知的障害のある人の投票を支える 東京・狛江市が職員に研修

選挙で投票すること。それは誰れにも認められている権利。もちろんどんな障害があっても、です。みんなが投票できるように、制度はさまざま創設され、少しずつ前に進んでいます。

しかし実際にどんな障害があっても安心して投票できるかと言えば、取材を進める中では、道半ばだと感じています。
中でも知的障害がある人の投票は、なかなか進まない、というのが実感です。

こうしたなかで「知的障害があっても安心して投票してもらいたい」と職員研修を進めているのが東京の狛江市です。

研修は、マニュアルを読むことでも専門家の話を聞くことでもありません。
それは、「実際にふれあってみる」研修。

障害者の投票を進めるヒントになるかもしれません。

(首都圏局記者 直井良介)

研修は“福祉作業所”で

統一地方選挙後半戦を週末に控えた4月18日。研修が行われたのは、狛江市内にある福祉作業所です。

訪れたのは投票日当日、障害者や高齢者の手助けにあたる2人の職員です。

この日2人は、この福祉作業所で知的障害などがある利用者と一緒に仕事をします。狛江市では、これが投票事務研修の一つとして組み込まれているのです。

知的障害者の選挙参加に取り組む

狛江市がこの取り組みを始めたのは4年前。市ではこの取り組みの以前から、知的障害や発達障害がある人に選挙をはじめとした主権について教えるための手引きを全国で初めて作るなど、先進的な自治体として取り組んできました。

しかし、実際に知的障害者が投票所に来た場合には、職員それぞれが相手の意図をくみ取って適切な手助けをしなければならないなど、職員の「知的障害者への理解」の壁に直面し、研修を始めたのです。

「百聞は一見にしかず」

狛江市では、投票事務に当たる職員が障害者とふれあうことで、自ら気づいてもらうことが大切だと考えています。

苦い経験「次は自分が手助けを」

この日の研修に参加したのは、納税課に勤務する田所究(きわむ)さん(38)です。

投票所での業務は10回以上経験していて、投票所内では中心になって動く一人ですが、知的障害者に対応した経験は1回のみで、その1回も、突然のことに戸惑う田所さんを、先輩職員が先導してくれたといい、いわば苦い経験として残っています。

「今度は自分が率先してコミュニケーションを取りたいと思っています」

与えられたのは、車の部品になるケーブルを束ねて一つにする作業でした。

正面に座ったのは47歳のベテラン熊谷慎二さんで、ダウン症で中度の知的障害があります。

熊谷さんは、自動車の部品として使うケーブルを5本まとめてゴムで留め、先端の金属部分を金づちで軽くたたいて高さをそろえる作業をしていました。

田所さんは会話の糸口を見つけようと手際の良さを褒めますが…

田所さん「輪ゴムで留めるのが早いですね」

熊谷さん「そんなことないです」

田所さん「金づちで叩く力加減が難しそうですね。強すぎても弱すぎてもだめですね」

熊谷さん「全然」

田所さん「…」

なかなか会話が続かず、“トントン”という熊谷さんの金づちの音だけが響きます。

相手を知ることから始めよう

そんなとき、作業所の職員が田所さんに近づき、こうアドバイスしてくれました。

「これは“福祉あるある”なんですけれども、相手の好きなこととか、食事のネタはテッパンです。あとは、聞き取りづらければ、聞き直してもらって大丈夫ですよ」

さっそく、試してみると、熊谷さんの顔が明るくなり、野球と料理が好きなことを教えてくれました。さらに、質問を重ねます。

田所さん「お料理と野球の他にすきなものはありますか?」

熊谷さん「いべお」

障害の影響で言語が不明瞭なところもある熊谷さん。勇気を出して聞き直してみます。

田所さん「もう一回。お願いします!(指で1回とやる)」

熊谷さん「いでお」

田所さん「いでお…ビデオ!」

熊谷さん「あ----!(そうそうそれ!)」

田所さん「なんのビデオですか?」

熊谷さん「あー…おああい!」

田所さん「おああい…『お笑い』あー!お笑いですか。野球とお料理が好きで、お笑いも好き。楽しい人だなぁ」

この日初めて、二人の呼吸が合ったように感じました。

その後は、堰を切ったように会話をし、最後は堅い握手で作業を終えました。

田所さんの話
「相手から話を引き出さなければ、ということに気をとられて、熊谷さん自身を知ることを忘れていたと思います。相手が何を考えているのか。それをうまく言葉にできていなくても、身振り手振りで表現を読み取って確認するということを肌で感じることができました」

答えが見つからなかったことも

一方で、熊谷さんとふれあう中で、答えを見つけられなかったこともありました。

ふだんから投票に行っているという熊谷さんに、投票所内で改善してほしいことがあるか尋ねたときです。

なるべく簡単な言葉を選んで質問しました。

田所さん「何て言ったらいいのかな…投票所に行く事は嫌じゃない?」

熊谷さん「全然…」

その後、何度か質問を変えましたが、頭を抱えて黙ってしまった熊谷さん。

田所さん「いや、大丈夫です。困らせちゃったかな?ありがとうございます」

結局、聞きたいことは最後まで聞けませんでした。

焦らずに “待ってみること”

研修後、作業所の施設長にこのやりとりを打ち明けると、アドバイスをくれました。

施設長の話
「彼らには彼らの時間軸があってですね、それをしっかり“待ってあげる”と答えてくれるという事がよくありますね。こちらのペースで『何か困ってることがありますか?』と尋ねるのではなく、相手のペースに合わせてみるといいと思います」

そして、投票所での田所さんの仕事に置き換えてこう続けました。

施設長の話
「知的障害や発達障害がある人は、実は受付から記載台に行けるかが重要です。そこで気が変わって大きな声が出てしまったりとか、投票所から出て行ってしまったりとか、そういうことがよくあります。相手にペースを合わせて手助けしてもらえれば、しっかり投票できると思っています」

田所さんの話
「思ったような反応が返ってこないから、次の質問を振る。それがかえってプレッシャーになってしまってたんだと気がつきました。あの時10秒でも20秒でも待てば、思っていることを話してくれたかもしれません。 やはり相手のペースに合わせてお話をすることはとても大事なことだというふうに学びました」

研修が大きな自信に

この研修は、たったの半日という短い時間でした。

しかし田所さんが気づいたことは想像を遥かに超えていて、大きな自信につながっていました。

田所さんの話「今日この機会をいただかなければ、実際に障害のある方がお見えになった時に、緊張して身構えてしまったと思います。それは当然相手に伝わりますし、それは投票所の安心にはつながりません。今日この場で得た経験があれば、どなたがお越しになってもひと呼吸おいて、相手のペースに合わせてゆっくりお話をしようと思います。それが、だれもが安心して投票いただける投票所なんだと自信がつきました」

安心な投票所は“人作り”から

障害がある人にとっての投票環境は、バリアフリー化や代理投票など、徐々に進んでいることは間違いありません。

一方で、投票所でサポートする職員の障害者への理解は十分でしょうか?

取材を通して改めて気づかされたのは、たとえ制度はあっても、障害のある人たちが安心して投票できる場所を作るのは“人”だということです。

制度作りとともに、サポートできる人材の育成が各地で進んでいってほしいと思います。

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