制定されたあとの憲法の広がり

新しく出来た日本国憲法を国民に広めるため、国はさまざまな方法で普及活動を展開しました。

全国へあらゆる方法で普及された新憲法

「日本国憲法」が公布された1946年11月3日から約1か月後の12月1日。国民に新憲法の精神を普及する「憲法普及会」が作られました。

「憲法普及会」はGHQの指導のもとさまざまな形で活動を展開し、法学者などが講師となって中央や地方の中堅公務員に研修を行ったほか、全国各地で住民への講演会が開かれました。また数多くの解説書が出され、「新しい憲法 明るい生活」は2000万部が全国の各世帯に配布されました。

ほかにも懸賞論文の募集、映画、「憲法音頭」などの歌を通じた啓蒙活動まで行われました。

「憲法普及会」の「事業概要報告書」には、「新憲法がわれわれの血となり、肉となるように」「実行がともなわない憲法は死んだ文章にすぎない」などと記されています。

子ども向けの解説書も

1947年3月制定の教育基本法でも、新憲法の理想の実現をめざす教育が明記されました。児童向けに「子供のけんぽう」や「少年少女のための憲法のお話」といったやさしい文体と挿絵付きの図書が出版されたほか、当時の文部省も中高生向けの教科書「民主主義」や、中学1年生向けの「あたらしい憲法のはなし」を作りました。

このうち「あたらしい憲法のはなし」に掲載された、「戦争放棄」という言葉とともに兵器を捨て平和な世の中へ向かう様子を描いたイラストは、今の教科書にも使われています。

教科書が作られてから3年後、朝鮮戦争が勃発し冷戦の時代に入ると、日本でも自衛隊の前身となる警察予備隊が創設されます。こうしたなかで「あたらしい憲法のはなし」は教科書から補助教材になり、数年後には、学校現場から姿を消しました。

憲法なるほどコラム

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