新型コロナウイルス 感染者・家族 遺族の証言
感染 夫の死
周囲に伝える決意

名古屋市に住む70代の女性は49年間連れ添った夫を新型コロナウイルスで亡くしました。5月中旬、およそ3か月ぶりに営んできた美容室を再開させた女性。その日を迎えるまでには、さまざまな葛藤がありました。

この女性と息子の前回の証言「故郷に戻れず逝った父」はこちら

今も帰ってくるようで

女性の夫はECMO(人工心肺装置)が必要になった際、東京の病院に搬送され、そのまま亡くなった。女性自身も感染し入院したため、夫をみとることも火葬に立ち会うこともできなかった。あれから1か月、再び取材に訪れた

いまだに実感がわかないんですよ。どうしても(夫が)いるような感じがして、まだ帰って来るような感じがするんですよね。「これお父さんに教えてあげよう」ってすぐ思っちゃうんです。すっごい元気な姿しか見てないでしょう。それで、もう亡くなったよって言われて、お骨になって帰って来てね。

うち、猫を飼ってるんだけど、猫が何か面白いことするとね、「お父さんきょうね、こうだったんだよ」って言ってね、返事がないけどね、やっぱり話しかけてる。猫も分かってるみたいで、主人の部屋に行ってね、ベッドのとこですごい声で鳴くんですよ、夜中にね。だから「何でいないの?」って言ってるのかなぁとか思いながらね。すごくかわいがってたからね。

亡くなってすぐはとってもつらかったです。なぜうちなの?って、1日に何度も頭をよぎってね。もうちょっと長く一緒にいられると思ったけども、こんなにあっけなく、突然別れなきゃいけないというのは、夢にも思ってなかったんですよね。

変化する記憶 夫との最後の思い出

夫の死から2か月、女性の中で変わってきた記憶があるという。亡くなる直前、東京の病院のICUで眠る夫に電話越しに声をかけたときのことだ

とにかくすぐに電話をしてって(東京で付き添っていた息子が)言うから、急いで電話をかけたんですけど。突然だったから、一瞬どういうことなのか分からなくて、頭が何か真っ白の感じになって、何を言ったらいいんだろうって。もうとにかく、今までね、幸せだったこととかね、ありがとうっていうこととか、長い間一緒にいてくれてねっていうようなことは伝えたと思うんですけどね。

あと心配しなくていいよって、ちゃんとやっていくから、だからもう頑張らなくて楽になっていいよっていうことは伝えましたね。もっともっと伝えたいと思ったけど、なかなか言葉にならないんですよね。一度も会うこともできなかったけど、声はかけられたことで、そこで納得しなきゃなっていうのは…。

本当にだめなの、今そのときのね、電話思い出しても涙が出てきてしまうんだけどね。

当初は、十分に声をかけられなかったという後悔の記憶だったが、今は違うという

そのときは悲しかったんですけど、息子からの電話で「僕とお母さんの声を聞いたときに、お父さんの血圧がスーッと下がっていったよ」って。「聞こえたよね、絶対通じたよね」って言ったから、私も絶対通じたと思ってますけどね。

もうそれはすごく大きいです、自分の気持ちの中では。本当にそれがあったから、今こうしていられるのかなって。それすらなかったら耐えられるのかなっていうのはね。

今思っても、あの言葉がかけられたことがね、唯一救いかなって。今はもう、少しずつ、まぁ少しずつ、少しずつね、主人との別れというのか、無理に亡くなったことをね、自分に言い聞かせなくてもいいのかなとは思ってます。

迷い続けた美容室の再開 “周囲の目が怖い”

前回の取材の際、女性は50年余りにわたって営んできた美容室を閉めるかもしれないと話していた。再度の取材は、店を再開することを決めたと連絡を受けたためだ。1か月のうちに何があったのかー

すごく迷って迷って迷って、毎日迷って。特別の目で見られるとか、偏見の目で見られるんじゃないかなってね。病院にいるときから、それは思ってましたね。

私が病院にいるときは、「本当に大丈夫?」とか「がんばってね」って言ってくれる人がいたんですけど、退院してきたら、ぱっと電話がないんですよね。だから、どういうことなんだろうって思ったり、怖いっていうのもあるんですよね。元の生活に戻れるんだろうか、前のように接して頂けるか、お客さんが戻ってくれないのかなとかね。

何度もね、もうやめようかな、閉店しようかなって。やっぱり、日に日にコロナの患者さんが増えてきて、ああ、やっぱりすごくコロナって怖いんだなって周りも思ってるでしょ。そうすると、私が陰性になってもコロナをずっと持ってるっていうふうに思われるんじゃないかなって。だからもう閉めたほうがいいのかなと。閉めたら楽になるんですよね。

