自分の思いをぶつけて また皆さんに何かを届けることができたら最高
羽根田卓也
5大会連続のオリンピック出場を決めたベテランの顔に浮かんでいたのは、どこかほっとしたような表情だった。
「オリンピックには出て当たり前と言われてしまうこともあるが、紙一重の勝負で決まる特別なもの。それを今回で5回目、かみしめることができて本当にうれしく思う」
ことし10月に東京で行われた、パリオリンピックの代表選考を兼ねたアジア選手権でオリンピック出場を決めた羽根田卓也は、リオデジャネイロ大会で、この競技の日本選手では初めてオリンピックのメダルを獲得した第一人者だ。
カヌーを多くの人に広め「ハネタク」の愛称は競技を超えて知られるようになった。
10位に終わった東京オリンピックのあと、羽根田は現役を続け、パリオリンピックを目指すことを決めた。
「パリに挑戦する姿を見たいという声をもらったので、まだオリンピックに挑戦する価値はあるなと思った」
パリオリンピックに向けて、課題としたのはレース後半だった。
レースの行方を決める重要なポイントを乗り切るため、持久力や心肺機能を徹底的に鍛えてきた。
しかし、パリ大会の最初の選考の場となった、ことし9月の世界選手権では、準決勝で敗退し出場枠獲得を逃した。
残る出場権を得られる場はアジア選手権のみ。後がなくなっていた。
「ずっと張り詰めた毎日が続いていた。アジア選手権での内定を逃したら、パリへの道はたたれてしまう。今までで一番のプレッシャーとなった大会だった」
かつてない緊張感とともに迎えたアジア選手権。
優勝しなければパリへの道が閉ざされる羽根田は、徹底的に戦略を描いていた。
予選や準決勝では体力を温存してレースを進め、決勝でのスタート順にも影響するため、準決勝は4位とあえてトップを狙わなかった。
そして決勝、羽根田は、持ち味の巧みなパドルさばきで次々とゲートを通過し優勝。ベテランらしい経験と戦略でつかんだ、5回目のオリンピックの切符だった。
カヌー界を背負い、引っ張ってきた36歳の目はすでに来年の大舞台を見据えている。
「世界的に見てもベテラン選手の1人であることには間違いないので、そこも強みに変えてやっていきたい。自分のオリンピックでの経験を生かして、少しでも高いところを目指してやっていきたい」
そしてこう続けた。
「自分の競技生活としても、あと何回もオリンピックに出られるわけじゃなくて、もしかしたら最後になるかもしれない。自分の思いをぶつけて、また皆さんに何かを届けることができたら最高ですね」
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