小松理虔さん(福島県いわき市在住・フリーライター)

2021年3月

福島第一原発の事故から10年。未曾有の大事故にさまざまな形で向き合った人たちは、いま、あのときをどう振り返り、これからに向けて何を思っているのか。
原発事故のあと、福島第一原発の沖合で魚を釣り、放射性物質を測定してブログで公表する「うみラボ」など、さまざまな形で福島の情報を発信し、地域の魅力や現状を伝え続けている、福島県いわき市在住のフリーライター、小松理虔さんに聞きました。
(取材:科学文化部 長谷川拓)

小松理虔さん
福島県の沿岸部、いわき市在住のフリーライター。原発事故のあと、福島第一原発の沖合で魚を釣り、放射性物質を測定してブログで公表する「うみラボ」や地元の鮮魚店で福島の酒と魚を楽しむ「さかなのば」などさまざまな形で地域の魅力や現状を発信。自身の活動を記録した著書、「新復興論」では、足元からの地域づくりを提唱し、大きな注目を集めた。1979年、福島県いわき市生まれ。

あのとき

(記者)東日本大震災の時はどうされていましたか?

A:震災の時はいわき市内の職場にいて、揺れがあってすぐ自宅に戻りましたが、家が壊れたわけではなく、僕自身にも影響はありませんでした。
その後、2012年からいわき市のかまぼこメーカーに就職して、風評被害を体験しました。
「本当に福島のかまぼこは大丈夫なのか」とか、「福島の魚介類は食べられるのか」という声がSNSやメールで寄せられたときに、国や自治体が安全だと言っているから大丈夫だという論理だとなかなか説得力がない。自分たちで調べているというデータがあった方が客に伝わると思いました。
港町で生まれ育った人間として、福島の海がどういう状況に置かれているか知っておく必要があると考えて「うみラボ」を始めました。

(記者)活動はどのように進めていたのですか?

A:「うみラボ」は福島第一原発の1.5キロほど沖合で魚を釣ってその放射性物質を地元の水族館の協力で測定し、結果をブログで公表するという活動です。
2013年から2017年くらいまでは毎月1回ほどのペースで調査をしてきましたが、2018年ごろからは、国の基準の1キロあたり100ベクレルを超えず、ほとんど検出されなくなってきました。
その後、自分たちが安心して魚を食べることができるとわかってきて、調査ではなく、それぞれが釣りを楽しんで、その模様を発信して、福島の海の魅力を発信するフェイズになってきました。
やみくもに安全だと伝えるのではなく、ここは安全だが、ここからは心配などと、丁寧に発信したこともあり、ポジティブな反響が多く寄せられました。

いま

(記者)現在の活動はどのような形に?

A:調査を通じて知った福島の海の魅力を自分自身だけでなく、仲間や地域の人と楽しむことができないかと、2017年の冬から、地元の魚屋や飲食店の経営者と一緒に福島の魚とお酒を楽しむ「さかなのば」という食のイベントを開いています。
風評対策はどうしても県外の人にポジティブなイメージを伝えることに注力しがちですが、本当の意味での風評払拭は、何よりも地元の人が自信をもって福島の水産業はこんなにも豊かでおいしいものがあると言えるような魅力的な地域や、いい店、いい場を作っていくことが大事なのだと思います。

(記者)福島第一原発ではトリチウムなどの放射性物質を含む水がタンクにたまり続けていて、去年、国の小委員会は基準以下に薄めて海か大気中に放出する処分方法が現実的で、海の方がより確実だとする報告書をまとめました。この問題についてどのように感じていますか。

