質問をはばんだわずか15センチの“壁”

「自分1人のために申し訳ない」

記者の前で、伏し目がちにぽつりともらした1人の男性。彼の職業は市議会議員だ。

何か悪いことをしたわけでは決してない。志を持って飛び込んだ政治の世界。

だが、ある出来事をきっかけに、自身の生活が一変した。

周囲の環境に順応しようともがく中で、ふと発せられた言葉は、なぜか恐縮に満ちていた。

「そんなこと思わなくたっていいじゃないか」

もやもやした気持ちを抱えながら、私は取材を始めた。

(長崎局記者 郡義之)

※記事中の年齢や肩書きは記事公開当時のものです。

一変した生活

ことし2022年3月、長崎県佐世保市。窓の外に春雨がしとしとと降る市役所庁舎4階の市議会委員会室に、介助者を伴ってゆっくりと車いすで向かってくる男性が現れた。

北野正徳(62)。佐世保市議会議員を務めて2期目になる。

1年余り前までは健康そのものだった北野。大病をした経験もなかったという。

市議会が録画していたかつての一般質問では、舌ぽう鋭く質問する姿が見て取れた。

しかし去年1月、突然脳梗塞に襲われた。およそ8か月間の懸命のリハビリの末、何とか日常生活ができるまでに回復したものの、左半身にまひが残った。

生活は一変した。ふだん1人でできていた日常の動作ができなくなった。

「議会に行くためのスーツがうまく着られないんです。それにネクタイも自分では締められない」

自由に体が動かない北野のかたわらで、常にサポートに当たるのは妻だ。

議会の会期中は自宅から市役所まで片道10キロ余りの道のりを車で送り迎えしてもらう。議員活動がない時にはリハビリに付き添ってもらう。

かいがいしく支える妻の姿に北野は感謝しつつも、「妻頼みで、自分で自主的に動けないので、それがもどかしいんですよ」

北野は、自由が利かない自身の思いをことばに込めた。

わずか15センチで…

障害者となった北野が一番痛感したのが、自身の職場である市議会の不便さだった。

地上13階地下2階の市役所庁舎。建設したのは、昭和49年。

くしくもこの年は、国連の専門家会議が『バリアフリーデザイン』報告書をまとめたことで、「バリアフリー」という概念が世界的に知られるようになった年でもある。

しかし、市役所庁舎の至る所にある段差。車いすで思ったほど自由に動き回ることはできない。当初は、電動車いすを使った移動も考えた。

脳梗塞の影響で、左側の認知が難しく、扉にぶつかる場面もあって、使うのはやめた。

さらに、障害者が使えるトイレは、本会議場があるフロアにはなく、エレベーターに乗って別の階に移動しなければならなかった。

そして、最大の難関は本会議場そのものだった。

私(記者)は特別にお願いして、北野に本会議場の自席に行くまでの流れを再現してもらった。

佐世保市議会では、車いすが本会議場内にそのまま入ることはできない。

北野は議場に通じる最寄りの階段まで車いすで近づいたあと、右手でてすりをつかみ、妻が介添えしながらゆっくりと4段の階段を上った。

「筋肉が落ちている影響もあって体のバランスがとれない」

議場の中は付き添いについてのルールが無いため、妻は原則入れない。

杖を使い一人で最後列の席まで歩くのは「それほど苦ではない」とは言うものの、以前に比べれば時間は倍以上かかる。

さらに、質問席にたどり着くには、またしても4段の階段が立ちはだかる。ここには手すりがない。

この階段で辛い経験をした。

病に倒れてから初めて出席した去年12月の定例市議会。

市長ら執行部の考えをただす一般質問を考えていた。しかし、周囲から不安視する声が上がった。

「段差で転んでは危ないのではないか」

北野は、断腸の思いで一般質問を断念した。階段の高さは1段15センチ。これが議員にとって大事な活動をはばんだ。

「左足を引きずってでも質問したかった。でも事故を起こしたら、周りが困るから」

そう私に語る北野の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

いまだ進まぬバリアフリー

私は、長崎県内にある議会のバリアフリーの現状がどうなっているのか、県と21の市・町の議会にアンケートを行った。その結果、議会内でバリアフリー化をしていると答えたのは、全体の半数に当たる11の議会にとどまった。

バリアフリーに対応していないと答えた市や町の議会に理由を尋ねたところ、「障害のある議員がおらず、必要性を感じなかった」や「改修費用がかかる」などと説明した。ただ、バリアフリーに対応していると答えた11議会をさらに分析してみると、このうち、議場内のバリアフリーに対応していると答えたのは7議会とさらに少なくなる。

