“もう一度、もう一度” 1票への再挑戦

悔しい思いをして、親子が投票所から引き返した数日後のことだった。

母はテーブルの上に何枚かのカードを並べた。

息子は自分で選んだカードを指でさす。

「もう一度」「もう一度」

一度あきらめた投票に、再び挑戦するために母は何度も繰り返した。

そのころ投票所でも親子のための準備が、ひそかに進められていた。
(ネットワーク報道部 廣岡千宇)

-勘違い-

8年前の6月、梶谷顕正さんは20歳になった。

母親の祐子さんにとってただ1人の子ども。

好物のホールケーキを買ってお祝いをした。

選挙で投票ができる権利も手にし、親子で投票に行こうと考えていた。

顕正さんは自閉症で重い知的障害がある。

当時の顕正さん

投票の機会は年末にやってきた。衆議院が解散し、12月2日に選挙が公示されたのだ。

公示後の初めての週末、住んでいる東京・港区の期日前投票所に向かった。

期日前投票を選んだのは理由があった。

顕正さんは慣れない場所が苦手で、母親の手を引っ張り、逃げ出そうとすることがある。

なので混み合う投票日を避けたのだが、あいにく、たくさんの人が並んでいて、顕正さんの顔がこわばりだした。

顕正さんは字が書けないので、祐子さんはこう考えた。

”何度も確認した顕正が投票したい人の名前を、一緒に書こう“

そこで入場整理券を渡して、係員に言った。

「息子は自分で字を書くことができません。記入するときに手を添えさせてください」

断られた。

「それはできないんですよ」

選挙では代理投票という制度がある。

字が書けない人に代わって、投票所の責任者が補助員を2人指定する。1人が投票する人の意思を確認して名前を記入、もう1人が確認するやり方だ。

家族が一緒に手を添え記入できないことを、祐子さんは知らなかった。

-叶わず-

結局、投票所の補助員が2人、顕正さんに付くことになり代理投票が始まった。

祐子さんは顕正さんから離れ、見守ることになった。

顕正さんは、初対面の人とのコミュニケーションが苦手だ。

補助員が候補者の名前を順番に指さし、誰に投票するかたずねたが反応がない。

次に直接「投票したい人はいる?」と問いかけられたが、ことばが返せない。

投票は叶わなかった。

入場整理券はそのまま返され、親子はそれを手に家に戻っていった。

母親 祐子さんの話:
「ひとりひとりの声を聞く選挙で、息子の声は届かない。そのことがとても悔しかったし、悲しかった」

悲しさと悔しさの一方で、“もっと息子にあった方法はないものか”とも思っていた。

-転機-

祐子さんは特別支援学校の教員を長年、勤めてきた。

教室で子どもたちに向けて、社会と関わること、意思を相手に伝えることの大切さを話してきた。

投票は20歳になってやっと認められる、意思表示と考えていた。

投票所からの帰り道からずっと、投票できるやり方を、考え続けていた。

2、3日後、転機がやってきた。

それは郵便ポストに届いた候補者の主張や顔写真が載った選挙公報で、顕正さんはそれを気にしだした。

祐子さんはこれを使おうと思った。

選挙公報を候補者ごとに切り抜いて、ひとつひとつ、カードにしてみる。

できあがったカードをテーブルに並べて、顕正さんに問いかけてみた。

「あなたは、誰に投票したい?」

初めのころは選ぶ候補者がはっきりしないこともあったが、やがて、意思を固めたように、同じ候補者を選ぶようになった。

それでも母は繰り返した。

「もう一度」

「もう一度」

投票への壁は、1人で自分の意思を示せなかったことだ。

「もう一度」

親子はまだ不安を持ちながら、再び、投票に行くことにした。

母親 祐子さんの話:
「息子が息子なりに選んだものが1票になる、それが大事だと思いました。誰もが持っているのと同じように、顕正が持っている1票なんです」

このころ、選挙管理委員会でも動きがあった。

-支え-

港区の選挙管理委員会は、どうすれば顕正さんが1票を投じることができるのか、検討を始めていた。

支援団体からの要請も受けて、各地の事例を参考にし、顕正さんが来るかどうかわからない中で、投票できるように準備を進めたのだ。

当時、区の選挙管理委員会が、6か所の期日前投票所すべてに送った通知が残っている。

選挙管理委員会の通知

「投票所の外でゆっくり時間を掛けて、お母さんと相談してもらって構いません」

「選挙公報を指し示す、うなずく、手を握るなどの方法で意思を確認してください」

「どうにか本人の意思を感じる以外に方法はありませんので、職員間での情報共有もお願いします」

港区選挙管理委員会 担当者の話:
「本人の意思で投票することを前提にしなければなりません。もし、やり方や投票所の環境が原因で、意思が出せないのなら、それは改善しないといけない。本来、投票できるはずの1票が投じられないという結果は避けたかったんです」

-はっきりと-

投票日を翌日に控えた12月13日はよく晴れた日だった。

期日前投票の最終日に顕正さんはまた、同じ投票所を祐子さんと訪れた。

会場は混み合っていて、顕正さんの苦手な状況に不安がつのった。

すると入場整理券を渡したあと、係員はまわりから少し離れたところに案内した。

祐子さんが事情を話して、あの手作りのカードを渡すと、係員は受け取った。

祐子さんは少し離れた場所に移動し、再び見守ることになった。

係員はカードを机に置き、優しい口調で「誰に投票するか、選んでほしい」と伝えた。

顕正さんは、1枚のカードをはっきりとゆび指した。

補助員がその名前を記入、もう1人が間違っていないかを確認した。

顕正さんは投票用紙を受け取り、投票箱に初めての1票を投じた。

「また来てね」

帰り際、声が聞こえた。

母親 祐子さんの話:
「重い障害がある人や家族は、投票したくても諦めてしまう人がいるかもしれません。でも、周囲がほんの少し支えることで、意外と簡単に壁が乗り越えられることがあるとわかりました」

-誰もが-

障害のある人が投票をするということは、決して簡単なことではない。

例えば、視覚障害がある人は、投票所がよく知る近くの小学校でも、門までは行けるが、その先、実際に投票する場所までは“未知のゾーン”だ。

人がそばを通るのを待ち、「連れて行ってください」と声をかけ、何とかたどりつくという。

失語症の男性は、文字を思い出すのが苦手で、記載台まで行きながら、投票したい人を思い出せず、長く白票を投じてきた。

いまは、自分で候補者の名前を書いたメモは、持ち込むことができると知り、先日、失語症になって以来初めて候補者の名前を書いて投票できたそうだ。

今の法律の範囲内で、少し支えがあることで投票につなげられることがたくさんある。

誰もが平等に持つ1票。

それなら、誰もが投票できるようにしなければならない、そう思う。

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