしかたがないと思っていました。でも正直言って、こんなに長引くとは思っていなかったんです。いろんな行事もなくなってみんな我慢していました。どうにかしてもらいたいと投票しました」

野邊剛さん

私たちも特別視していたかも

「私たちの認識のスイッチを、西俣さんが押してくれたと思います」

病院の事務部長の西島さんはこう表現します。

西島さん
「重い障害がある入所者の投票は難しいだろうとひとくくりにしていました。それに、どこか特別視していたところがあったと思います。でも西俣さんが『投票は当たり前』と言うのを聞いて、私たちもそういう意識でサポートすべきだということに気づきました。実際、重い障害がある入所者の多くは投票するのが難しい部分もあると思いますが、大事な権利を知ってもらい、行使してもらうことをあきらめたくないと思います」

専門家“周りが何ができるか考えることが大切”

障害者の政治参加について、私たちはどう考え、何をすべきなのか。

立命館大学法学部の山本忠教授に聞きました。

立命館大学法学部 山本忠教授

今回の病院の対応について

(山本忠教授)
病院のスタッフが、障害がある人たちも権利の主体であると、改めて認識し、さらに行動に移したことは意味があると思います。

日本が2014年に批准した障害者の差別を禁止する国連の「障害者権利条約」には「政治的および公的活動への参加」という項目があります。

ここに書かれているのは、障害がある人たちに対して特別なことをしなさい、ということではなくて、平等に権利を保障しなければならない、ということです。

この病院は、そうした権利保障のスタート地点に立ったと思います。

これからさらに先進的な取り組みをされることを期待したいです。

病院側の「重症心身障害者は投票は難しいのでは」という認識について

日本全体として、障害がある人が「権利の主体」であるという当然のことに対する理解が進んでいないのが現状です。行政も施設の関係者も、障害者の権利について、もっと理解を深めていかなければなりません。

「障害があるから難しい」とあきらめるのではなくて、周りの人たちが何ができるのかを考え、1人ひとりと丁寧に向き合っていくことが大切です。

意思表示が難しい人もいるが、どうすればいい

何もやらずに、いきなり投票するのは当然難しいと思います。

意思確認をしようと思っても、その人に本当に候補者を選択する能力があるのかについて、介助者が自信を持てないので、投票誘導を気にしてしまうのもしかたがありません。

ほかの県の知的障害がある人たちの施設では、日本国憲法についてわかりやすく説明する勉強会を続けた結果、多くの入所者が投票に行ったというケースもあります。

また、たとえ重い障害があって、自分の意思をことばで伝えるのが難しくても、何らかの形で意思表示ができれば、どの政党がいいかや、どの候補者がいいかということを選ぶことができるはずです。

例えば、今度の統一地方選に向けて、県内の課題などをわかりやすく伝えて考える機会を設ければ、候補者を選ぶ能力を身につけていくことは可能だと思います。

日ごろからこうした機会をもっておくことが大切だと思います。

取材をして

実は今回の取材中に私もハッとさせられたことがありました。

西俣さんから「投票するってあたり前のことをするだけなのに、取材がくるって聞いてびっくりしました」と言われたからです。

選挙権は18歳以上の誰もがもつ権利なのに、私自身もどこかで「特別視」していたのかもしれません。

だから、西俣さんのことばに少しうろたえた自分がいました。

もちろん、意思を思うように伝えられない人が投票するにはどうしたらいいのか、などいろいろな課題はあると思います。

でも「できないだろう」ではなく、出発点は「どうしたらできるだろう」から物事を見つめていきたいと改めて思いました。

2023年2月22日放送

【動画】20年ぶりの投票 だって「あたり前」のことだから
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