今から、3年前の参議院選挙で重い障害がある議員が当選し、国会内で進んだバリアフリー化。大型の車いすでも入れる専用議席や、登壇のためのスロープ、昇降機の設置…。

こうした取り組みが、地方にも波及するのではないかと考えていただけに、残念な思いがした。

ある市議会事務局担当者は「議場改修には多額の経費がかかる。国は、整備基準や環境整備を後押しする財政支援の方針などを明確化してほしい」と訴える。

ソフト面のバリアフリーも

バリアフリーはハードの側面に限らない。それは、介助などの費用負担の問題だ。

議会主催の視察や研修の場合は、自治体によっては、公費負担を認めたり、議会事務局職員が介助を行ったりするところもある。しかし、議員個人の活動には議会側のサポートはなく、障害のある議員は自分で介助を手配し、費用を負担している。

議員報酬は健常者も障害者も同じ額。

議員報酬とは別に、議員活動で使える政務活動費(政活費)で介助費を賄える議会もあるが数は少ない。町村の議会では政活費そのものが支給されないところもあり、障害のある議員からは「健常者の議員と同じスタートラインに立っていない」と改善を求める声がある。

全国の障害者議員らが連携し、働きやすい環境を求めて26年前から活動してきたグループがある。

それが「障害者の自立と政治参加をすすめるネットワーク」だ。

現在、代表を務めるさいたま市議の傳田ひろみ。

自身も4歳の時、ポリオの影響で手足が不自由となって以来、車いすの生活を送る。傳田も、議場内の環境改善に長年取り組み、スロープ設置実現に15年かかった経験がある。傳田は障害者が議会にいることの意義をこう強調する。

「当事者でなければ わからないこともある。障害者だけでなく、子育て中の母親や性的マイノリティの人たちなど、その人だから発せられる言葉はとても重い。だからこそ、 こうした人たちが議会に入ることで、よりよい環境に変わっていくと思う」

「サポートする環境なければ議員にならない」

健常者も障害者も分け隔てなく生きていく「ノーマライゼーション」という考え方が日本にも普及して久しいが、政治の世界にあっては、障害者が健常者の基準に合わせるという現状がいまだに続いていると言える。

地方議会に詳しい大正大学教授の江藤俊昭は「サポートする環境や制度がなければ、障害者が議員になろうとは思わない」と話し、環境整備を先行して進める必要性を指摘する。

「誰でも来られる議会を作っていかなければいけない。LGBTQをはじめ、多様性が認められる時代にあって、議会も変わっていく必要があると思う」

障害者になって気づいた

佐世保市議会では今、議会内での改修作業が進んでいる。

議場内には、段差の一部にスロープが置かれるほか、議場に入る階段には、車いす用の昇降機も設置。多目的トイレも増設される。ことし9月定例市議会までには完成する予定だ。議場内の段差を理由に、一般質問を断念した市議の北野。改修が終われば、一般質問に立ちたいと意欲を見せる。

障害者になって気づいたこともあった。

「いろんなところに障害者や高齢者のためのスロープが付いているけども、案外使い勝手が悪かったり、トイレ1つとっても、障害の種類によって、望ましい手すりの位置なども微妙に違う。やっぱり、見えないところに壁がたくさんあるんだと思った」

さらにこう続けた。

「私の後に続く障害のある人たちが困らないよう職責を果たすのは当たり前のこと。自分もこういう体になったので、新たな使命感も出てくる。声が出る限りは頑張る」と意欲を見せる。

私たちがなすべきことは

全国に約3万2千人いる地方議員。そのうち、障害のある議員は、全体の1%にも満たない。ただ、佐世保市議の北野のように、障害者になって初めて気づく社会の「壁」もあり、それが世の中を変えていくきっかけにもなる。

私も長年、障害のある議員を取材してきた経験から思うのは、その人たちが周囲の配慮に対して「申し訳ない」と思わせるような空気を作ってはいけないということだ。

生きていくのに必要だから、配慮する。ふだんから障害のある人と接していれば、おのずと理解も深まるはずだが、日本ではそのような機会はまだまだ少ない。

町の大事な政策を決める議会こそが率先して、障害者問題に取り組み、当事者だからこそ、実現できる政策を生み出していくべきだと思わずにはいられない。

(文中敬称略)

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