A:僕のような地元の港町に住む、まちづくりに関わる人間からすると、漁業は50年後も100年後も生き生きとしてこの地域にあって欲しい。
そういう目でこれまでの議論を見ると、いずれ水を入れるタンクが満タンになり、場所がなくなることは5、6年くらい前からわかりきっていたのに、漁業や水産業をどうするか、地域をどうするかを考える機会がほとんどなかったと考えています。
国や東京電力が町や地区の集会所レベルの小さな会に顔を出したり、婦人会とか敬老会みたいな小さなコミュニティに説明したりとか、地元の人がどう考えているか聞きに来たのかどうか。
地元の漁業をどう再生していくかを漁業者だけでなく市民も交えてビジョンを示すことができたらいいのにと考えていました。
おそらく、この福島では今後、福島第一原発の廃炉の問題とか、県内の除染で出た廃棄物の県外最終処分とか、いろんな人たちと慎重に合意を作っていかないといけないシビアな問題が、何十年、何百年とわたって、続いていくと思います。
今回は、そういう問題を解決するためのモデルケースというか、トリチウムの時はこういう風に有識者と対話して地元意見をすりあわせて、満足はできなくとも納得ができるような妥協点を探って、みんなで決めたということを作らなければいけなかったと感じています。
それができずに強い反発を残したまま政府が決めてしまうと漁業者などとの関係に傷を残したまま、そういう問題に臨んでいかなくてはいけなくなるのではないでしょうか。

これから

(記者)これからの地域にとって大切なことはなんだと考えていますか。

A:福島第一原発の廃炉をどう地域に開いていくかだと思います。
廃炉の最終的な姿がどうなるかについても、今のところ多くの人がさら地にするイメージを持っているかもしれませんが、人によってさまざまです。
だからこそ、福島第一原発はあなたにとってどうすることが廃炉か、どうなれば魅力的か、そして、東京電力にどうして欲しいか、みんなで議論できる場として開放すればいいと思います。
対話のチャンネルがないと相互不信になって、お互いが腹を割って話せなくなります。
東京電力は、廃炉にあと何年くらいかかるかも含めて虚心坦懐にいま抱えている課題を開示して地域の側も、東電の責任で廃炉して完了したら福島県に戻せではなく、いまの段階からあの場所は東電のものだけでなく地域のものだなんだと、もっとこの場所を地域に開いてほしいとか、こんな場所を作ってほしいとか相互にキャッチボールできる場があるといいと思っています。
私はかつていわき市の一大産業だった「炭鉱」の遺構をめぐるツアーも企画していますが、この場所は、福島第一原発の将来を考える上で参考になると思っています。
いわきの炭鉱の遺構は観光地化されているわけではありませんが、地域を調べていくと炭鉱には非常に分厚い歴史があるし、現場を目で見て、肌で感じることは大きいし、教育的な効果もあります。
30年50年たつと観光名所になり、地域の財産になっていくということは炭鉱を見ても強く感じます。
いま、福島第一原発は廃炉作業中かもしれませんが、100年200年たった時に、きっと、ここでこういう事故があったということをどこよりも強く伝える場所になると思います。
その時に、廃炉が進み、ただの野っ原の公園になってしまうと、ここで何が起きたのかを伝える生のものが無くなってしまうのは非常にもったいない。ある意味では負債、負の財産かもしれないが、地域の財産だと思っています。

(記者)改めて今後の抱負は

A:「地元を楽しむ」ことが自分にとってもポジティブだし、震災や復興、原発事故を発信していくことにもプラスになると思ってきました。
大事な社会課題なので真剣に考えてくださいとか、もっと県外の人も自分ごととして考えてくださいというのも説教じみているし、すごく真面目な感じがします。
必ずしも福島の現状を知って下さいと言わずに、思わず福島に行ってしまったとか、考えてもいなかったけれど、原発事故について考えてしまったとか、そんなつもりはないけれど、被災地の復興に関わってしまったみたいなチャンネルを僕はずっと作り続けたい。
そして、これまでなかなか関心を持ってこなかったような若い世代や海外の人にも魅力が伝わるようにここでの暮らしを楽しんでいきたいと思っています。

取材後記

「地元を楽しむ」。震災と原発事故のあと、地域で活動の幅を広げてきた小松さんの原点には、こうした思いがありました。福島では、いまも、風評被害や福島第一原発の廃炉、それに放射性廃棄物の処分など、難しい課題が山積しています。小松さんは、こうした解決が難しい問題を解きほぐし、興味や関心がない人にも伝えていくために真面目な正統派のやり方だけでなく、楽しみたいとか食べたいという欲望に紐付いた、「変化球」のような体験や場を地域から提供していきたいと話していて、印象に残りました。

あわせて読みたい