「別れたくない…でも母は健康でいて」【被災地の声 17日】

「悲しいけど、寂しいけど、おふくろには健康でいてもらいたいって思いで」

同居する母には2次避難してもらい、自分は被災地に残ることを決めた男性のことばです。

地震から17日目。

被災地で取材にこたえてくださったみなさんの声をまとめました。

珠洲市若山町 2次避難で離ればなれも

より安全な場所に移る「2次避難」が進められるなか、離ればなれになる家族もいます。

珠洲市若山町北山の9世帯20人は廃校になった小学校に身を寄せていましたが、15日までに6世帯15人が市の外に移ることを決めました。

このうち小家伸吾さん(44)は、父親の精一さん(75)とともに珠洲市を離れることになりました。

小家伸吾さん
僕のうちは土砂崩れでひどい被害を受けて、住めるような状況ではないです。北山の皆さんもなかなか昔のようには住むのは難しいんじゃないかなと。みんなが納得して避難しているかは僕にはわかりません。家族の説得を受けて泣く泣く行く、という人が多かったと思います。

「もう会えないかもしれない」

先に地区を離れた人たちもいます。

小家さんの妻と子どもは先に金沢市に向かい、妻の実家で過ごしているということです。

「また北山の人たちで集まりたいね」と言って別れました。本当に長年お世話になった方と、もしかしたらもう会えないかもしれないくらいの別れになるので、すごく悲しかったです。一生懸命やってきたのにとか、それが一瞬でなくなってしまったので、無念さを皆さんから感じますし、僕も悲しいです。

今後のことについては。

仕事の再開の見込みは今のところはめどは立っていないというのが正直なところで、まずは2次避難して考えようかなと思います。子どものことを考えると安全なところにいたいし、これまで仕事で携わってくださった方の恩返しもしたいので、その気持ちで板挟みという感じです。

「悲しいけど、寂しいけど」

一方、同じ地区の蔵宗茂夫さん(60)は、自身は仕事のため残りますが、同居する母親には2次避難してもらうことを決めました。

蔵宗茂夫さん
今、仕事も再開してるもんで、おふくろは1.5避難先へ1人だけ行ってもらおうかなと思って。大変だし1人では寂しいだろうけど、安全な場所に行ってもらうのが今のところは一番ベストな形かなと思って判断して。

悲しいけど、寂しいけど、おふくろには健康にいてもらいたいしって思いで。もう終わったことはどうしようもない。現在のことも素直に受け入れて、とにかく少しでも一歩前に行くことができればっていう気持ちだけですね。仮設住宅に入れるときが来るまで、何かしらここで頑張ろうかなというのが今の考えです。

一方、地区を離れる母のフミ子さん(86)は涙で声を詰まらせながら、こう話していました。

フミ子さん
どのような寂しいことがあっても、この子と別れたくないって言ったけど、こういう形になってしまって。寂しいです。

輪島市 集団避難の中学生が白山市へ

輪島市は市内の中学生約250人に、白山市にある県の施設へ集団で避難してもらうことになり、17日、施設に向けたバスが出発しました。

高校受験を控えた中学3年生の宮脇瑞月さんは受験勉強に取り組むため、集団避難を決めました。

出発を前に瑞月さんは、思いを話してくれました。

宮脇瑞月さん
ちょっと不安はあります。ある程度施設は整っていると思うので大丈夫かなと思います。頑張らないとなと思います。

出発するバスを両親が見送りに来ました。

父・学さん
「頑張ってこい」としか言いようがない。こっちにいても風呂もないし。成長して帰ってきてほしい。

「受験は3月 絶対避けられないので」

宮脇瑞月さんと両親は、出発前日の16日、準備に追われていました。

息子があわただしく出発することになり、母親の由紀子さんは複雑な心境を話していました。

由紀子さん
14日に荷物準備してくださいと言われてあした出発することになって、家族の時間は3日ぐらいしかなくて。この子と離れたことがないので、でも受験生なんで頑張るしかないし、私たちも頑張るしかないです。

一方で、もしもの時のことも、考えてしまうと言います。

まだ余震があるので、うちで何かあったらこの子1人になる。そう思ったら心配です

揺れ動く中で、それでも送り出すことに決めた理由については、次のように話していました。

息子はずっと友達とも会えなくて『あの子どうしとるんかな』とか連絡ができる子とはしていたみたいですが、『あの子の家、火事で燃えてんて』とか、そういう情報ばっかりこの2週間いろいろ入ってきていたので。

