憲法9条と安全保障

憲法の平和主義の原則のもと、「戦争の放棄」、そして、「戦力の不保持」を定めているのが9条です。戦後日本の憲法をめぐる議論は、この9条のもとで国の安全保障や自衛隊の活動をどう考えるかを中心に繰り広げられてきました。

自衛隊・在日米軍は“戦力"か

憲法9条は、1項で「戦争の放棄」を、2項で、その目的を達するため、「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を定めています。憲法の施行後、朝鮮戦争の勃発をきっかけに創設された警察予備隊などを前身として、1954年7月、陸・海・空の自衛隊が発足。以来、9条との関係は、常に議論となっていました。
政府は、憲法9条の規定は自衛権まで否定するものではないという見解を示し、自衛隊について「日本を防衛するための必要最小限度の実力組織であり憲法に違反するものではない」と説明しています。司法の場では、1973年に自衛隊基地の建設をめぐるいわゆる「長沼ながぬまナイキ基地訴訟」で、札幌地方裁判所が自衛隊は憲法に違反するという判断を示しましたが、2審の札幌高等裁判所は、「司法審査の範囲外だ」として、憲法判断を示さないまま原告の訴えを退けました。この考え方は「統治行為論」と呼ばれ、その後は同じように判断を示さないケースが続き、最高裁判所では自衛隊と憲法9条の関係について明確な判断は示されていません。
このほか、アメリカ軍の日本への駐留が憲法9条に違反するかどうかが争点となった「砂川事件」で、最高裁判所は1959年に出した判決で、「外国の軍隊は、たとえ日本に駐留するとしても憲法9条が定める『戦力』には当たらない」という判断を示しています。

自衛隊の国際貢献と9条

憲法の理念にもとづき、「専守防衛」の方針のもと、国内での任務を続けてきた自衛隊は、1990年代以降、国際貢献に活動の幅を広げることになります。
1992年に施行されたPKO協力法の制定過程では、武力行使につながるおそれはないのかなど、憲法9条との関わりが大きな論点になりました。政府は、仮に武器を使ったとしても、隊員の命を守るためなど必要最小限度であれば、9条が禁じる武力の行使には当たらないと説明。こうした議論が、日本独自の「PKO参加5原則」の策定につながりました。
その後のイラクの復興支援やアフリカ・ソマリア沖での海賊対策など、自衛隊の海外派遣は憲法との整合性が常に議論となってきました。

安全保障関連法

改めて憲法9条が大きくクローズアップされたのが2015年に成立した安全保障関連法です。
当時の安倍政権は、憲法9条のもと歴代の政権が許されないとしてきた集団的自衛権について、憲法解釈を変更して限定的に行使を容認したうえで、この法律を成立させました。これによって、アメリカなど密接な関係にある外国が攻撃を受け、日本の存立が脅かされる「存立危機事態」には、自衛隊は、日本が直接攻撃されていなくても武力が行使できるようになりました。
この法律では、弾薬の提供など外国の軍隊への後方支援、そして、PKOなど国際平和協力活動などの分野でも自衛隊の活動範囲や内容が拡大し戦後日本の安全保障政策の大きな転換点となりました。