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2023年8月21日
ウクライナ ロシア

「ロシアへの怒りを表現する言葉は見つからない」叫びを歌に込めて

軍事侵攻を続けるロシアに対して感じる、大きな怒り。

平和な日常を奪ったその国に対して、ウクライナ人である彼女の心の中には、いつも“叫び”があるといいます。

その“叫び”を歌に込めて、彼女はきょうも歌い続けています。

(国際部記者 高須絵梨)

“2つの原発事故”という体験

「いま自分の国で戦争が起きています。歌を通して支援になるのなら、続けていきたいと思っています」

こう話すのは、17年前に日本に移り住んだウクライナ人女性、カテリーナ・グジーさん(37)です。

カテリーナさんは、ウクライナの民族楽器「バンドゥーラ」の奏者で、日本人の夫と息子の3人、東京都内で暮らすかたわら、バンドゥーラの弾き語りコンサートを全国各地で開いてきました。

特に、ロシアの軍事侵攻が始まった2022年は、1年間で300回以上の公演を行い、平和と安全、そして自由な世界が実現することを願い、歌い続けています。

カテリーナさんが歌い続ける背景には、ロシアの軍事侵攻に加えて、彼女が経験し、目の当たりにした、“2つの原発事故”があるといいます。

生後1か月で起きた原発事故

いまから37年前の1986年3月。カテリーナさんは、ウクライナ北部のプリピャチという町で生まれました。

カテリーナさんの家族(真ん中で抱かれているのがカテリーナさん)

プリピャチは、チョルノービリ原発(ロシア語でチェルノブイリ原発)や周辺の施設で働く人たちのために作られた町。高層アパートをはじめ、学校や幼稚園、そして遊園地などが整備され、5万人ほどが暮らしていました。

しかし、町の中心部から南に3キロほど離れた場所にあった原発は、カテリーナさんが生まれた1か月後に爆発。

世界最悪の「レベル7」に位置づけられた、チョルノービリ原発事故です。

カテリーナさんは生後1か月で被ばくし、以降、一家は、避難生活を余儀なくされます。

学校で受けた差別

首都キーウに避難したカテリーナさんは、プリピャチに帰ることができないまま、キーウの学校に進学。

しかし、カテリーナさんには友だちができなかったといいます。

「放射能がうつる」

「病気を持っている」

同級生たちは、こんな言葉を投げつけ、カテリーナさんに近づこうとしませんでした。

また、給食のときには「なんで、お前たちだけ特別な食べ物がもらえるんだ、ずるい」と言われたのだそうです。

学校には、カテリーナさんのほかにも原発事故で被ばくした子どもたちが通っていて、政府から健康への配慮として、給食に加えてバナナ、ジュース、牛乳などさまざまな食べ物が毎日配られていたのです。

カテリーナさんは、文句を口にする同級生たちに食べ物をあげたこともありましたが、渡した瞬間に壁に投げつけられたり、足で踏みつけられたりしました。

同級生は、食べ物がほしかったわけではなかったのです。

カテリーナさんは、こうした心ない扱いに傷つくことに加え、原因不明の頭痛や突然の鼻血などの症状にも苦しみました。

よみがえる“あのとき”の記憶

そんなカテリーナさんが、6歳の頃に出会ったのが、音楽でした。

被ばくした子どもたちで作られた音楽団「チェルボナカリーナ」に入団したのです。

音楽団は、徐々に活動の場を広げ、それとともにカテリーナさんの世界も広がっていきました。

そして、10歳のとき初めて来日。そこに暮らす人たちの温かさなどにすっかり魅了され、19歳で日本に移り住みます。

その後は、日本人の男性と結婚し、息子も授かり、頭痛の症状も少しずつよくなって平穏な暮らしを送っていたカテリーナさん。

しかし、2011年3月11日。東日本大震災によって東京電力福島第一原子力発電所の事故が発生。

チョルノービリ原発事故と同じく「レベル7」に位置づけられた世界最悪の事故です。

東日本大震災直後の福島第一原発

放射性物質の影響を懸念したウクライナにいる父親から早く逃げるよう言われ、夫の実家がある関西に一時的に避難しました。

その間、ニュースやインターネットで目にした、福島の子どもたちが避難先の学校で受けていたという、いじめや差別。

カテリーナさんの中に、幼い頃の避難生活、いじめや差別の記憶がよみがえり、胸が締め付けられるような思いでした。

怒りを表現する言葉は見つからない

あれから、12年。

いまウクライナは、ロシアによる軍事侵攻が続き、子どもを含む大勢の人たちの命が奪われています。

そして、ウクライナ南部のザポリージャ原子力発電所は、ロシア側に占拠され、ウクライナの国内外から不測の事態への危機感が高まっています。

ウクライナには、カテリーナさんの姉やその家族が暮らしていて、原発をまるで戦争の道具のように扱うロシアに対して、カテリーナさんは強い憤りを覚えているといいます。

子どもと写るカテリーナさんの姉

「世界中にいる人たちが危険な状況に置かれてしまいます。この声が届くことはありませんが『本当にやめて!』と言いたいです。戦争自体を終わらせなければなりません。私の中に、ロシアという国はありません。いまの戦争のせいで、友だちをはじめ、毎日たくさんの人たちが殺されています。ウクライナ語をしゃべっただけで、ウクライナ人というだけで殺しています。ロシアへの怒りを表現する言葉は見つかりません」(カテリーナさん)

心の叫びを歌に込めて

これまでも、民族楽器「バンドゥーラ」による弾き語りのコンサートを続けてきたカテリーナさん。

ロシアによる軍事侵攻が始まって以降は、これまで以上の頻度で歌い続けています。

それは、ロシアに対する言葉にならない怒り、心の叫びを歌に込めて、1人でも多くの人に、ウクライナの置かれた現状について考え、平和と安全、そして自由な世界への希望を持ってほしいという思いからです。

カテリーナさんには、コンサートで必ず歌う、日本の歌があります。

合唱曲として広く親しまれてきた「翼をください」です。

この曲は、初めて日本を訪れたときに日本の人と一緒に歌った歌で、当時は、原発事故のない世界、いまは原発事故だけでなく戦争のない世界へのメッセージが伝わってくるといいます。

歌詞の中にはこんな一節があります。

“この大空に 翼を広げ
飛んで行きたいよ
悲しみのない 自由な空へ
翼はためかせ 行きたい”

誰も悲しまず、つらい思いをしないように。

当たり前の日常を、自由に暮らせるように。

そんな思いを込めて、カテリーナさんはきょうも歌い続けています。

「私たちウクライナ人は、やっぱり自分の国を守りたいし、奪われた町を取り戻したいのです。でも、いまその戦争を止めるのは私たちの力だけではできません。皆さんと力を合わせて、将来の子どもたちのためにも、原発事故や戦争のない安全で平和な世界の実現を訴えていきたいのです。ロシアに対する怒りは、とても強くて大きいですが、心の中にある叫びを音楽や歌で訴え続けていきます」

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