「ゆっくり休む場所なく インフル感染も」【被災地の声 11日】

元旦の突然の地震から10日がたちました。

多くの人が日常を奪われ、今も各地の避難所などで避難生活が続いています。

大変な状況の中で取材にこたえてくださった被災地の方々の声をまとめました。

珠洲市からバスで金沢市の避難所へ

地震で被災した高齢者などの一時的な受け入れ先となる「1.5次避難所」に移送するため、石川県が用意したバスが珠洲市に11日初めて入り、およそ30人の高齢者が金沢市内の施設に向かいました。

石川県は、金沢市の「いしかわ総合スポーツセンター」を一時的な受け入れ先となる「1.5次避難所」に指定し、配慮が必要な高齢者などについて被災地の避難所から移ってもらうことにしています。

輪島市や穴水町などに続き、珠洲市にも11日初めて、県が用意したバス3台が到着しました。

珠洲市の道の駅「すずなり」には、金沢市内への移動を希望した高齢者26人が集まり、バスに乗り込んでいきました。

「その後はわからない もう頑張るしかない」

70代の男性は地震のあと着の身着のままで生活してきたと話していました。

70代男性
やっぱり水道、電気。それから震度6くらいのが来ると、先がわからないですから怖くてね。これから先の揺れの心配もありますし。近くの食料品店とホームセンター、そういうところがまったく開店してないもんで、当たり前の生活が当たり前に出来ないという不便さもあります。

お風呂は去年の年末に入ったのが最後でした。当たり前に風呂があり、最小限の食事が出来る。その日その日の暮らしが出来る。テレビが見られる。そういうことを希望します。

70代の女性にも聞きました。

70代女性
電気も水も来てませんし。ここまではなんとかみんなで来ましたけど、この先2か月3か月、いつになるかわかんないとなると、この生活は続けられないよねっていうことです。お風呂も入れませんし。いくら水が来ても十分にお茶碗を洗うとかはできませんし、ちょっと無理ですよね。

今後のことについては「どうなるかわからない」としたうえで、次のように話していました。

電気・水道が通れば私は戻ります。家がなんとか住める状態なので片づけて戻ります。戻るという方も多いと思います。でも戻れないっていう方もいますよね。お年寄りの方がもう家がどうしようもないという方とかですね。でももう頑張るしかないですもんね。

石川県では、12日以降もバスを使った移送にあたる予定です。

「水が出ない 調理できずカップ麺を食べられない」

また、珠洲市東部に位置する飯田町で避難所となっている飯田小学校では、10日時点で高齢者など260人あまりが教室で避難生活を送っています。

町内会長の泉谷信七さん(73)によりますと被災当初の3日間は救援物資がない状態でしたが、4日目から自衛隊が入り、物資が届き始めたということです。

ただ、現在も水は出ない状態が続いていて食事にも制約があるといいます。

町内会長 泉谷信七さん
調理ができないので、たくさん届くカップラーメンなどを食べることができません。手を加えずに食べられるパンなどがあるととてもうれしいです。

さらに衛生環境を保つために必要な消毒液や水がなくても使える掃除用具、それに歯ブラシなども不足しているということです。

避難している人の中には家が全壊や半壊している人もいます。学校が始まったら教室をあける必要があるため、今後、どうするかを考えないといけません。地域はひどい状況で現状を整理することで精一杯です。

能登町小木の避難所では

能登町小木の避難所には11日も約110人が身を寄せています。その多くは高齢者で、体調を崩す人も出ています。

70代の男性は地震の揺れで家が壊れ、帰ることができないと話していました。

70代男性
うちの屋根さえなおりゃうちに帰れるかと思ったんやけど、なかなか帰られん。瓦なおさんにゃ雨漏りしとるさけ、帰るに帰られんし。これからこういう大きい地震来なきゃいいなって思ってる。

「医療従事者もまだ全然足りない」

また、避難を続けている50代の男性は、日中は自宅の様子を見に帰って、夜は避難所に帰ってくるという生活だということです。

避難所の様子については。

50代男性
高齢者が多いので、疲れてる方は多いと思う。僕、今56歳ですけど、下から数えた方が若いほうなので高齢の方は大変なんじゃないかなと思います。夜もせきとかしている方も多いので、マスクしながら気をつけてます。

能登町では10日午後2時の時点で、避難所で体調を崩した高齢者2人が亡くなっていて、町は「災害関連死」の疑いがあるとしています。

男性によると、この避難所では転倒して傷を負った人がいたほか、2日ほど前に救急車で運ばれていった高齢の女性もいたということです。

町内の避難所では秋田県の医師や看護師、薬剤師、8人からなるチームが巡回して、被災した人の診療にあたっています。

診療にあたった秋田赤十字病院の土佐慎也医師は、次のように話しています。

秋田赤十字病院 土佐慎也医師

想像より被害の規模、状況が悪いという印象を受けました。なので今以上に周りの手助け、いろんな職種の手助けが必要だと実感してます。医療従事者もまだ全然足りないと思います。

