石川県珠洲市では、津波に巻き込まれながらも一命を取り留めた男性がいます。
珠洲市宝立町鵜飼地区の市町俊男さん(75)です。
津波にのまれ一命とりとめ「申し訳ない」【被災地の声 16日】
「もうだめかな、と思いながらもがいているうちに、すーっと波が引いて」
珠洲市で津波にのまれながら一命をとりとめた男性のことばです。
地震から2週間あまり。
依然、強い余震も続く大変な状況の中で取材にこたえてくださったみなさんの声をまとめました。
被災地の状況について、こちらから情報をお寄せください
珠洲市宝立町 津波にのまれ一命を
市町俊男さん
もともとここは大きな地震、あんな大きな津波がくるというのは考えられない、本当にまさか、という感じなんです。
市町さんは妻と、妻の両親の4人で暮らしていました。
今月1日、地震の揺れは今まで経験したことのない、ものすごい揺れでした。
「これはだめや」と思い、「地震だ地震だ、早く逃げるぞ」と家族4人で一緒にすぐに玄関を出て、近くの避難所を目指しました。
ふだんから、どうやって避難所まで行くかは想定していましたが、その経路の幅1.5メートルほどの狭い道路は周囲の住宅や塀が倒れ、通ることができませんでした。
そのため遠回りしながら避難所へ急ぐ途中、津波が襲ってきたといいます。
市町さん
最初に来た時はたいしたことないなと思ったんです。でも第2波か第3波か、その時は道幅が狭いので一気に海水が上がった。私もなんとか逃げようとして、海水の中くるっと一回転して海水を飲みました。
「もうだめかな」と思いながらなんとかもがいているうちに、すーっと波が引いていき、助かることができたということです。
運がよかったと言うか、その時は柔らかく優しく引いていって、そのおかげですぐに逃げることができました。
一緒に逃げた義理の父の姿が…
しかし、一緒に逃げた義理の父親の衆司さん(89)の姿が見えません。
大きな声で「こっち行くぞこっち行くぞ、逃げるぞ逃げるぞ早く早く」と声をかけていましたが、津波に襲われる中でわからなくなったということです。
捜しに行くべきか迷いましたが、津波に再び襲われるおそれもあったため、妻と義理の母親と一緒に避難所に向かわざるをえませんでした。
衆司さんは地震から2日後、自宅からおよそ200メートル離れた場所で遺体で見つかりました。
市町さん
安置してある所に私と妻とで行きました。「申し訳ありませんでした」と、2人で頭を下げました。10月末に脳梗塞で歩くのも不自由だった中での避難で、やっぱり一緒に逃げれんかったのが非常に悔やまれます。
地震があった1日の朝も、衆司さんは日本酒、市町さんはビールで、おせち料理で一杯飲んでお正月を祝いました。
次は夕方、残りの料理もたくさんあったもんでそれでやろうと思っていたんですが、こんなことになって残念です。
残された私らがこれからのことをよく相談して次に進んでいこうと思っていますがまだ気持ちの整理がつかず、時間はかかるかなという状況です。
「みなさんに訴えたい」
市町さんは阪神大震災のあと、防災士の資格を取得し、地区の代表として地元の人たちに防災を呼びかけていたということです。
珠洲でそういうこともあったということで、ほかの地域で大地震があった時にはとにかく海岸線の人はいち早く逃げる、何も持たなくていいからすぐに逃げる。高台の方へ。山の方は土砂災害が起こる可能性が十分にあるのでそのへん考えながら判断して逃げていただきたいなと思います。
とにかく命が大事ですので、何がなんでも早く逃げる。逃げてたいしたことがなかったと、それはそれでいいんです。とにかくいち早く、ああいう津波警報が出た時は体を一番大事に、いちはやく高台に向かって逃げるということを改めてみなさんに訴えたいと思っています。
そして最後に市町さんは、行方不明になった人たちの捜索にあたっている自衛隊や消防士、支援にかけつけた人たちへの感謝の気持ちを口にしました。
市町さん
「この人を探している」というと、その親戚や、よくつきあいのある人とも連絡を取りながら必死でやっていただいているので本当にありがたいなと思っています。県外から炊き出しに来てくれた方々もいて、心まで暖まる食事の提供に本当に助かっています。
輪島市門前町 被災地に残る人も
家族を外の地域に「2次避難」させ、みずからは被災地に残っている人もいます。
輪島市の西側の海沿いにある門前町道下地区で避難生活を続ける宮永敬さん(61)です。
「飛び上がってひざから地面に」
宮永さんは84歳の母と同居しています。
地震が起きた1日は、金沢市で暮らす子どもたちなど親族8人が集まっていました。
宮永敬さん
はだしで外に飛び出したのですが、立っていられないほどの揺れでした。まるで柔道で足をすくわれた時のように、飛び上がってひざ付近から地面に落ちました。家の中に長女が取り残されていたのですが、なんとか家から引きずり出して8人全員無事でした。
