“夫が行方不明に…” 認知症当事者 ある夫婦の葛藤

“夫が行方不明に…” 認知症当事者 ある夫婦の葛藤
にこやかな表情で寄り添い合う夫婦。しかしその笑顔の裏で、2人は今、大きな問題に直面しています。

5年前に認知症と診断された81歳のこの男性。家を出た後、自分で戻ることができず、行方が分からなくなってしまうのです。

こうした認知症の行方不明者は、国内で年間のべ1万8000人以上にのぼり10年で倍増。過去最多となっています。

夫婦の取材から見えてきたのは、認知症の本人の意思を尊重しながら、ともに生きることの難しさでした。
(NHKスペシャル取材班 北森ひかり/松田大樹)

元気だった夫が繰り返し行方不明に

三重県に住む齊藤暁さん(76)と共成さん(81)夫婦です。
夫の共成さんは5年前、アルツハイマー型の認知症と診断されました。

共成さんの症状は現状では「軽度」。
食事や着替えなど、身の回りのことは、ある程度自分でできます。

一方で、同じ話を繰り返したり、初めて出会った人を覚えられなかったり、コミュニケーションが難しくなってきています。妻の暁さんのサポートが欠かせないと言います。

共成さんは若い頃は大手自動車メーカーに勤務。英語が堪能で、海外赴任が多く、世界中を駆け回るビジネスマンでした。

その共成さんが仕事と同じくらい情熱を注いだのが“体を動かすこと”です。
柔道、空手、スキー、マラソンなど、ありとあらゆるスポーツにチャレンジ。仕事の日も毎日欠かさずジョギングしていたといいます。

共成さんが私たちに見せてくれたアルバムには、こんな写真も。
ボディービルの大会に出場したときの写真です。

ほかにもさまざまな大会に出場してきました。
夫 齊藤共成さん
「この頃はウエイトトレーニングやったり、柔道をやったり。これは駅伝。これはマラソン大会とか運動会とか。私は走るのが速いからね。こういうのに出るのが大好き」
当時のことを生き生きとした表情で、夢中になって話す共成さん。

共成さんにとって、体を動かすこと、そしてチャレンジすることはまさに“生きがい”です。それは退職して20年近くがたった今も続いていて、毎日欠かさず2時間は散歩していると言います。

しかし、認知症は、その“生きがい”にも影響を及ぼし始めました。

この5年、緩やかではありますが、症状は進行。

2年ほど前の朝には、散歩の途中で自分の居場所が分からず自宅に戻れなくなり、警察に捜してもらう事態に。

その後、1年前からは行方不明になることが繰り返されるようになったのです。

そのたびに暁さんは、自分で車を運転し、共成さんを捜さなければなりませんでした。

そして、私たちが取材で訪ねた日にも…。

強まる雨 見つからない夫

◆2023年 11月10日 AM5:00
自宅を出発したのは早朝の5時。まだ辺りが薄暗い中、共成さんは軽い足取りで散歩をスタートさせました。

◆AM7:00
いつもは2時間ほどで帰宅するという共成さんですが、この日はその時間になっても帰宅しません。

帰りを待っていた暁さんはスマートフォンを手にしました。

実は、共成さんが行方不明になることが続いたため、息子のアドバイスで、ある対策を講じていました。位置情報を把握できる端末を共成さんの靴に縫い付けておいたのです。
暁さんはスマートフォンを手に、心配そうに共成さんの居場所を確認していました。

位置情報のデータを見てみると、共成さんがいつもの散歩ルートにいることがわかりました。雨も降り始めたため、暁さんは車を運転して共成さんを迎えに行くことにしました。

データが示していたのは自宅から4キロほどの場所。到着しましたが、共成さんの姿が見えません。

この端末で確認できるのは数分前の情報だったため、体力のある共成さんは、すでにその場所を離れ、どんどん歩いてしまっていたのです。
◆AM8:00
妻 齊藤暁さん
「もしもし、ごめんね。お父さんが見つからなくて…」
暁さんは位置情報を頼りに捜し続けましたがなかなか見つからず、近くに住む息子の妻に助けを求めました。
それから2人で必死に捜しましたが見つかりません。

