意志あるところに道はある

宮里藍

ゴルフ

2017年5月29日。宮里藍は感謝のことばでみずからの引退会見を締めくくった。

「約15年間、プロの選手としてここまでプレーをしてきて、本当にたくさんの方にこれだけサポートしてもらえたことはすごくうれしかったですし、選手としてもすごく幸せだったと思っています。自分の引き際に対してのさみしさというものは一切なく、本当に幸せな選手時代だったと思っています」

ゴルフを始めたのは4歳の時。高校3年生だった2003年に国内ツアーで当時史上最年少の18歳で優勝し一躍注目を集めた。プロに転向し2006年からはアメリカツアーに本格的に参戦し、4年目にフランスで行われた「エビアン・マスターズ」で初優勝。2010年はシーズン5勝をあげるなどアメリカツアーで通算9勝をあげ、日本選手初となる世界ランキング1位となった。

世界で活躍できた要因はなんだったのか?

「自分自身と向き合えたことだったと思っています。私はアメリカツアーでは小柄なほうなので、パワーもそんなにないですし、ショットの精度と小技で勝負するというところで、さらにメンタルトレーニングも加わって、そこが土台になって戦えたと思っています。そこがゴルフのいいところというか、必ずしも体格の差がハンデになるわけではなくて、自分自身をしっかりコントロールして自分のゴルフを信じるというところで、私はここまでできたと思います」

しかし、目指していた海外メジャーの頂点に立つことはできなかった。

「2012年の後半、自分の中でプロゴルファーとしてピークを迎えているという感覚はあったんですが、それなのにメジャータイトルが取れないというところにすごく葛藤もあって、こんなにいちばんいい時に、調子がよくて自信がある時にメジャーで勝てなければ、次はどうしたらいいんだろうって、そこで一度立ち止まってしまって自分自身を見失ったというか、どこにモチベーションを置いて、どこに向けて立て直していけばいいのか悩みましたし、そこがすごく難しかったです」

会見では、宮里のゴルフを支えてくれた両親の存在についても質問が及んだ。

「常々父からは『プロゴルファーである前に普通の人でありなさい』と言われて育ってきました。私の両親に関しては見守るという表現がぴったりあうんです。特にかけることばもなく、淡々と私がやることを遠くから見てくれている感じで、すごくありがたかったです。自分が進む道をただ見守ってくれているということは、間違った方向に(自分は)は行っていないと感じていました。その距離感は難しいと思いますが、それをやってくれたことはありがたかったです」

“藍ちゃん”と呼ばれ多くのファンに親しまれた。彼女が世界で活躍する姿を見て、ゴルフを始め、プロになった選手も多い。

「その選手によって必要なものは変わると思います。私の場合、自分自身のプレースタイルの確立という意味では、飛距離にまどわされることなく、自分自身においてベストなゴルフはどこにあるのかという、そこの追求にエネルギーを使ってきました。どの国でやっても、どこのツアーでやっても、自分自身のゴルフがしっかりしていれば戦えると思います。私は自分自身と向き合うのは趣味に近いので、精神的に追い込んでいくことも好きなんですけども、苦しい時も自分から逃げないところが左右してくると思います」

会見では何度も「自分のゴルフ」という言葉を口にした。宮里が大切にしている座右の銘がある。

「『意志あるところに道はある』ということばです。強くなりたい、プロとして上で戦えるような選手になりたいという意志をもってアマチュア時代から、その前のジュニアの時代からやってきました。それが形となってこういうキャリアになったと思います」

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