2022年6月27日
ウクライナ ロシア

【現地は今】ロシア軍に掌握された街は?地元男性が見たのは?

「避難するための助けが必要。身動きが取れない」

ふるさとで暮らす知人から連絡をもらった男性は、救出に向かいました。

しかし見慣れた街は激しく破壊され、砲撃の音が鳴り響いていました。

ロシア軍に掌握される前のふるさとで、男性が見たものは・・・。
(国際部記者 近藤由香利)

話を聞かせてもらったのは

今回、話を聞かせてもらったのは、ウクライナ東部ルハンシク州のセベロドネツクで育ったベニアミン・ペックンさん(31)です。

ベニアミン・ペックンさん

セベロドネツクは、東部に展開するウクライナ軍の拠点のひとつでした。しかし、3か月に及ぶ激しい戦闘のすえ、6月25日、ロシア軍に掌握されました。

ペックンさんは、ロシア軍に掌握される前のセベロドネツクで、残された人たちを助けるため、避難を支援する活動を行っていました。

(以下、ペックンさんの話)

なぜ、危険な地域に向かおうと思ったのですか?

ロシアの軍事侵攻が始まった2月24日は、西部の都市リビウにいました。

ですので、侵攻が始まってからの3週間ほどは、リビウでウクライナから国外に避難する人たちを支援するボランティアをしていたんです。

そんなとき、セベロドネツクにいる知人から「避難するための助けが必要。私たちは身動きが取れない」という連絡があって、3月中旬にセベロドネツクにいる人たちを避難させるために向かいました。

どんな活動をしていたのですか?

住民と一緒に動物を避難させるペックンさん(右)

当初は、セベロドネツクから西に約470キロ離れた所に拠点を置いて、住民を避難させていました。

ただ、しばらくして、より距離が近く、セベロドネツクから西に約250キロ離れたドニプロという街に拠点を置けるようになりました。

こうして、2つの地点を往復して、セベロドネツクの住民を避難させていました。

片道5、6時間かかるので、知人ら10人と一緒にバス5台を走らせて、活動を終えるまでの間に約500人を避難させることができました。

私個人としても、8人乗りのバスを借りて、50人ほど避難させました。

ある4人家族を避難させるときは、猫24匹、犬12匹、鳥1羽、うさぎ1匹を1度に避難させたこともありました。

また、すでに避難した人たちから、自宅に残した物を取りに行ってほしいという相談もあったので、必要な物のリストと家の鍵を借りて、セベロドネツクの家を何軒も回って、荷物を届けたりもしました。

街の様子はどうでしたか?

常に砲撃があって、危険を間近に感じました。街なかでも、郊外でも砲撃の音が鳴り続けているのです。

住宅の中に入っても、電気がつかなかったり、水が出なくなったりしていて、インフラも破壊されていました。

被害を受けた建物(ペックンさん撮影)

街の中にはがれきがあふれていて、車で走っていても、壊れた車などが道路に残されていて、まっすぐ走ることもできませんでした。

危険を感じた場面はありましたか?

避難している人たちの荷物を取りに住宅へ行った時、市街戦が行われていて、撃たれるかもしれないと感じました。

また、最後にセベロドネツクに入ったとき、車が燃えていたので消火活動の手伝いをしていると、500メートルほど離れた距離で、砲撃の音があったので、とても危険だと感じました。

消火活動をするペックンさん

今も避難を支援する活動を続けているのですか?

多くの人を避難させていくうちに、避難を希望する人が減り、荷物を取りに行くだけになりました。

自分の身を守ることを心がけていましたが、常に危険を感じていたので、“モノより命が大事”だと決断して、5月7日を最後に、セベロドネツクをあとにしました。

今は何か活動を続けていますか?

今はドニプロで、食料や医薬品を必要としている所に届けています。

具体的には、ルハンシク州やドネツク州といった、まだロシア軍が占領していない村や、南部ヘルソンにまで行くこともあります。

侵攻から4か月、どんな思いですか?

まずは、平和を望んでいます。みなさんにも、ウクライナに平和が訪れるように祈っていてほしいです。

私が育ったセベロドネツクは破壊されましたが、戦争が終わったら、よりよい未来が待っていると信じています。

重要なのは、ウクライナに対して希望を持つこと。ウクライナと全世界に明るい未来が待っていると信じていてほしいのです。

※ペックンさんには、6月20日に話を聞かせてもらいました。

避難を希望した家族と写るペックンさん(左)

ベニアミン・ペックンさん(Veniamin Petkun)
孤児として、1998年、6歳の時にセベロドネツクにある両親のいない子どもたちを育てる施設に入所。その後も、セベロドネツクに暮らす。みずからの経験から、両親のいない16歳から25歳くらいまでの人たちの社会進出を支援するプロジェクトを立ち上げる。ロシア軍の侵攻直後は、このプロジェクトの活動を行うため、西部リビウにいた。

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