2023年11月8日
パレスチナ イスラエル 中東

軍人でも政治家でもない、私はただの母親です…

「10月7日以降、私は地獄にいます。一刻も早く、子どもたちを無事に返してほしい」

そう絞り出すように答えた女性。

あの日、武装組織の戦闘員に母親とめいを殺され、2人のわが子は連れ去られました。

奇襲攻撃。そして報復として拡大する軍事作戦。

互いに譲れない立場や理屈はある。でも犠牲になるのは市民、そして子どもたちです。

「私は軍人でも政治家でもありません。ただの母親です」

(国際部記者 小島明)

自宅シェルターに避難

先月(10月)31日、オンライン取材に答えてくれたハダス・カルデロンさんです。

ハダス・カルデロンさん

ハダスさんが暮らしていたイスラエル南部のニルオズは、10月7日のイスラム組織「ハマス」による襲撃で、多くの住民が殺害されたほか、ガザ側に連れ去られました。

当時、自宅にいたハダスさん。異変に気づき、避難シェルターに身を隠したといいます。

ハダスさん
「7日の午前6時半、とても大きな爆発音が聞こえました。これまでもこうした音が聞こえたことはありましたが、このときは比べものにならないほど長く続き、自宅にあるシェルターに隠れました。
シェルターの外からも『タタタタタ・・・』という銃声が聞こえました。そして、アラビア語で叫ぶ声に加えて、何かを壊す音も聞こえました。
私はシェルターのドアも開けられるのではないかと、手や足を使って、必死にドアノブを押さえ続けました」

家族との最後の連絡

ハマスの戦闘員(2023年10月7日)

いったい何が起きているのか。状況が飲み込めないハダスさんの携帯に、集落の中にハマスの戦闘員が入ってきたと知らせる連絡がありました。

さらに、別に届いた映像に目を疑いました。

映像には同じ集落に住むハダスさんの母親が銃を向けられる姿が写っていたのです、母親は真っ赤な血の海の中で倒れていたといいます。

母は無事なのだろうか。

母親の安否とともにハダスさんの頭に浮かんだのが、別の家で暮らしていた次女のサハルさん(16)、次男のエレズさん(12)の2人のわが子とその父親のオフェルさんの3人のことでした。

次女のサハルさん 次男のエレズさん 2人の父親のオフェルさん

ハダスさんはすぐに携帯電話で連絡をとったといいます。

あちらの家にも戦闘員が入ってきて、3人は窓から外に脱出し茂みに隠れている最中でした。

次男・エレズさん 「ママ、静かにしていてね。大好きだよ」
次女・サハルさん 「ママ、ママ、ママ…」

このあと、ハダスさんの携帯電話のバッテリーが切れ、これが3人との最後の連絡となりました。

母親は殺され、2人の子どもは人質に

ハダスさん自身にも命の危険が迫っていました。ハダスさんが隠れていたシェルターのドアや壁を何度もたたく音が聞こえ、何度も死を覚悟したといいます。

「助けてください」

そう神に祈りながらも、ハダスさんはもし殺されても、「私の人生はそういうものだったと思うしかない」とみずからに言い聞かせていました。

そして、シェルターに避難して8時間ほどすぎた午後3時。

ようやくイスラエル軍がやってきて、ハダスさんはシェルターを出ることができました。

集落では兵士の指示で、生存者の確認が行われました。

1か所に集められた生き残った住民たち。

しかし、そこにハダスさんの家族は誰1人いませんでした。兵士に頼んで、3人が隠れていると教えてくれた茂みを見に行ってもらいましたが、3人の姿はありませんでした。

その後、知人からSNS上で次男のエレズさんが戦闘員に連れ去られる動画を見つけたと連絡があったといいます。

そして、政府から公式に3人が人質として連れ去られ、母親とめいの2人は殺害された事実が告げられました。

母親のカルメラさん(左)とめいのノヤさん(右)

