2023年9月13日
ウクライナ ロシア

息子の服は戦争のにおい

12歳で“戦争”が日常になってしまった少年。

学校、サッカー、友達、あらゆるものを戦争に奪われ、体を鍛え始め、軍に入りました。

「戦地に行ったことは誇りに思いますが、彼の限界を超えているのではないでしょうか」

母親は、自宅に残された息子の服を抱きしめながら、そうつぶやきました。

(ヨーロッパ総局記者 田村銀河)

息子を思う母親

「いらっしゃい。よく来たわね」

私たちを笑顔で迎えてくれたのはウクライナの首都キーウ近郊に住むインナ・オフレメンコさん(52歳)。

台所で野菜を洗っていた手をタオルで拭きながら、私たちを部屋の中に案内してくれました。

インナ・オフレメンコさん

一見、どこにでもいる普通の母親。

しかし、21歳になった息子、ダニーロさんはことし3月から軍に入って戦場に行きました。

戦場に行ったインナさんの息子 ダニーロさん

テレビなどで日々、勇敢に戦うウクライナ軍の様子が伝えられる中、息子を戦場に取られたインナさんは複雑な思いを明かしてくれました。

インナさん
「ウクライナは必ず勝つと確信しています。しかし残念なことに、血という高い代償を払います。私たちには『勝利』以外、何も残らないかもしれません」

かわいいダニーロ

2001年9月18日、ダニーロさんは生まれました。

どちらかというと控えめでおとなしかった幼少期。

手先が器用だったダニーロさんが熱中していたのは、おもちゃのブロックでした。

人や家だけでなく、車の細かいパーツなどまでブロックでつくるようになり、インナさんを何度も驚かせたといいます。

インナさん
「ダニーロのベッドの上はブロックの王国のようでした。とても創造的で、将来は建築家になるだろうと思っていました」

10歳の頃のダニーロさん(2012年)

「戦争が息子を変えてしまった」

ただ、そんな幸せな生活も長くは続きませんでした。

インナさんがダニーロさんと暮らしていたウクライナ東部ドネツク州のマリインカ。

去年始まった軍事侵攻の8年前。

2014年、ロシアがウクライナ南部のクリミアを一方的に併合すると、インナさんたちが住むドネツク州でも親ロシア派の武装勢力とウクライナ軍の戦闘が始まりました。

親ロシア派の武装勢力(ドネツク 2014年)

親ロシア派の武装勢力はインナさんたちが住むマリインカのすぐそばまで迫ります。

当時12歳だったダニーロさん。学校の校舎も砲撃で破壊され、授業は地下室で受けなければならなくなりました。

軍事侵攻が始まる前のインナさんと家族

その後、安全のために転校した別の町の学校でも、ウクライナ軍や親ロシア派の武装勢力が設けたチェックポイントを通って学校に行く生活を強いられました。

大好きだったサッカーもできなくなり、あらゆるものを戦争に奪われていったダニーロさん。

高校に入った頃からダンベルなどで体を鍛えるようになり「家族と国を守るために軍隊に入りたい」と話すようになりました。

家族に軍の関係者がいるわけでもなく、インナさんは「戦争がダニーロを変えてしまった」と話します。

激戦地になったマリインカ

去年2月24日。

ロシアによる軍事侵攻が始まるとマリインカもすぐに激戦地に。

1日に何度も空襲警報が鳴り、町はロシア軍の砲撃にさらされます。インナさんの自宅にも砲弾が落ち、庭に大きな穴ができました。

近所の人たちと地下室に避難していたある日のこと。

顔見知りの男性がたばこを吸いに外に出た瞬間、近くにりゅう弾砲が着弾。男性は頭部などを激しく損傷し即死でした。

避難が遅れた親友の女性も、爆弾の破片が首に刺さって亡くなりました。

激しい戦闘で廃墟のようになってしまったマリインカ。

インナさんと家族が暮らしていたドネツク州マリインカ(2023年5月)

