「壁」を乗り越えるため 私たちは求め訴える

音声で聴く

障害のある人が議員となった後、議会活動を続けるにあたって、ぶつかってきた課題について、当事者たちから話を聞く「政治参加の壁」。

熊本県の市議会議員の活動を難しくしていたのは、議員の机に備えられている「棚」でした。

(報道局選挙プロジェクト 西林明秀記者)

多様な人が共生できる地域を目指して議員に

今回、私たちの取材に応じてくれたのは、熊本県・水俣市議会議員の杉迫一樹すぎさこ かずきさん(43歳)です。杉迫さんは大学1年生のときに、事故により脊髄損傷を負い、それ以来へそから下の感覚がない状態で過ごしています。

杉迫一樹議員

「多様な人が共生できる水俣」を目指し、水俣市で初めての車いす議員になり、現在2期目です。

水俣市役所はおととし12月に新庁舎に変わって議場も新しくなったのですが、議員の机の下にある「棚」が、杉迫さんを悩ませています。

机の下の「棚」

車いすのまま議員席に着こうとすると、どうしても「棚」が足に引っかかってしまうのです。

足の感覚がないので当たっているかどうかはすぐにわからず、この状態が続けば、圧迫される部位の血流がなくなり、床ずれを発症してしまう恐れがあります。

これまでも別のケースで床ずれを発症し、入院までした経験もあるということで、議会中は数分おきに足を触って、状態を確認せざるを得ない状況です。

一方で引っかからないよう机と距離をある程度とれば、今度は議席にある資料に目を通しづらかったり、文字を書くことが難しくなったりするなど、机がとても使いづらくなってしまいます。

「何が不自由なのか分からない」

杉迫さんは新しい議場になって以降、棚の撤去を求め続けていて、これまでに複数回、議会の委員会で話し合いが持たれてきました。

その際の議事録を見ると「合理的配慮として、対応すべきだ」という意見がある一方、一部の議員からは「何が不自由なのか分からない」とか「自分で解決できるよう努力はしたのか」などという意見も寄せられていました。

そして現在に至るまで、棚は撤去されていません。杉迫さんは状況が変わらないことに、もどかしさを感じていると言います。

杉迫一樹議員
「悔しさも少しありますが、何で分かってもらえないんだろうという気持ちが一番強いです。障害のある人が友達や身内にいれば、不便だと感じていることに敏感になると思います。気づくタイミングが少なかったからかな、ということも考えます」

水俣市議会の岩村龍男いわむら たつお議長はNHKの取材に対し、「スピード感がないと言われるかもしれませんが、ことし4月に選挙があり、議会のメンバーも変わるなどしたため、仕切り直して話し合いをしています」と話し、現在開会中の12月議会の中で改めて代表者会議を開き、議論を進めていく考えを示しています。

「皆と同じ条件で、市民のために議会活動をしたいだけです」と杉迫さんは話しますが、宙ぶらりんの状態を続けるのではなく、できるだけ早く結論を出すことが求められます。

「壁」を乗り越えるため法的手段をとった

「議会活動の壁」が訴訟に発展したケースもあります。

小池公夫さん

岐阜県中津川市の元市議会議員の小池公夫こいけ きみおさん(84歳)は、約20年前に手術で声帯を切除して声が出なくなりました。

議員として活動していた2006年(平成18年)、議会での「代読」による発言を全面的に求める議案を提出しましたが、否決に。

小池さんらは精神的な苦痛を受けたとして、反対した当時の議員28人と中津川市に、あわせて1000万円の賠償を求めました。

当時の気持ちについて小池さんは、取材に対し書面でこのように述べています。

小池公夫さん
「裁判という手段は、普通、一般人には考えられないことでしたが他に方法がなく、迷った末のことです。このありさまを公にせざるを得ないと思いました」

裁判の結果、「議会で発言することは議員として最も基本的、中核的な権利で多大な精神的苦痛を被ったことは明らかだ」として、市に対し300万円を支払うよう命じました。

訴訟の意義は

障害がある人の参政権保障などに詳しい金沢大学の井上英夫名誉教授に、この訴訟の意義について聞きました。

金沢大学 井上英夫名誉教授
「『議会の中にも人権がなければいけない』という問題を提起し、一定程度認められました。密室のような議会において扉を開いたということです。障害のある人も議員活動の自己決定ができる、人間の尊厳を保障するということを示した判決と言えます」

一方で小池さんは訴訟の後も「議会活動」に壁を感じる議員がいる現状について、次のように指摘します。

小池公夫さん
「私たちは、おかしいことに目をつむったり、見て見ぬふりをしたり聞こえないふりをしていれば、法律や制度がたちまち空文化され、実態が失われる現実に直面しています。障害者は同情やあわれみの対象としてではなく、自立した個人として尊重され、憲法で保障されているすべての基本的人権を享有できるまで、闘いは終わることがないと思っています」

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