もう車は動けない…6人救った介護職員の判断は【被災地の声】

「がんばれよー、がんばれよー、津波来るよー!」

その介護職員は坂を上りながら、脇に抱えたデイサービスの利用者に声をかけ続けました。

降りたばかりの送迎車には、津波が迫ってきていました。

違う方向に逃げていたら命はなかったかもしれない

珠洲市で利用者とともに津波を免れた介護職員の女性が、当時を振り返りました。

「目の前で家が倒壊していきました」

珠洲市蛸島町の稲川久美子さんは、市の社会福祉法人「長寿会」が運営するデイサービスセンターの職員です。

1月1日、地震が来たのは市内の宝立町春日野で車で利用者を送迎している時でした。

最初に揺れを感じたあと、車の外で利用者の家族と話をしている時に2回目の強い揺れがあったということです。

【瞬間映像】揺れの瞬間から津波まで

稲川久美子さん
「現実ではない、映画を見ているような感覚で…すごく長くて、今までにないくらい長くて、どうなるんかなって。目の前で家が倒壊していきましたし、土煙というかバーって上がって、ほんと怖かったです。

“このまま止まらないのでは”と思うくらい長かったです。立ってられないけど、しゃがむことすらできないし、もうその場でふんばるだけでした」

「降りていただくしかない」

揺れが収まると、稲川さんは大きな判断を迫られました。

車に乗っている6人の利用者を、どうすればいいのか。

稲川さんはまず「6人も乗っているので車を動かせれば」と思ったと言います。しかし…。

「さっき降りてきた橋には段差がありました。前は家が倒壊して道が下がっているから、もう車では動けないと思いまして。それで降りていただくしかないと思いました」

避難所に続く坂

6人が避難できるよう、近くの人に背負ってもらったり、通りかかった軽トラックに乗せてもらったりしました。

その後、自身も2人を両脇に抱えて橋の段差を上りました。

そして、避難所となっている高台の施設を目指したということです。

「途中息切れして、でも『津波来るかもわからないから頑張ろう』って言いながら歩いて行きました。その途中で津波注意報、そのすぐ後に大津波警報に変わったので、“絶対津波が来る!”と思って『がんばれよー、がんばれよー、津波来るよー!』って言って、何とか坂まで行きました」

その間、「10分前後だったと思うが、とても長く感じた」といいます。

そしてようやく、避難所となっている高台の施設に、利用者とともにたどりついたといいます。

その後、家族の安否の確認などをしていたため、稲川さんは翌日まで津波が到達していたことに気づかなかったということです。

しかし、送迎車のドライブレコーダーの映像には、地震発生から約40分後に茶色く濁った津波が住宅地まで押し寄せ、がれきとともに送迎車が流される様子が記録されていました。

「そっちに逃げていたら…」

稲川さんも後日、映像を確認しました。

「津波が来ていた時、実際に来ていたとは知らなかったんです。利用者さんを送る予定があったので、そっちの方向に逃げていたら自分も命はなかったかもしれないと思いました。そして、もし利用者の方々に何かあったら、一生背負っていくことになっただろうなとずっと思っています。みんなが無事だったことが本当に一番です」

稲川さんは現在、夫と一緒に自宅近くの避難所で生活を続けています。

今後について、複雑な心境を明かしました。

稲川久美子さん
「私は蛸島生まれの蛸島育ちで、嫁ぎ先も蛸島で、ずっと蛸島です。この町で暮らしてきたので離れられないのも事実ですし、これからも地震や津波が起きないとは言えない場所で暮らしていくとも怖くて、どうするか思い切れないですね」

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