インナさんは去年4月、ダニーロさんとともに避難することを決断しました。

キーウ近郊のアパートでダニーロさんと新たな生活を始めたインナさん。この頃、別居が続いていた夫と離婚しましたが、ダニーロさんに励まされながら、日々、暮らしていました。

インナさん
「避難してからも半年、1年、本当に泣いて暮らしました。『ひとつの人生が終わり、新しい人生が始まったんだ』と自分に言い聞かせるようにしていましたが、昔の、幸せだったころの生活に別れを告げることができなかったのです」

何も言わなくなった息子

そして、ことし3月。

ダニーロさんがついにウクライナ軍に入隊し、前線に赴いたのです。

インナさんを支えてきたダニーロさんの姿はもう自宅にはありませんが、週に1回、テレビ電話をかけて無事を確認。

「素晴らしい仲間といるよ」

「僕のことは大丈夫だから心配しないで」

どこにいるのか、何をしているのか、何も教えてくれませんが、息子が無事で話ができるだけでも安心でした。

ところがことし6月。

ダニーロさんが休暇を利用して前線から自宅に戻ったときに、インナさんはある異変に気付きます。荷物の中に見たことがない寝巻きのようなズボンが紛れ込んでいたのです。

「こんなズボンを持っていたかしら」

何気なく聞いたインナさんに「病院に返し忘れた」と口を滑らせたことで、初めてダニーロさんが前線で負傷して入院していたことがわかったのです。

インナさん
「10日ほど入院していたようでしたが、けがをして入院していたということ以外は『もうこれ以上聞くな』と言って、何も教えてくれませんでした」

幸い大きなけがではなく、母親を心配させないために何も言わなかったのだと頭ではわかっていても、けがをして入院していたことを教えてくれなかったことはインナさんにはとてもショックでした。

6月以降、ロシアへの反転攻勢を続けるウクライナ軍。最近ではダニーロさんが電話に出ないこともしばしばで、インナさんは心配を募らせています。

私たちが取材に訪れた日も2度、テレビ電話をかけましたが、ダニーロさんが電話に出ることはありませんでした。

インナさん
「こういう時はできるだけいいことだけを考えて神に祈ります。神様はみんなを守ってくださる。きっとダニーロのことも守ってくださる」

つとめて明るく話すインナさんでしたが、その表情は曇っていました。

「ただ、生きてほしい」

半年もあれば“戦争”は終わるだろうと思っていたと話すインナさん。

「息子さんが軍に入って戦っていることを、どう思いますか」

最後に尋ねると、うつむいたインナさんの目からは涙があふれました。そして、ひとつひとつの言葉を絞り出すように、こう答えました。

インナさん
「とても大変なことです。戦っている人、亡くなった人、これから戦う人、すべての人にとって。
ダニーロが戦地に行ったことは誇りに思いますが、彼の限界を超えているのではないでしょうか」

インナさんの寝室には、ダニーロさんの服がきれいにたたんで置いてあります。

いくつかのシャツはダニーロさんの匂いが消えないよう、あえて洗濯をせずに置いていると言います。

さみしくなると、その服を抱きしめるというインナさん。この日も私たちの前で、ダニーロさんの迷彩服を抱きしめ、顔を埋めました。

インナさん
「この服は洗っていないわ。息子のにおいがするの。息子と、戦争のにおいがする」

ロシアによる軍事侵攻で家族や友人が亡くなったり、けがをしたりしたウクライナの人は国民の78%にのぼっています(民間の調査会社調べ)。

9月に入って改めてインナさんに連絡を取ると、ダニーロさんが再び戦闘で腕や足を負傷し、入院したようだと心配そうに話していました。

1年半がすぎ、なお終わりの見えないロシアによる軍事侵攻。

ウクライナ国内では、悲しみや怒り、そして、インナさんのように家族を思う人たちの不安も広がり続けています。

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