ハダスさん
「10月7日、子どもたちが人質となっていると分かったその瞬間から、私は地獄にいます。これは悪夢です。
私は、母親やめいの死を自分の中に落とし込む時間すらありません。なぜなら、一刻も早く、子どもたちを取り戻さないといけないからです。
子どもたちの情報はなにもありません。生きているのか、食事はとれているのか、どんな状況なのか、いつ会えるのか、この状態がいつ終わるのか・・・何も分からないのです」

「おめでとう」が言えない…誕生日

おしゃれさんで、絵を描くこととダンスが大好きな明るい16歳の次女、サハルさん。

乗馬が得意で、サッカーが大好き、でもちょっぴり怖がり屋の末っ子・エレズさん。

あの日から、ハダスさんの頭から2人のことが片ときも離れたことはありません。

10月26日はエレズさんの12回目の誕生日でした。ハダスさんはケーキを買って、祝いました。しかし、そこに主役である末っ子の姿はありません。

ハダスさん
「26日までにエレズが帰ってくると信じて、大きなケーキを用意したんです。けれども、その場に彼はいませんでした。ガザで誕生日を迎えることになるなんて思ってもいませんでした。『おめでとう』なんて言えません。何を、どう言えばいいのか、分からないのです」

私たちの魂も燃やした…

ハマスによる奇襲攻撃から半月余りたった10月30日。ハダスさんは初めて、自宅がある集落・ニルオズを訪れました。

ハマスに攻撃された直後の ニルオズ

自然があふれる美しい集落だったというニルオズ。

しかし、以前の姿はありませんでした。生々しい襲撃の跡、不自然なほどの静けさ。

子どもたちが暮らしていた家は半分が焼かれ、黒焦げとなっていました。

ハダスさんは、そこから子どもたちの写真を持ってきたといいます。写真立ての白いフレームの一部には、すすがついていました。

殺害された母親の家を訪れると、戦闘員たちに略奪されたのか、母親が大切にしていた多くのものがなくなっていました。

ハダスさん
「母の家では、『あの時に一緒にいられなくて、助けられなくて、ごめんなさい』と何度も謝りました。毎週末、家族みんなで集まって笑いながら食卓を囲んだ時間はもう二度と戻ってこないのだと悟りました。
ハマスは、私たちの家を燃やしただけではありません。私たちの魂も燃やしたのです。私たちに戻る場所はありません。私たちは、イスラエル国内で難民となっているのです」

何もかも一瞬で失ったハダスさん。

目を閉じれば浮かぶのは人質となっている2人の子どもたちです。

ハダスさん
「子どもたちのことが本当に恋しいです。子どもたちを抱きしめたいです。どうなるのか分からず、本当に怖いです。生き残れた私ができるのは、子どもたちが一刻も早く戻れるようにすることです。
私は、軍人でもなければ、政治家でもありません。ただの母親です。子を思う母の気持ちは、世界のどこであっても、変わらないと思います。
この戦争は、子どもたちが起こしたものではありません。子どもたちは戦争の被害者なのです。どうか、みなさんの力を貸して下さい。ただ、子どもたちを今すぐ返してほしい、それだけです」

取材後記

ハマスなどの人質となっている人は外国人を含む240人以上にのぼっています。

ハマスによる奇襲攻撃で始まった武力衝突。一方でイスラエル軍による難民キャンプや病院などへの攻撃には非難の声も高まっています。

双方に子どもたちを含む多くの犠牲が出る中、人質の安全はどうなっているのか。

イスラエル軍の地上侵攻が本格化する中、人質の解放に向けた交渉は難しさを増しています。

現地時間の早朝にもかかわらず、今回インタビューに応じてくれたハダスさん。

感謝を伝える私に「私の話を聞いてくれてありがとう」と、逆に何度も何度もお礼を伝えてきました。

声を上げ続けることしか、私にはできない。力を貸してほしい。 わが子の無事を信じて待ち続ける母親の強い覚悟をそこに感じました。

(11月1日 ニュースLIVE! ゆう5時で放送)

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