
夫が、車で自宅を出てから47分後のことだったそうです。
路上に放置されていた車は、すべてのドアが開けられ、周囲に荷物が散乱していました。そこに、彼の姿はありませんでした…。
夫はどこに消えたのか。
ロシア軍による虐殺行為を受けた町ブチャに住む、ある家族を襲った悪夢です。
(国際部・戸川武)
「足や腕を失っても、生きていて」
「足を失っているかもしれないし、腕を失っているかもしれない。それでも、夫には生きていてほしい」
ユリア・バイシュさん(41)はあふれ出てくる涙を、手のひらで何度もぬぐいながら、話してくれました。夫のビタリーさんは、ことし3月、突然消息を絶ち、今も行方がわかっていません。

ユリアさんたちが暮らすウクライナの首都キーウ近郊の町、ブチャ。ことし2月、侵攻してきたロシア軍に一時、占領されました。
ロシア軍が撤退したあと、多くの住民の遺体が見つかりました。殺害された住民は419人。(8月8日 当局発表)
性別すらわからないほど、ひどい状態の遺体もあったといいます。
「また、会えるよ」夫の最後のことば
2月24日の早朝。突如始まったロシア軍による軍事侵攻。その様子をユリアさんたちはテレビのニュースで知りました。

ただ、まさか自分たちの町まで来るとは、そのときは思ってもいませんでした。
夫のビタリーさんが、町に迫りくるロシア軍の様子を携帯電話で撮影していました。相次ぐ爆撃音。いくつも立ち上がる黒煙。人口3万人余りののどかな町が一変しました。
映像にはユリアさんに向かって、「避難しよう」と呼びかけるビタリ-さんの声が記録されていました。
それから3日後の27日。ロシア軍の戦車がブチャの街なかに入ってきたといいます。
「このままでは危ない」
当時、比較的安全といわれていた西部の町に、家族で避難することを決断します。
しかし、ビタリーさんはユリアさんの父親とともに、地元に残ると言い出しました。武器の使い方なんて何一つ知らないのに、市民で編成される「領土防衛部隊」に参加したいと打ち明けてきたのです。
ユリアさん
「『一緒に逃げよう』と、泣きながら言ったんです。でも、夫は拒みました。そのとき、すでに町では爆撃が相次いでいました。彼は車に私たちを押し込み、涙を流して言ったんです。『戦争はすぐ終わり、また、会えるよ』と」
散乱する荷物 開けっぱなしの車のドア
そして3月7日。あの日を迎えます。
夫の身に何が起きたのか。一緒に自宅に残っていたユリアさんの父親の話と近所の人が撮影した写真から、断片的なことがわかってきました。
ビタリーさんは午後4時ごろに、知人と一緒に車で買い物に出たといいます。
しかし、午後4時47分。車は路上で放置された状態で見つかりました。不審に思った近所の住民が1枚の写真を撮影していました。

車は、ボンネットのほか運転席や助手席などの4つのドアすべてが開き、何かがあったのだと感じさせる状態でした。周囲には荷物も散乱していました。
そして、そこに、夫・ビタリーさんの姿はありませんでした。
避難先から帰宅 夫を探す日々…
ロシア軍がキーウ近郊から撤退した4月。ユリアさんは2人の息子と自宅に戻りました。
「夫は絶対に生きているはず」
そう信じて、ビタリーさんの行方を探しながら、地元の警察に何度も連絡をとりました。ブチャで見つかった遺体の写真600枚も確認しました。
「夫の行方を知りたい。でも、見つけたくない…」
複雑な感情に揺れながら、一枚、また一枚と、夫の姿を探したといいます。
子どものDNAも提出しました。遺体との照合を進めるためです。
まだ、ビタリーさんは見つかっていません。
路上に放置された、あの車も見つけ出しました。車内は散らかっていましたが、血の痕などはありませんでした。
しかし、ロシア兵のものとみられる帽子が残っていました。

「夫はロシア軍に連行された可能性が高い」。ユリアさんは、そう考えています。
ユリアさん
「ロシア兵は人間じゃない。これは人間のすることではありません。この憎しみが消えることはない。ロシアにだって、夫を探しに行く覚悟があります」
「最高のパパ」「また釣りに行きたい」
2人の子どもたちもビタリーさんの無事を祈り、帰りを待っています。
「ちょっと来て」 次男で10歳のドミトロ君が、自宅のガレージを案内してくれました。見せてくれたのは、何本もの釣り竿です。お父さんは、毎週のようにドミトロ君を、近くの川や湖に連れて行って、釣りを教えてくれたといいます。

「僕に一から釣りを教えてくれたのはお父さんです。釣り針に、どうやってエサをつけるのかも、お父さんに習いました。この前の冬も、一緒に37匹も魚を釣って、バケツいっぱいになったんです。本当に楽しかった。もちろん厳しい時もあるけど、僕にとって、最高のお父さんです」

大好きなお父さんから教わった釣り。「お父さんと同じくらい僕も上手になったんだよ」そう誇らしげに語るドミトロ君。その上達した腕を1日でも早く見せられる日が来ることを、心から待っています。
ドミトロ君
「お父さんがいないのはつらい。早く家に戻ってきて、一緒に釣りに行きたい」
片時も離さない2つの結婚指輪
「愛している」
「何でもいいからあなたが生きているサインを送って」
ユリアさんはこれまで色々なメッセージを携帯に送り続けています。ただ、1度たりとも、ビタリーさんからの返事はありません。
あの日から半年。子どもたちが寝静まったあと、寝室のベッドの横に置いてある2人の結婚式の写真を見ることが、毎晩の日課となりました。

ロシアでひどい目にあっていないか。果たして無事なのか。
繰り返し襲われる絶望と、なんとか持ち続けている希望。目を覚ますと、涙を流していた日もあるといいます。それでも心配させないよう、子どもたちの前では泣かないように決めています。
いまユリアさんの左手の中指と薬指には、2つの結婚指輪があります。ひとつはみずからの指輪。そしてもうひとつはロシア兵に奪われたくないと自宅に置いていったビタリーさんの指輪。

2つの指輪を身につけているからこそ、目の前にはいない夫・ビタリーさんを感じ、今を生きていられるのです。
ユリアさん
「彼とは死ぬまで一緒に過ごしたいね、この家でずっと夕食を一緒に食べたいねって、話していたんです。夫を愛しています。夫が私たちのもとに帰ってくる日を信じています」