やっとあした仲間に会えるのも楽しみにしとる部分もあるし、あと数か月で受験という不安もあるやろし、ここにいても衛生的にもよくないし、行ってくれた方が元気に少しの間だけでも快適に暮らせるんかなと思います。

そして、自宅を長期間離れるのを前に、瑞月さんは。

瑞月さん
遠くのところに行くので不安なことはあります。大きな地震があってから2週間ぐらいたって、まだいつ来るか分からないので不安はありますけど、受験は3月にあって、絶対避けられないので頑張るしかないです。

「うれしそうな顔 初めて見ました」

17日からしばらく離ればなれの生活が始まります。

母親の由紀子さんは、バスに乗り込む前の息子の表情に、少しほっとした様子でした。

由紀子さん
うれしそうな顔をことしに入って初めて見ました。みんなといるほうがいいんかなと思いましたね。友達と久しぶりに会ってうれしそうで、あれなら大丈夫かなと思えたので、頑張ってきてほしいです。

父親の学さんは、連絡は家族のLINEグループでとり、お互いの無事を確認できればと話していましたが、この逆境の中で、瑞月さんが大きく成長してくれることを期待していました。

学さん
(白山市までは)この状況だとだいぶ時間かかるので、親がしゃしゃり出て行ってもほかの人の邪魔になるだろうし、子どもも恥ずかしいでしょうし、これを機になるべく子どもの自由にさせてあげたいと思います。受験も行きたいところ行ってくれればと思います。

富山県高岡市横田地区 液状化でマイホームが…

今回の地震では、液状化の被害も深刻です。

富山県高岡市横田地区に住む川路康允さん(47)も、自宅が被害にあいました。

自宅付近は液状化

川路さんは1月1日、家族や親戚と市内の神社に初詣に行っている時に、被災しました。

急いで自宅に戻ったところ、一見、大きな被害は見られませんでした。

しかし、安どするまもなく、建物自体が傾いていることに気がつきました。家の中に入ると揺れで食器棚から落ちた皿が割れ、すべての部屋が散乱した状況でした。

傾いた家の中で片付け作業をしていると、平衡感覚がおかしく、次第に気持ち悪くなりました。夜は家族とともに避難所の公民館で一夜を明かしました。

みずからアパート借り避難も

傾きは、日に日にひどくなっているといいます。自宅の中のドアは勝手に開いてしまいます。

さらに、タンスの引き出しも自然と開いてしまうということです。

勝手に開いてしまうドア(20秒の動画です)

市の応急危険度判定でも「危険」と認定されました。いつ地盤が崩れるかわからず、自宅での生活はできません。

現在は、自宅近くにアパートを借りて自主的な避難生活を送っていますが、いずれは戻って生活を再建したいと思っています。

「準半壊」認定 生活再建に不安

「危険」と認定されるも…

しかし今月15日、市からの連絡を受け、驚きました。市の調査で、自宅が「準半壊」と認定されたのです。

住宅の被害の程度は、大きな順に次の5段階に分かれています。

「全壊」
「大規模半壊」
「中規模半壊」
「半壊」
「準半壊」

調べてみると、多くの再建支援が「半壊」以上の被害にしか適用されないことがわかりました。

市によると、「準半壊」では以下の支援が受けられません。

▽生活の立て直しのための貸付金(限度額・150万円から350万円)
▽賃貸型の応急住宅の提供

さらに、住宅の応急修理に対する国からの支援も、「半壊」以上であれば上限が70万6000円ですが、「準半壊」の場合は、半額の34万3000円となっています。

なんとかまたこの家で暮らしたい

自宅を建てたのは約20年前。念願のマイホームで3人の子どもを育ててきました。

2016年 自宅前で撮影

なんとかまたこの家で暮らしたいと、雨や雪をよけるためにブルーシートをかけるなど、できることはしているといいます。

川路さん
子どもが育った思い出の詰まっている家です。「いつ元の家に戻れるのか」と聞かれるたびに、つらい思いになります。ローンも10年あまり残っています。命があるだけいいと思っていましたが、将来をどうしたらいいのか、生活の基盤を整えていくにはどうしたらいいのかと考えると、精神的にも厳しい状況です。いつ元の生活に戻れるかとても不安です。

川路康允さんは、NHKの情報提供窓口「ニュースポスト」に寄せられた投稿をもとに、取材に応じてくださいました。

避難生活での困りごとや悩みごと、相談できずに困っていることなども含めて、こちらの「ニュースポスト」へ情報をお待ちしています。

避難している方や支援にあたっている方など、みなさんの「被災地の声」をまとめた記事はこちらです。