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国民審査の制度は不可欠ではない?

去年の国民審査にあわせて、私たちが制作したこのサイトに寄せられたみなさんのご感想の中には、「制度の仕組みや意義がわかった」という声もありました。
ところが制度の意義を周知する立場の国(政府)は、ある裁判の中で「国民審査という制度は必要不可欠のものではない」と主張しました。その裁判は、海外に住む日本人が起こしたものです。
「国政選挙の投票は海外でもできるのに国民審査の投票ができないのは憲法に違反する」という訴えです。国は、なぜ国政選挙と違う扱いをしているのかを説明する中で「不可欠の制度ではない」と主張しました。

つまり三権分立の考え方のもとでは、国会や行政に対する「ブレーキ役」となる司法にも何らかの形で民主的な統制を及ぼす必要があるけれども、それは国会の信任を受けた内閣が最高裁の裁判官を任命・指名することで保たれている、という主張です。
国民審査はあくまでも補完的なものに過ぎないので、海外で投票できなくても問題ない、という趣旨です。

しかし最高裁はこの主張を真っ向から退けました。国民審査は選挙と同じ性質を持ち、国民が審査権を行使する機会は憲法のもとで平等に保障されていると指摘したのです。
その前提となっているのは、最高裁の持つ権限の重要性です。国会が作った法律や、政府が出した命令や処分が憲法に違反していないか審査して、最終的に「NO」を突きつける役割は、最高裁に任されているからです。
だからこそ主権者である国民が裁判官を罷免することができる国民審査の制度が憲法に明記されているのです。

敗訴した国は、国民審査の制度を見直す法改正を迫られることになりました(※詳しい判決内容はこちらの記事をご覧ください)。
最高裁にとってみれば、国民審査の制度は自分たちの解職につながる制度ですが、それでも民主的な社会にとって重要な意義のある制度だと認めた形です。

今後、法改正の議論に入るのであれば、ほかにも改めるべき点はないでしょうか?
専門家からは、例えば、投票の際に何も記入しなければ「信任した」とみなすような仕組みのままでいいのか?といった指摘も出ています。
さらに審査対象の裁判官の略歴などを記した「公報」を各世帯に配るだけで判断材料は十分なのか?という点も考えてみたいところです。これは私たち報道機関に関わる部分でもあります。これから議論がどんな風に進んでいくのか、その動きを注視していきたいと思います。

あわせてこちらの記事「『憲法の番人』の“伝家の宝刀”」もお読みください。