
自分の言いたいことを言い、知りたいことを知り、見たいものを見る。
そんな当たり前の「自由」が、ある日、突然、奪われてしまったら、どうなってしまうのでしょうか。ウクライナでは、まさにそれが現実のものとなっているといいます。
軍事侵攻が始まってまもなく、ロシアが一方的に掌握を宣言した、ウクライナ南部の街ヘルソン。
支配の既成事実化が進められ、移動することさえ厳しく制限される中、ロシア側の監視の目をくぐり抜け、ヘルソンからの脱出に成功したという家族が私たちに対して証言してくれました。
(ウクライナ取材班 建畠一勇)
掌握された街からの、命がけの脱出
「いつ攻撃を受けるかわからず、常に緊張状態でした」
目に涙を浮かべながら語ってくれたのは、地元テレビ局の記者、オレーナ・バニナさん(44)です。
2022年6月、夫と3人の子どもとともに、ウクライナ南部の街ヘルソンから脱出することに成功しました。入念に下調べをして、数日かけて地元の人しか知らない道を使い避難しました。

バニナさんが避難中に撮影した映像を見せてもらうと、道ばたには、黒焦げになった何台もの車両があったほか、道路沿いの住宅は攻撃を受けた直後なのか炎とともに真っ黒の煙があがっています。
避難する道中には、ロシア軍が設置した30を超える検問所で足止めされ、行き先や目的を何度も尋ねられたほか、子どもの荷物にいたるまで持ち物を入念に調べられました。
いつ攻撃を受けるのか、いつ検問所で拘束されるのかおびえる毎日でした。
「ロシアの支配地域を抜けて、ウクライナ軍の兵士にあいさつをされたときは、みんな涙を流しました」
住み慣れた街が一変 奪われる「自由」
命の危険をかえりみず、バニナさんたちがヘルソンを離れることを決意した理由。
それは、長年暮らした街が一変していくことに恐怖を覚えたからでした。
軍事侵攻が始まってまもない3月、ロシアは南部の街ヘルソンの掌握を一方的に宣言。そして1か月後には州全域の掌握を宣言します。そして、ロシアはさまざまな形で、支配の既成事実化を進めたといいます。
バニナさんは、自身がジャーナリストであることを隠しながら、街が変わっていく様子をスマートフォンでひそかに記録していました。
厳しい外出制限、取り締まりと監視

平和だった街にずらりと並ぶロシア軍の装甲車や戦車。銃を持った兵士たちが警戒にあたる姿も見られます。
バニナさんによりますと、街の至る所に検問所があり、ヘルソンの内外への移動は厳しく制限され、夜間には厳しい外出禁止措置がとられるなど移動の「自由」が奪われたということです。
住民たちによるロシアに対する抗議活動は制限され、ついには弾圧されるようになり、自分の考えを主張し、集まって平和的に訴える「自由」も失われたといいます。
「人々が抗議のデモを行うと、ロシア軍は、はじめは様子を見ていました。しかしその後、デモを排除するようになり、犠牲者も出ました」
また、元軍人や警察官などのリストが作られ、家族や友人を含め自宅などの捜索が行われるようになりました。
そして、バニナさんがヘルソンから脱出する前には、600人以上が拘束され、その後、遺体で見つかった人もいたということです。

バニナさんの長女のオレクサンドラさん(17)。当時、3か月あまり家に閉じこもっていました。
その理由について、次のように語りました。
「同級生の姉がロシア兵に連れて行かれそうになりました。女の人はみんな外に出るのを怖がっています」
インターネットやメディアも選べない

ロシアの支配が進む5月末からは、携帯電話が通じなくなりました。インターネットも遮断され、クリミアにあるロシアのネットワークに接続しない限り、インターネットにアクセスできない状態になってしまったということです。
このためインターネットの接続を求める人たちが、ロシアの通信会社が提供する携帯電話用のSIMカードを買い求めようと、街のあちこちで長い列を作ったということです。
しかし、ロシアの通信会社のネットワークでは、ウクライナの政府やメディアのホームページへのアクセスは制限されていました。さらにロシア軍によってテレビ塔の機器が破壊され、通常の放送はロシアの番組しか見られなくなり、当たり前だった知る「自由」も奪われたといいます。
介入は行政にも “街が死にかけている”

街で進められる支配の既成事実化は行政にも及んでいました。
市民が選挙で選んだ市長に取って代わるように、ヘルソンの行政府の長だとしてロシアが一方的に任命した人物の下、教育から福祉までありとあらゆることに介入が始まっていたといいます。
「たとえば、ロシアの教育プログラムを導入しようと教員たちを集めていました。幸い誰も賛同しておらず、うまくいっていませんでしたが」
バニナさんは、住民のさまざまな「自由」を奪いながら進む「ロシア化」の動きをいま止めなければ、取り返しがつかないことになると訴えます。
「街の様子は一見すると正常に見えますが、ヘルソンの街はもう死にかけています。ソビエト時代だった30年前に後戻りしてしまいました。このままでは未来はありません。ヘルソンの人々は解放されるのを待っています」