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天皇皇后両陛下・上皇ご夫妻と災害

天皇皇后両陛下と上皇ご夫妻は、災害で被災した人たちに心を寄せ続けられています。

平成3(1991)年、43人が犠牲になった長崎県島原市の雲仙普賢岳の噴火災害で、上皇ご夫妻は災害の発生から1か月後、小規模な火砕流が続く中で被災地に入られました。

避難所では板張りの床にひざをついて被災した人たち一人一人にことばをかけられました。

この災害の被災地には両陛下も心を寄せ、平成8年、島原市などを訪れて、犠牲者を追悼するとともに、遺族や被災者を励まされました。

平成7(1995)年には阪神・淡路大震災が発生し、6434人が犠牲になりました。上皇ご夫妻は発生から2週間後、余震の続く被災地に向かい、被災者を見舞われました。

大規模な火災で焼けた地区を訪ねられた際には、上皇后さまががれきの上に皇居のお住まいの庭で摘んだスイセンの花を手向けられ、その後、スイセンは復興のシンボルとなりました。

兵庫県北淡町 平成7年(1995)1月

両陛下も外国訪問の日程を途中で切り上げて帰国し、2か月連続で被災地を見舞われました。避難所では上皇ご夫妻と同じようにひざをついて被災者にことばをかけられました。

避難所の小学校で 神戸 中央区 平成7年(1995)2月26日

翌平成8年(1996)には、両陛下は震災から1年の節目に開かれた追悼式に出席されました。

天皇陛下は「この被災の地に真の安らぎのある生活を一日も早く築きあげられますよう、願ってやみません」と述べられました。

そして、未曽有の大災害となった平成23(2011)年の東日本大震災では上皇さまが災害発生から5日後、ビデオメッセージという異例の形で国民に語りかけられました。

この中で上皇さまは「被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人一人が被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています」と述べられました。

その2週間後には上皇后さまとともに東京都内の避難所を訪れ、以降、7週連続で東北3県の被災地などを見舞われました。

両陛下も震災の翌月、東京の避難所を訪問したのに続いて、東北3県などを相次いで訪れ、被災者を励まされました。

避難所の小学校で 宮城 山元町 平成23年(2011)6月4日

皇后さまは療養が続いていましたが、被災者を励ましたいと強く希望し、訪問を重ねられました。

天皇陛下は震災発生から5年となる平成28(2016)年の記者会見で、「雅子とともに被災者お一人一人の悲しみやご苦労に思いを寄せ、厳しい環境の下で暮らす被災者の健康とお幸せを祈りながら、被災地の復興に永く心を寄せていきたいと思っております」と述べられました。

近年相次ぐ豪雨災害の被災地も見舞われています。平成30(2018)年9月、両陛下は前の年の九州北部豪雨で大きな被害を受けた福岡県朝倉市の仮設住宅を訪ねられました。

福岡 朝倉 平成30年(2018)9月22日

お二人は避難生活を送る車いすのお年寄りに寄り添うようにしゃがみこみ、「お体をお大事に」「これからも長生きしてください」などとことばをかけられました。

令和元(2019)年9月28日、天皇として茨城県で国民体育大会の開会式に臨んだ際には8月末の大雨や、台風15号を念頭に、「ここ茨城県を含む各地で大きな被害が生じたことに心を痛め、被災された方々の御苦労を案じています。復旧が1日も早く進むことを心から願っています」と述べられました。

令和元(2019)年10月、台風19号の大雨による被害が明らかになると、犠牲者への哀悼と遺族や被災者へのお見舞いの気持ちをあらわされました。

  • 宮中三殿での儀式

  • 即位礼正殿の儀

  • 祝賀御列の儀

  • 饗宴の儀