『連載・経済とアメリカ大統領選挙』第4回・無条件でお金が?コロナで脚光の“BI”

新型コロナウイルスの感染拡大をきっかけに、世界的に注目を集めている政策がある。

「ベーシックインカム(BI)」
政府がすべての国民に一定の現金を給付する社会保障政策だ。

大統領選挙でも、しばしば政策論争のテーマになったが、議論が深まる可能性はあるのだろうか。

目次

    無条件でお金を支給

    ベーシックインカムは、すべての国民に所得制限などの条件を設けず、毎月、一定額を支給する社会保障政策だ。
    生活保護や失業手当などとの最大の違いは、所得や仕事の有無といった受給条件がないこと。“持てる者”にも“持たざる者”にも、一律同じ額が支払われる。

    古くは、アメリカ建国の父の1人、トマス・ペインも提唱したほか、市民権運動が盛んだった1960年代から70年代にかけてもたびたび議論されていて、古くて新しい政策と言える。

    大統領選挙の公約にも

    最近では、前回2016年のアメリカ大統領選挙で民主党の候補者だったクリントン氏が公約として検討したものの、財源を確保できないとの理由で断念したことで注目を集めた。

    共和党が「勤労意欲をそぐ」としてベーシックインカムに否定的なのに対し、民主党は、比較的ベーシックインカム推進派が多いとされる。

    アンドリュー・ヤン氏

    今回の大統領選挙でベーシックインカムの導入を公約に掲げたのは、民主党の候補者の1人だったアンドリュー・ヤン氏。
    今後、AI=人工知能やロボットの普及で仕事が減るおそれがあるとして、18歳以上のすべてのアメリカ国民に1か月当たり1000ドルを支給すると訴えた。

    若者を中心に一定の支持を集めたものの、民主党の大統領候補を選ぶ予備選挙の結果が振るわず、ことし2月中旬、早期に撤退を表明。
    大統領選におけるベーシックインカムへの関心はまたしても薄れたかに見えた。

    “ベーシックインカム的”コロナ対策

    ところが、思わぬ形ですぐに再び脚光を浴びる。新型コロナウイルスの感染拡大だ。

    コロナの影響でアメリカのことし4月の失業率は14.7%と過去最悪となり、失業保険の申請が急増した。

    仕事を失った1人、南部サウスカロライナ州に住むシャナ・スウェインさん(41)。2人の娘を育てるシングルマザーで、長年働いてきたバーを一時解雇されてしまった。
    「数週間なら持ちこたえられると思ったが、コロナの影響はそれより長く続くと気付いて、このあと経済的にどうやって生き残るのか収入について心配し始めた」と話す。

    先が見えない不安の中で、スウェインさんが生活費の頼りにしていたのが、失業保険に積み増して支給された、毎週600ドルの給付金だった。
    これまで好調な経済をみずからの政権運営の重要な成果としてアピールしてきたトランプ大統領は、失業者や中小企業への支援策として日本円で300兆円規模をつぎ込み、突然の解雇などで職を失った人に、毎週600ドル、月額25万円の失業保険を積み増す措置を4月から7月にかけてとったのだ。

    対策で消費が“10%増”

    この対策は、どのような効果があったのか。

    JPモルガン・チェースの調査によれば、失業保険の加算額を手にした失業者たちが、一定程度、アメリカの消費を下支えしたことがうかがえたという。
    通常、失業保険は失った稼ぎのほんの一部しか穴埋めできないため、失業者の消費は7%減少するが、今回は、積み増しがあったことで、逆に10%の増加がみられたというのだ。

    特に低所得者層の消費が最も増えたという。
    臨時収入を食料品や生活必需品の購入に充てたであろうことは想像に難くない。

    今回の対策は、すべての国民ではなく失業者に限った措置ではあるが、アメリカメディアは「ベーシックインカム的に支給された資金が意外な効果を生んだことで、アンドリュー・ヤン氏が主張したベーシックインカムが再び注目されている」と伝えた。

    自治体の実証実験も

    より実践的な動きも出始めている。

    6月末、ロサンゼルスやアトランタなど11の都市の市長が、ベーシックインカムの実証実験を始めると表明。

    カリフォルニア州ストックトン市 タブス市長

    発起人は、一足早く2019年から実証実験を実施しているカリフォルニア州ストックトン市のタブス市長。2019年2月から2021年1月までの予定で、月500ドルの現金を125人に給付しているという。

    アメリカの経済誌「フォーブス」によると、タブス市長は実験の有効性が確認されているとしたうえで、「受給者の多くは、食料品の購入や公共料金の支払いなどに使っている。ある受給者は、給付金があることで時給で働く仕事を休み、より良い条件の別の仕事の面接を受ける時間を確保できた」などと話している。

    議論の活発化も

    トランプ大統領は、これまでベーシックインカムの導入には否定的な立場をとってきた。
    対する民主党のバイデン氏も、ベーシックインカムとは違う方法で格差の是正や雇用の確保を目指すべきだという姿勢を示してきた。

    ただ、失業保険の積み増しがベーシックインカムに近い政策だとも受け止められたことや、積み増しの支給期限が7月末で切れた際、民主党側も、毎週600ドルという金額を据え置いて支給を継続すべきだと主張していたことを考えると、今後も“ベーシックインカム的”な政策をめぐって議論が活発化する可能性は、十分にありそうだ。

    真の効果は運用次第

    世界に目を向けると、ドイツでもことし11月から実証実験が始まるほか、イギリスでもジョンソン首相がコロナの経済対策として考慮すべきアイデアの1つだと表明している。

    日本ではどうか。

    9月に東京都内で開かれた学会の催しに足を運ぶと、1人当たり10万円が支給された日本の給付金もベーシックインカムにかなり近い政策だという意見が相次ぐ中、盲目的にベーシックインカムを歓迎するのは危険だという声もあった。
    必要な人に確実に届けるためのインフラ整備や運用方法についても合わせて検討しなければ、本当に支援が必要な最困窮者ほど支援が届かなくなってしまう、運用を間違えれば逆効果にさえなりうる、という指摘だ。

    日本以上に“持てる者”と“持たざる者”の格差が激しいアメリカ。
    コロナ禍の中、安定した暮らしを求める有権者の声にどう応えていくのか、目が離せない。

    山田 奈々

    国際部記者

    山田 奈々

    2009年入局。長崎局、千葉局を経て2014年から経済部。
    大手電機メーカー・東芝の経営問題やG20などの国際会議の取材を経て2019年から国際部。
    アメリカ、ヨーロッパ、経済を担当。

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