街頭演説で向けられた言葉のやいば 政治参加の“心の壁”

音声で聴く

「障害のある人が表舞台にたつもんじゃない」

聴覚障害のある男性は、選挙の街頭演説をする中で、そんな否定的な言葉を何度もかけられたといいます。

制度面のさまざまな壁に加えて、障害のある人が立候補をためらってしまう“心の壁"の存在がありました。

(ネットワーク報道部 廣岡千宇)

「立候補が想定されていない」

藤永忠さん(55)は4年前の統一地方選挙で川崎市議会議員選挙に立候補し、初めての選挙を経験しました。

「障害のある立場だからこそ、できることがある」

そのことを伝えたいという思いで、街頭で訴え続けていました。

「よく選挙に出てくれた」「頑張ってほしい」

そんな声も聞かれる中で、突然、想像もしていなかった言葉をかけられました。

藤永忠さん
「ほんとうに面と向かって、障害のある人がそんな表舞台にたつもんじゃない、と言われました。社会の片隅で他人に迷惑がかからないように生きていくのが障害のある人間のつとめじゃないか、とも言われました。
言葉の刃のようで、非常にショックを受けることも多かったですね」

精神的に負担のかかる選挙運動が続き、有権者との何気ない会話の中でもトラブルが起きました。

藤永さんは補聴器を使っても音が聞きづらいことがあり、街頭演説をする駅前では車や電車などさまざまな音で、相手の言葉を聞き取ることに苦労しました。

話しかけてくれる人に「申し訳ありません。もう少し大きめの声で話してくれますか」と、お願いをする機会も少なくなかったそうです。

やりとりを繰り返すたびに「もういいです。終わり」と言い残して話の途中で去っていってしまったり、中には怒りだしてしまう人もいたということです。

藤永忠さん
「有権者の方とのコミュニケーションにも非常に気をつかいました。障害のある人が選挙に出るということが、今の社会ではまだまだ想定されていないと強く感じました」

声をあげなければ変わらない

藤永さんは幼いころ、自分だけ補聴器をつけているのが恥ずかしくて、障害を隠すようにしていた時期もありました。

自分は生まれてきても良かったのだろうか。自問自答を繰り返す青春時代だったといいます。

そんな思いを変えたのが、大学を卒業後に、ふと顔を出した手話サークルでした。

そこには笑顔があふれていました。

自分と同じ年代の人たちが、手話を使って生き生きと会話をしている。その姿に勇気をもらった気がしました。

阪神・淡路大震災

藤永さんが選挙に挑戦しようと思った理由のひとつが、1995年の阪神・淡路大震災での体験です。

聴覚障害のある人たちの支援をしたいと、仲間と一緒に避難所をまわったなかで、何か声をあげなければ、障害のある人たちが置き去りにされてしまうという現状を目の当たりにしたといいます。

藤永忠さん
「避難所にいる聴覚障害の方々には情報が入らないんですね。弁当の配布がこれから始まりますよっていう放送があったとしても、その情報が届かないんです。弁当配布の行列にいつも出遅れていて、場合によっては弁当をもらえなくなるという人もみました。障害があるというだけでいないことにされてしまうような気がして。とても悔しくて、神戸の街を自転車でまわっていたときの気持ちを今でもはっきりと覚えています」

お願いをする立場ではなく

「障害のある人たちは、誰かに何かをお願いする立場だった」

政治参加への“心の壁"は、障害のある人たちと社会との関係が生み出しているという人もいます。

全盲の堀利和さん(73)は1989年の参議院選挙で初当選。初めての視覚障害のある国会議員でした。

当時立候補した理由について堀さんに尋ねたところ、思いがけない答えでした。

元参議院議員 堀利和さん
「立候補が決まる前の日まで、私は何も知りませんでした。当時所属していた団体のメンバーが集まって勝手に決めてしまったんです。選挙に出るということも、政治家になるということも、まったく考えていませんでした」

選挙に立候補するなど、夢にも思っていなかったという堀さん。

そこには堀さん自身も持ち続けてきた、ある意識があったといいます。

元参議委員議員 堀利和さん
「過去に東京都の職員採用試験に全盲の人が願書を出したら『点字での受験は行わない』と拒否されてしまったことがありました。あのときは都の担当者と話し合いを続け、お願いをして、のちにようやく点字受験を認めてもらいました。
障害のある人は手を貸してもらう側だという意識が、私たちにも社会の中にもあるのかもしれません。いま思えば、要請や要望をするという立場でしかものを考えていなかったということですね」

堀さんが当時、選挙運動の中で掲げたスローガンは、

『自分で発信』

障害のある人たちがみずから声をあげて、政治に参加していくという意志が込められています。

当選を果たした堀さんは同志を増やそうと全国を行脚して、さまざまな障害のある人たちに立候補を呼びかけてまわりました。

しかし積極的に選挙に挑戦したいという意識の人は、決して多くはなかったと振り返ります。

元参議院議員 堀利和さん
「政治参加の以前よりも社会参加そのものが進んでいないという、大きな社会的背景があると思うんですね。まだまだ現実の生活、仕事、教育、いろんな場面をみると、障害のある人がほかの人と同じように参加できていなかったり、排除されてしまっているように感じます。当たり前のように街なかに障害のある人がいて、いろんな人たちと関係を持つような社会になっていけば、本当の意味での政治参加につながっていくのかなというふうに考えますけれどね」

社会参加が進んでいないことが政治参加の壁になっている。ただ、政治参加が進まなければ社会参加がしやすい環境が整っていかない。堀さんは現状をそんなふうに分析していました。

障害のある人たちが一歩を踏み出せるために、多様な声が政治に届くために、社会全体で向き合っていく姿勢が問われているのかもしれません。

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