今まで白票を入れていた
失語症の男性“1票”にかける思い

会話や読み書きが困難な「失語症」は脳卒中や交通事故などで脳がダメージを受けて起きる障害で、全国で50万人、鹿児島県内だけでも3000人に上るとみられています。

失語症の男性が困難を乗り越えて1票を投じるまでの思いを取材しました。
(鹿児島放送局 堀川雄太郎)

思うようにことばが出てこない

先月末、鹿児島市の期日前投票所で、ひときわ大きな緊張感をもって投票に臨もうとしている人がいました。

下入佐和久さん(35歳)です。

4年前に脳出血となって右半身にまひがありますが、動かせる左手で投票箱に1票を投じました。

下入佐和久さんの話:
「投票できてうれしかったです。暮らしやすい暮らしにしてほしいなと思います」

来年、地元で開かれる全国障害者スポーツ大会への出場を目指して、ボッチャの練習に取り組んでいる下入佐さん。

もともと言語聴覚士として医療機関で働いていましたが、病気をきっかけに、出水市の精密機械メーカーに勤務し、リハビリ機器の開発などに関わっています。

そんな下入佐さんが脳出血の後に抱えているのが失語症です。病気の後遺症で、文字の読み書きが苦手で、思うようにことばが出てこないのです。

下入佐和久さんの話:
「“こんばんは"とかだといいのですが、羅列していると難しく、1文字1文字書いたらやっとという感じです。文章も何と読むのか、目がちかちかするような感じです」

いつも白票を投じざるをえなかった

下入佐さんが生活の中で困ったことのひとつが選挙でした。失語症になる以前から欠かさず投票に行っていますが、利き手だった右手のまひのため、文字を書くのが大変です。

さらに記載台に向かうと張り出されているのは候補者や政党の名前だけで、写真やマークはありません。

文字が苦手な下入佐さんは、投票したい人などを選んで書こうとしても混乱して書けませんでした。

そのため毎回1人で悩んだあげく、白票を投じざるをえなかったと言います。

下入佐和久さんの話:
「書こうと思っても、あ、なんだったっけ、何をどうすれば、なんか書けないなと思うことが多くて、もう白紙です。白票で悔しいです」

母親の礼子さんは、下入佐さんが実は白票を投じていたことを知って驚きました。それでも本人が選挙へ行くのは、社会に参加したい気持ちがあるからだと言います。

母親の礼子さんの話:
「息子が障害者になって、やはり生活しやすい、誰かが変えてくれるのではないかと期待しているのだと思います。自分も投票権があるから、息子なりに1票を入れたいという気持ちを感じます」

今回の選挙ではメモを準備

もう2度と白票を投じたくない。参議院選挙を前に下入佐さんは、思い切って家族とともに市の選挙管理委員会に相談しました。

すると、あらかじめ投票したい人の名前を書いたメモを自分で用意して、投票所に持ち込むことができると知らされました。

メモを見れば、混乱せずに名前を書くことができるかもしれない。下入佐さんは今回初めてメモを準備して、選挙に臨むことにしました。

下入佐和久さんの話:
「本当に緊張でバクバクです。1票でも投票することで、自分の気持ちを伝えたいです」

投票会場へ着いた下入佐さんには、選挙管理委員会の職員が付き添いにあたります。

さらに記載台には、片手でも文字が書けるように滑り止めのシートが設置されていました。今回の期日前投票で、鹿児島市の一部の投票所に試験的に導入されたものでした。

そして持ち込んだメモに書いてある名前を投票用紙に書き写すことで、下入佐さんは、選挙区と比例代表で、それぞれ念願の1票を投じました。

せっかくある選挙権をむだにしたくない

失語症になってから初めて候補者の名前を書いて投票することができた下入佐さん。障害のある人たちへの選挙のサポートがもっと周知され、障害に対する理解も広がってほしいと望んでいます。

下入佐和久さんの話:
「自分にちょっと自信がついて、うれしかったです。せっかく権利があるのに、それをむだにしてはいけないと思いました」

母親の礼子さんの話:
「これから先、家族が毎回連れて行ってということをいつまでできるか分かりません。ちゃんと取り組んでくださる方法があるということを知って本当によかったです」

選挙への参加に高い壁

今回無事に1票を投じられた下入佐さんですが、失語症の人たちにとって選挙への参加は想像以上に高いハードルがあります。

参議院選挙を前に、NHKは支援団体の鹿児島県言語聴覚士会の協力を得てアンケートを実施しました。

30代から80代の43人の当事者から回答を得た結果、「失語症を理由に選挙へ行かなかったことがある」と答えた人は全体の42%と半数近くに上りました。

また失語症の人たちの中には手足のまひなど身体的な障害がある人も多く、投票所へ行くこと自体が大変なわけですが、それでもアンケートには「選挙へ行きたい」という記述が複数みられました。

どうすれば選挙に参加しやすく?

アンケートでは、どうすれば投票に行きやすくなるかも尋ねました。

その結果、「介助者のサポート」や「選択式の投票」、「代理投票」を希望する声が寄せられました。

「選択式の投票」というのは候補者の名前に○などを付けて投票する方法です。実は自治体の選挙では、条例を定めれば導入が可能で、県内でも曽於市の市長選挙で導入されています。

もともとは高齢化が進む中で書き間違いなどによる無効票を減らそうと導入されましたが、文字を書く必要がないので、失語症の人たちにとっても投票しやすくなるのではないかと思います。

また海外では顔写真や政党のマークなどが入った投票用紙を導入している国もあり、総務省によりますと、日本でも国政選挙に「選択式の投票」を導入する動きがあったということです。

ただ候補者の数が多いと有権者が投票先を見つけるのが大変だという意見や、立候補の届け出後にしか投票用紙を作れないので時間が足りないといった意見もあって実現していません。

「代理投票」は申し出れば可能

ただ現在でもできるのが「代理投票」です。投票所の担当者に代わりに書いてもらう仕組みで、その場で申し出れば可能です。

鹿児島県言語聴覚士会は、こうした投票を手助けする制度の周知とともに外見だけでは分かりにくい失語症への理解を広げることが大切だと言います。

鹿児島言語聴覚士会 竹中恵太 副会長の話:
「まず失語症の人たちがいるということを知らなければ、選挙管理委員会の方もサポートをどうすればいいか分からないと思います。周知することで、こういう障害の方にはこういうサポートが必要だということを社会全体で考えていけるような取り組みができればと思います」

「失語症の人たちがもっと選挙へ参加しやすくなってほしい」。そのような思いで取材に応じてくださった下入佐さんに密着し、さまざまな壁を越えて1票を投じている人たちがいること、そしてその重みを感じました。

私たち一人ひとりが持つ選挙権をむだにせず、社会へ参加する。今回の参議院選挙で、みなさんもぜひ投票に行っていただきたいと思います。

【動画】2022年7月5日放送

失語症の男性 一票にかける思い

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