実家倒壊「助けを呼んで」母の声 しかし…【被災地の声 21日】

地震が起きたのは、家族3人でおせち料理を食べていた時でした。

両親が下敷きになり、助けを求める母の声が聞こえました。

しかし津波警報が出ていたうえ、火災の火の手がすぐそばに。

大規模な火災が起きた輪島市の「朝市通り」近くの実家で被災した男性が、胸のうちを明かしました。

輪島市 朝市通り近くの実家で

清水宏紀さん(46)は地震が起きた今月1日、実家で父の博章さん(73)と母のきくゑさん(75)の3人でおせち料理を食べていました。

最初の揺れのあと、家族を車で避難させようと外に出た時、2度目の地震が襲いました。

実家は倒壊。

しかし、近所の住宅でも生き埋めになっている人が多くいたため、外から見えている人を優先して助け出すことになりました。

時間をかけてなんとか救出したあと、実家に戻って両親を助けようとしましたが、家は大きく崩れ、外から2人の姿は見えません。

清水さんが呼びかけると、母のきくゑさんの声がしました。

助けをなんとか呼んでくれ。あなたが頼り。

しかし、火が近くまで迫り、両親を残してその場を離れざるを得ませんでした。

清水宏紀さん
余震と、津波警報と、火の手がすごかったので、最後は逃げるしかなかったです。

「現実の感じがしない」

今月9日。

朝市通りの火災現場で集中捜索が始まり、実家があった場所で人の骨が見つかったと警察から連絡を受けました。現在、DNA鑑定が進められているということです。

清水さんは、今の思いをこう話しています。

当日から現実の感じがしなくて。目の前のことに集中しないと、バランスが崩れて落ちていくんじゃないかって。

輪島市山岸町 93歳母が自宅の下敷きに

輪島市中心部の山岸町に住んでいた高はるみさん(93)は、地震で倒壊した自宅の下敷きとなり、その後、救出されたものの搬送先の病院で亡くなりました。

息子の義明さんによりますと、実直で我慢強い性格で、厳しくも優しい母親だったということです。

義明さんは地震が起きたとき妻と市の外にいましたが、親戚から「実家が崩れている」と連絡を受けました。

深夜に戻りつくと、2階建ての住宅の1階部分が押しつぶされた状態になっていました。

懸命に呼びかけたものの、はるみさんは高齢で耳が聞こえにくく反応はありませんでした。

「確実に生存している人を」

近くの消防署に向かい救助を求めましたが、当時、市内では多くの建物が倒壊し、中心部で大規模な火災も起きていました。

市内のいたるところから救助を求める通報が相次いでいたため、確実に生存している人を優先せざるを得ないと伝えられたということです。

はるみさんは地震翌日の夕方、意識がある状態で自衛隊に救助され、一時、会話ができる状態にまで回復しました。

しかし2日後の4日、義明さんが見守る前で静かに息を引き取ったということです。

高義明さん
働きものの母でしたが、足を悪くしてからは家にいることが多くなっていました。娘を早くに亡くしたため私がたったひとりの子どもで、たまに顔を見せるととても喜んで出迎えてくれました。

仕事があるため頻繁には帰省できず、自分としては親孝行しきれていなかったので申し訳ないと思っています。

「できれば早く助けて欲しかった」

義明さんは、すぐに助けてあげられなかったことを、今でも悔やんでいるといいます。

母が最後に残したのは『奥さんと2人仲良くしなさい』という言葉でした。育ててくれて感謝の気持ちしかないですし、できれば早く助けて欲しかったです。

あれだけの災害が起きてしまったのでしかたないとも思いますが、耳が不自由で呼びかけに応じられないのにどうしろと言うのでしょうか。すぐに助けてあげることができずに真冬の寒い中で長い時間、痛い思いをさせてしまったことが悔やまれます。

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