その時、「大津波警報」が出ていました。
揺れが収まるとすぐ高台の避難場所に移動しようとしましたが、母親は柱に頭をぶつけてけがをしていました。
ほかの5人に先に行くように伝えて、弟と2人で母を抱え上げて運ぶことにしました。
この時点で携帯電話はつながらなくなっていました。
その後、避難所になっている諸岡公民館での避難生活が始まりました。
隣接する公民館、集会所、保育所の3つの建物にあわせて400人を超える人が集まっていました。
宮永さん
正月で帰省している人も多かったので、いつもより人がたくさんいました。食事を用意するために倒壊していない家の人が家に行ってみそなどの調味料を集めたり、野菜を畑から採ってきたりして鍋でみそ汁を作っていました。
家族を送るため車で金沢へ、大阪へ
1月3日まで避難生活を送ったあと、宮永さんは車で金沢市を目指しました。
仕事や通学のために金沢市内で暮らす2人の娘と妻を、金沢市の自宅に送るためです。
道路は各地で通行止めとなり、海沿いをう回しながら進みました。それでも金沢方面へ向かう道は渋滞していなかったため、行きは3時間あまりで着くことができました。
輪島に戻ってきて、今度は母親に大阪にある親戚の家へ避難してもらうことになりました。先の見通しが立たないため、一時的に輪島を離れてもらうことにしたのです。
大阪まで車で送り届けて14日に1人で輪島に戻り、再び避難生活を始めました。
先行きは見通せないものの職場も輪島にあり、自宅の片づけや避難所の支援をしながら過ごすことになりました。
変わり果てた景色
一方で、多くの家が倒壊し、住み慣れた地域は変わり果てていました。
宮永さん
町を回ってみると、だいたい7割から8割の家が見るからに「もう住むのは無理だろう」というような壊れ方をしていました。17年前の地震で建て替えた家は残っていますが、建て替えなかった家はほぼ壊れていました。道も崩落してしまっているところが多いです。
宮永さんや地域の人たちが慣れ親しんだ漁港周辺も、まったく様子が変わっていました。
地元の漁港周辺では地盤がおよそ4メートル隆起し、一帯の海底が露出していました。
黒島漁港のあたりは“ちっこ”と呼ばれていて、防波堤があって小さな漁船が出入りするところでした。ところが、これまで海岸線だったところがすべて砂浜になってしまっていたんです。この光景には驚きました。「もう漁港として使うのはムリだろう」と言う人たちもいます。
苦しいのは「めどが立たないこと」
今、避難所では事務作業やトイレ周りの片づけなどを担っているほか、自宅再建のための手続きなどを進めています。
また宮永さんは輪島高校定時制の教諭ですが、職場の高校も避難所となっているため、学校再開のめどは立っていません。
宮永さん
避難所は電気が通るようになりましたが、下水を含む水道はまだです。自宅は電気も水もまだダメ。そういう家ばかりです。気がかりは、今後のめどが立たないことです。
例えば電柱が根元から倒れているところが多く、電気の復旧には当分時間がかかるのではないかと言われています。下水道が通るようになるのも最低3か月くらいはかかるとか。いつごろになったら不便なく過ごせるようになるのか、見通しが立たないんです。今、避難している人もそういった思いの人が多いと思います。
高齢者が多い避難所の人たちのことも心配です。
新型コロナに感染する人も出ていますが、病院で受け入れることができず、避難所と自宅で隔離するなどの対応を迫られているということです。
水道が直らないので衛生状態がよくないし、よくなる状況にないです。医療関係者は巡回してくれていますが、なにせ高齢者が多い地区なので、体調が悪い人は増えているような状態です。そろそろ職場にも顔を出そうと思っているのですが、道がどうなっているやら。ふだんは30分で着きますが、数時間かかるのではないかと覚悟しています。
「輪島に行きたい 復活させたい」
こうした宮永さん家族の避難状況は、3日まで道下地区で避難していた高校2年生の三女がNHKの「ニュースポスト」に投稿して知らせてくれたものでした。
今、金沢市内で母と姉と一緒に生活している三女は、次のように話しています。
宮永さんの三女
金沢の家では電気もつくし、水道も通るし、同じ県でも「別世界」です。家のテレビで輪島朝市の焼け野原のような姿を見たときは何もことばが出ませんでした。
輪島には幼なじみや友達がたくさん残っています。先週も連絡を取りましたが「まだシャワーも浴びれていない」と言っていました。今すぐにでも輪島に手伝いに行きたいです。私は輪島で育ったので、絶対に復興させたいし、町を復活させたいと思っています。
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