冗談だよって出てきてくれたら…兄弟仲だった消防団員の最期

火事場でも一番に駆けつけるような彼でした。

生き埋めになったのは、最初の地震で家族を避難させ、自宅に戻って消防団の活動服に着替えた直後。

亡くなった消防団員は、片手に消防団の活動服のベルトを握りしめたままでした。

そこの陰あたりから『冗談やわいね』って出てきそうな…冗談であってほしいです、本当に

“弟みたいな存在だった“という消防団の団長が、話を聞かせてくれました。

“責任感が強く、熱い男”

輪島市門前町にある高根尾地区の稲垣寿(いながき ひさし)さん。

元日の地震の直後、救助に向かおうと準備をしていたさなかに自宅が倒壊し、亡くなりました。

46歳の稲垣さん。20年にわたって地元の消防団員として活動してきました。

“真面目で責任感が強く、熱い男”。

火事の現場でも一番に駆けつけるような、みなを率先するリーダー的な存在だったといいます。

輪島市門前町の消防団

消防団の活動以外でも、ふだんから周りに明るく接し、レクリエーションや趣味の魚釣りに誘うこともありました。

団長もせんかいね、魚釣りせんかいね

団長の室端宏(むろはた ひろし)さん(62)は、子どものころから稲垣さんを知る仲で、家族のように接してきたといいます。

室端さん
「消防に対する意気込みが本当に、消防団員の中でもしかしたら一番熱かったかもしれませんね。仲間であり、本当に家族同然。弟みたいな存在でした。けんかもしましたしね、でも、それでも兄弟と一緒です、本当に。あとくされもなく、次の日から仲よくやってました」

「俺はもうダメかもしれない」

前日の12月31日、大みそか。

室端さんと稲垣さんはこの日も会っていました。

稲垣さんは夕方まで消防団で地域を巡回。ポンプ車を運転していました。

翌日の元日、夕方に地震が発生すると、稲垣さんは自宅に一緒にいた母親と祖母をすぐに家の外に避難させました。

そして、地域の人たちの救助に向かうため、消防団の活動服に着替えようと家に戻りました。その時でした。

家屋が倒壊。1階部分がつぶれ、稲垣さんはその下敷きになりました。近所の人が駆けつけて呼びかけると、当初は応答が。

痛い、痛い

稲垣さんは大きなはりに足を挟まれていて、そう声をあげていたといいます。

消防車や救急車が来られないという中、地域の人たちはチェーンソーで倒れてきた柱などをどかしていきました。

しかし、救助は難航。

稲垣さんは「俺はもうダメかもしれない」と発したといい、およそ2時間後に運び出されたときには、息がありませんでした。

手には消防ベルトが握られて

一方、室端さんは発災後、門前総合支所にいました。

そこに設置された被害情報などをまとめるホワイトボードを見ると、その名前が目に入りました。

高根尾地区 40代男性 稲垣寿

うそだろう…

室端さんは、団員2人とともに稲垣さんのもとに向かいました。到着したときには、稲垣さんは近くの集会所に敷かれた毛布の上に横たわっていました。

団長の室端宏さん

室端さん
「“本人に意識がある”と聞いて、当初は大丈夫かなと思っていたのですが、到着したときはもはや意識はなく、担架代わりの毛布に運ばれてちょうど出てきたところでした。まだあったかくて。ちょっと、口元は笑みを浮かべているようなそんな感じでした」

活動服姿だった稲垣さん。見つかったとき、その片手は、ズボンの消防ベルトを握りしめたままでした。

最後まで消防団員として

家族からの要望で稲垣さんは、消防団の活動服を着たまま、火葬されたということです。

稲垣さんの自宅前を訪れた団長の室端さん。

涙ながらに、こう語ってくれました。

室端さん
「最後まで消防団の団員でした。彼は消防団の誇りです。今の若い子には消防団に入りたくないという人も入る中、いいお手本だったと思います。彼の場合は、自分が消防団を引っ張っていくんだ、その使命感で頑張っていました。片手でベルトを握りしめていた最期の姿は、使命感以外にないと思います」

「24時間前に会っていて、言葉にならないですよね。ずっと何十年も一緒にいますからね。なんかそこの陰あたりから本人が『冗談やわいね』って出てきそうな、死んだのは受け入れられませんし、冗談であってほしいです、本当に…あの笑顔がもっと見たかった」