雨足も強まっていました。
◆AM8:30
暁さん
「齊藤と申しますが、実は主人が行方不明になっておりまして。2時間近く走り回っても、どうしてもつかまらなくて。服装は白い上着に白い帽子…」
暁さんは、警察に届け出ました。

◆AM10:00
さらに捜索を続けた暁さん。

フロントガラスごしに共成さんの姿を捜し、田んぼが広がるとおりに出たそのとき。
田んぼの隅にたたずむ、共成さんを見つけました。

捜索を始めてから3時間、共成さんが散歩に出てから5時間がたっていました。
共成さん
「ご心配かけました」
共成さんは申し訳なさそうな表情で車に乗り込み、暁さんにそう告げました。
暁さん
「ああ、よかった、よかった。どうしてるかと思ったけど。お疲れさま、お父さん」
共成さんの行方が分からなくなり、暁さんが捜しに出たのは1年間で20回ほどにものぼっていました。

私たちが取材したこの頃は毎週のように共成さんの行方が分からなくなっていたと言います。

去年9月には、散歩に出かけたまま3日間も行方不明に。暁さんは警察に届け出て、隣接する自治体にも連絡をして、遠くから親族も集まって総出で捜し回りました。幸い警察に保護され無事でしたが、暁さんは最悪の事態も頭をよぎったと言います。
暁さん
「夫はとにかく体が丈夫で、海外に行っても、どこに行ってもちゃんと帰ってくる人でした。どこに行っても元気で帰ってくるから、もし飛行機事故があっても、お父さんだけは無事に帰ってくるんじゃないかって思っていたくらいでした。だけど行方不明になったときは、9月だけど暑い日でしたし、いなくなって2日目の夜にはもうだめかもしれないと思っていました」
3日間も行方不明になったことを暁さんが尋ねると、共成さんは覚えていないようでした。道に迷っているという自覚もないようで、また日課の散歩に出かけていくのです。

「きょうも戻ってこないのでは…」

暁さんは毎朝、不安な思いで、散歩に出かける共成さんを送り出していました。
暁さん
「お父さんにとって運動は生きがい。『止まったら僕は何もできない人になっちゃう。動かなければ死んでしまう、僕はマグロと一緒だ』って言ってました。結婚した当初から、本当に動きっぱなしです。認知症であっても、お父さんは体力的には元気だから、止めてしまうことはかわいそうだし、絶対にできないと思う」
「夫の意思の尊重」と「行方不明になる危険」。

そのはざまで、暁さんは精神的にギリギリの毎日を過ごしていました。

意思を尊重して ともに生きる難しさ

55年前、知人を介して出会い、共成さんと結婚した暁さん。

その後、4人の子どもが生まれました。

ビジネスマンとして海外を飛び回っていた共成さんに、暁さんは専業主婦として、いつもついていき、マレーシアやフィリピンで暮らしたこともありました。

その後、4人の子どもたちは、それぞれが就職や結婚するなどして、家を出ました。

海外も国内もいろんなところで暮らしましたが「始まりの場所で余生を過ごしたい」と、13年前、結婚当初に暮らしていた三重県内に戻ってきました。
支え合いながら、ともに生きてきた2人。

暁さんは、2人で老いゆくことは分かっていても、しっかりものでいつも頼りにしてきた共成さんが認知症になり行方不明になるとは全く想像していませんでした。

暁さんは、認知症になった共成さんとともに過ごしていくことの難しさや先行きへの不安をノートにつづっていました。
「いつ自分の体が壊れるのか。動かなくなるのか?動かなくなれば、何もかも、自分のことも、お父さんのことも出来なくなるのです。急に恐ろしくなりました」

「お父さんは病気なのだとわかっていますが、目の前の出来事が私にはすべてなのです。まだまだ先は長い。今でもパニック状態の私。まったく自信がありません。みんなどうしているのだろう????」
さらに暁さんは、認知症になった共成さんが自分らしくいられる居場所がなくなってしまったのではないかと悩みをつづっていました。
「何かやることがあればやはり生きがいがあるのでしょう。お父さんが楽しめる、または出来ることをもっと探してあげなければ」
社交的で人づきあいが好きだった共成さんは、認知症になったあと、コミュニケーションが難しくなり、友人たちとの交流も減っていました。