災害関連死を防ぐために必要なことについては。

環境を良くするというか、1人1人の居住空間を広げるとか。手洗いで感染を、断水で大変なんでしょうけど、少しでも衛生的なところの改善ですね。少しでもそういう環境をよくするということに尽きると思います。自宅や車内で過ごしている人も実際いるみたいなので、その人がいなくなるようなことを目指すのも重要です。

ゆっくり休む場所もなく 支える側の人も心配

珠洲市にある上戸小学校の避難所では、身を寄せている人の8割以上が高齢者で、インフルエンザに感染する人も出てきているということです。

避難所の運営にあたっている上口尚光さんは、今の避難生活について次のように話しています。

上口尚光さん
感染症の拡大も心配ですし、健康にもよくないし、ゆっくり休めたりする場所でもありません。きのうから医療チームに巡回してもらっているので安心していますが、避難者の中には歩いていないのでだんだん歩けなくなる可能性がある人もいます。

そのうえで上口さんは、避難所に避難しながら、ほかの避難者を支援している側の人たちのことも心配だと言います。

同じく避難して、それを支えながらボランティアをしてくれている人たちが疲弊して倒れていくのではないかと懸念しています。

避難生活を改善させるために今、石川県が特に高齢者など配慮が必要な人たちを対象に、一時的な受け入れ先となる「1.5次避難所」の「いしかわ総合スポーツセンター」(金沢市)や「2次避難所」の旅館やホテルに移ってもらうことにしています。

しかし、その情報が十分伝えられていないことにも不安を感じています。

別の避難所に入れるという情報や手続きの情報が、全く行政から来ていないのでどうすることもできません。移動したい人もこの避難所にいるかもしれませんが、じゃあどうやってそこへ運ぶかという、その方法も全く入ってきていないので何も出来ない状態です。そういう施設に入るかどうかの調査も行政の方で1人ずつに詳しく聞いてほしいと思います。

これについて、石川県の担当者は次のように話しています。

石川県地域医療推進室
スピード重視で取り組みを進めていることもあり、なかなか現場の避難所まで情報が伝わっていないということは県としても認識している。速やかな避難につなげるため、各自治体に県の職員を派遣するなどして避難所や住民への周知を急ぎたい。

野球部は山梨の系列校へ

今回の地震では、輪島市にある日本航空高校石川も被災しました。

能登空港に隣接する学校は現在、被災者支援の基地としても使われているほか、周辺道路の陥没などで復旧の見通しが立たないことから4月からは約600人の生徒たちを山梨県にある系列校で受け入れることになりました。

11日は、去年秋の北信越大会でベスト4に入るなど強豪としても知られる野球部の中村隆監督が地震発生から初めて野球部の寮を訪れました。

野球部は、一足早く主力選手など30人の練習拠点を山梨に移すことになりました。

野球部の選手はほとんどが寮生活をしていますが、中村監督たちは部屋の部員に電話をかけ必要なものがどこにあるかを聞き出しながらグローブや練習着などを持ち出していました。

中村隆監督
物が散乱して足の踏み場もないような状態で、ことばがありません。地震後すぐにコーチと手分けして安否の確認などをしましたが、特に石川県に住んでいる子たちは避難所生活をしている子もいて、家に帰れずに親族のところに避難している子もまだたくさんいる状態です。

野球部は去年秋の北信越大会でベスト4に入り、ことし3月に開幕するセンバツ高校野球の出場校に選ばれる可能性もあります。

ボランティアを含め、自分たちにできることを少しでも前を向いてやっていき、野球に向かっていければと思います。

富山市 再開できない事業所も

富山県では、営業を再開できない事業所が数多くあります。

富山市郊外にある家具や雑貨、食品などを販売する「ファニチャーパーク ケースリー」は、地震で2階の天井の一部が落ちたり、割れたガラスが商品の上に散乱したりしたほか、商品の家具が倒れて壊れました。

さらに、地震でスプリンクラーが作動したため、ベッドのマットレスやソファーなどの布製品がぬれてしまったということです。

2階は天井の修理に時間がかかる見通しで、店では比較的被害が少なかった1階の売り場だけでも先に営業を再開したいとしていますが、後片づけや商品の整理でまだ時間がかかりそうだということです。

家具店の運営会社「米三」増山隆 常務取締役
マットレスやソファーは水にぬれたり、ガラスが飛び散ったりして売り物にならなくなってしまい、全体の被害はかなりの金額になります。本来は地震の翌日の2日から初売りの予定でしたが、営業再開のめどは立っていません。

依然、孤立状態の地域も

一方、石川県内では依然として孤立し、厳しい状況が続いている地区が残っています。

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