そんな女性に閉店を思いとどまらせた人がいる。1人は女性の長年の友人だ

(友人)
彼女、退院が決まるか決まらないかの時に「店戻ってもやれるんだろうか。もうこれを機会に閉めちゃったほうがいいんだろうか」とか、何度もそれは毎日のように電話で言ってたので、「それは考えちゃだめだよ」って。「店はやろうよ」って。

後になって、ご主人が亡くなられてしまってからはなおさら。やっぱり1人でいるっていうこと、余分なことも考えます。これがなければお父さん元気だったのにとか、そういう後ろ向きなことを考える。誰か人が来てくだされば、その時だけでも彼女、気持ち的に、ちょっと楽になれるんじゃないかなっていうことは思いますよね。

私も確かにコロナ自体は怖いとは思いますよ。でも、本当に彼女は、お客さんが見えたらここで手を洗ってもらって、アルコール消毒をここでしてっていう、十分すぎるぐらいのあれ(対策)をしてたので。そのことに関して、怖いとか、そういうふうに思ったことはないです。全然別のところに、スーパーに買い物に行ってもうつる可能性はあるので、ここに来たからといって彼女がもう陰性で帰ってきてるのに、怖いなんて思ったことはないです、本当に。

“感染を周囲に伝えよう” 息子の思い

もう1人、背中を押したのが息子だった。自分の感染や夫の死を客に伝えたうえで店を再開するよう促したのだ

(息子)
もし自分がお客さんの立場だったら、美容室に来て頭をしてもらったあとに、実はあそこの方、コロナの患者さんだったんだよって聞くと、ひょっとして自分がうつったんじゃないかとか、とても不安になりますよね。

ですから来る人にはコロナの患者であったことを知ったうえで来るか来ないかの選択をしてもらったほうが僕はいいと思ったんですよね。知ったうえで来てくれるんであれば、それはいいと思うんです。でも、知らずに来るっていうのはなんとなく不誠実のような気がして。

ですから、母には本当に酷だなと思ったんですけど、ちゃんと伝えたほうがいいと、かなり強く言いました。やはり、誠実な対応っていうんですかね、きちんと伝えるべきことは伝えると。そのうえでお付き合いしていただけるかどうかっていうのは、それは向こうの方が決めることだと思いますから。

東京に搬送されてからも父親に1人で付き添った息子。その経験が、母への言葉につながったという

最初は(新型コロナウイルスへの感染は)遠い国の話で、自分には関係がないと思ってました。ですから父が最初にかかったときは、何かの冗談かなと。陽性と聞いて、どうそれを受け止めていいか、初めは分からない気持ちでした。

いよいよ父が入院して、状態が少しずつ悪くなっていって、母も入院ってなったときに本当に怖くて怖くて、しようがなかったですね。自分が感染するんじゃないかってことが本当に怖くて。

少しずつ考えが変わってきたのが、父が入院してた東京の病院で看護師さんが本当に一生懸命、父の治療をしてくれていて、看護師さんたちがやってる手指消毒とか、そういうのを見ていると、きちっと、すべきことさえすれば感染ていうのは防げるんじゃないのかなと。

そう思って見ているうちに、コロナが怖いんじゃなくて、コロナに対してどういう行動をとるのかといいますか、マスクをつけずに歩いていたり、手洗いをしなかったり、そちらのほうがむしろ気になるようになってしまって、あまり、ウイルスに対する怖さっていうのは感じなくなっていったということだと思います。

私たちに対して偏見を持ってる方もいらっしゃるかもしれない。でも、それもいっときのことで、また時期がたてば時間がたてば変わってくるんじゃないかなと。

遺族を支えるもの

感染を明かし、店を再開した女性。常連客と会話をしながら、手際よく髪をカットする姿があった

話した当初は、ちょっと、反応がね、色々ありますけど。うちのお客さんに(対して)「コロナにかかったお店なんか行くのやめなさい」って言われたって(聞いて)。その方が「私はあそこが好きだから行くんだから、治ってお店あけてるんだから関係ないよって言ったんだよ」っておっしゃってくださったけど、やはり、そういう目って結構ありますよね。

でも今になったら、話して良かったって。理解してくださる人が、1人2人ってね、戻って来てくださるというかね。店をやろうと決心したことはよかったなって。

何も話さないで1人で抱え込んでいると、もう、どうにかなりそうな状況になりますよね。言ってしまったら、あとはその人がどう受け止めてくださるかっていうのはわかんないですけれども、自分の気持ちが楽になりますよね、話したことによって。

コロナに感染して、陰性になって戻って来られた方たちって、皆、同じ思いをしてると思うんですよ。世間の目が怖いというか。何か、外出しちゃいけないのかなっていうね。それが、自分の気持ちを聞いてくれる人がいるっていうことで、随分、救われるんじゃないかな。

(2020年5月11日・16日取材 社会部 山屋智香子)