暁さんは、ケアマネージャーや友人に相談し、朝の散歩以外にも、共成さんが楽しめる居場所を探そうと動きました。

しかし、それは簡単なことではありませんでした。
友人が紹介してくれた地域の高齢者の集まりに、共成さんと一緒に参加した日のこと。

共成さんは気に入らないことがあったのか、いらだって、会場から立ち去ってしまいました。

ケアマネージャーの勧めで、デイサービスに通ったこともありましたが、体力がある共成さんには合わず、途中で自宅に帰ってきてしまいました。

行方不明になるたびに一緒に捜し、対策も考えてくれる息子夫婦の存在が支えとなっていますが、暁さんへの負担は大きくなってきています。

命あるかぎりはみてあげたい

ことし1月。1か月ぶりに取材で2人を訪ねると、様子が変わっていました。

毎日、早朝から散歩に出かけていた共成さんですが、自分で起きることができない日が増えていました。そして、1人での散歩をしなくなっていたのです。

認知症がさらに進んで、あれだけ大好きだった体を動かすことをやめてしまったのでしょうか…。

心配になりましたが、もう1つ変化が起きていました。

運動を続けていくために、共成さんを暁さんが連れ出し、一緒に散歩するようになっていました。時間は1時間ほど、場所は家から車で10分ほどの広い公園です。

途中、共成さんは公園の中で道が分からなくなり、何度も「次はどこに行くのか」と暁さんに尋ね、後ろをついて歩く姿がありました。
暁さんに尋ねると、ここ最近、共成さんの笑顔が少なくなり、呼びかけに対する反応も少なくなっていると話しました。

今の暁さんには、自分の時間はほとんどありません。趣味だった畑仕事も、共成さんを自宅に残して外出することが難しいため、ほとんどできなくなっていると言います。

この日常の先に何が待ち受けているのか。先行きを見通すことは簡単ではありません。

それでも暁さんは、共成さんが笑顔でいられる時間を少しでも作ってあげたいと考えたと言います。
暁さん
「夫の(認知機能が)1か月ごとに、徐々に下がっているのがわかるので、1年後はどうなっているんだろうと不安に思います。できるだけ今の状況が続けばありがたいなと思う。先のことをあんまり考えないようにしている。つらいよ…。もう考えるとだめ。涙が出てくる。私の命があるかぎりはやっぱり見てあげなきゃいけないと思うんです。今をできるかぎり、楽しくするしかない。お父さんをニコニコさせたい。笑顔にさせられるようなことが何があるかなっていうことを考えてるだけです。私の気持ちもおかしくなって、どうにもならない状態になったら(どこかに)お願いするしかないかと思ってます」

誰もが認知症になる時代に

暁さんと共成さん、夫婦の散歩は、その後も続いていると言います。

共成さんは私たちに、暁さんと歩くこと、その時間が幸せだと、笑顔で話してくれました。
共成さん
「今こうやって体を動かして自分の好きなことをやっているっていうのは幸せ。女房も一緒に行ったりする。それが幸せ、大きな幸せです。一番大事な時間ですよ。一緒に過ごせることが大事、生きがいだしね」
いま、位置情報が分かる端末の利用が広がり、行政や警察、地域の人たちなどによるネットワークを使った捜索も行われるようになっています。

それでも認知症の当事者の日々の生活を支え、介護を担う中心は、あくまでもそばにいる家族で、負担が大きいのが実情です。

認知症の当事者にとって、生きがいや意思を尊重して生活していくことは、とても大切なことです。

しかし、それは簡単ではなく、厳しい現実があるとも感じました。

高齢者の5人に1人が認知症になると言われる日本で、決してひと事ではない行方不明の問題。

当事者やその家族が抱える苦しみとどう向き合っていくのか。

社会全体で考えていかなければなりません。
(2024年4月14日 「NHKスペシャル」で放送)
社会部記者
北森 ひかり
2015年入局
これまでは警察や医療を担当
認知症の当事者を継続的に取材しています
社会番組部ディレクター
松田 大樹
2015年入局
長崎局で国境離島や原爆関連を取材
NW9などを経て現職
多様な「生き方」を取材しています