輪島市河井町の松井健(たけし)さん(55)は1月1日、集合住宅の2階にある自宅で、妻のさおりさん(54)と長女の未来(みく)さん(26)、それに長男の拓(たく)さん(23)と4人で過ごしていました。
今は輪島を離れて暮らす未来さんは実家に帰省中で、家族4人のお正月でした。
さおりさんと未来さんはリビングに、拓さんは寝室に。健さんは自分の部屋にいたということです。
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「いつもみたいに、笑顔で名前を呼んで欲しい」【被災地の声】
わが子2人に囲まれ、うれしそうに笑顔を見せる父。
輪島市の自宅で家族で過ごしていた元日、突然の地震で命を落としました。
救命措置を受ける父の手を握り声をかけ続けた娘は、1か月あまりが過ぎた今も思い出して眠れない夜があると言います。
「受け入れたくないけど実感が湧いてきてしまって、毎日涙が止まらないです。いつ落ち着くことができるのかと…」
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輪島市河井町 家族4人の元日が
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未来さん
「父は私が金沢から買ってきたドーナツを食べて、おいしいって言ってコーヒーを持って自分の部屋に戻っていました」
そのとき、激しい揺れに襲われました。
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玄関を出て1階に下りて外に逃げようとしたとき、健さんだけが降りてきません。
未来さんは、直前の父の姿を見ていました。
「逃げようと部屋から出てきたときに『いてっ』っと言っていましたが、『大丈夫、大丈夫』と笑顔で言っていたのでたいしたけがじゃないのかなと思っていました。『早く逃げよう』と言って逃げたんですが、下りてこなくて」
「おとうが倒れている!」
様子を見に行った弟が「おとうが倒れている!」と叫びました。
健さんは、1階に降りる途中の階段の踊り場で倒れていました。
家族と近所の人たちで何とか建物の外に連れ出し、未来さんは弟と一緒に人工呼吸や心臓マッサージを試みました。
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救急車も呼びましたが、順番待ちで何度呼んでも来てもらえませんでした。
近くにいた看護師や自衛隊員が駆けつけてくれて、救命措置が行われる間、未来さんは健さんの手を握って必死に声をかけ続けました。
『未来も拓もおかあもみんな避難したから、おとうだけだよ』
未来さんがそう声をかけると、反応がありました。
「聞こえていたのか足を動かして立とうとして、私が握っている手をぎゅっとしてくれました。どうにか生きてほしいと思ったし、おとうと一緒に今までどおり過ごしたいと思ったし元に戻ってと思っていました。諦めたくなかったです」。
しかし、願いは届きませんでした。
その後、健さんの死亡が確認されました。
警察の説明では、死因は「短時間の圧迫による圧死」ということでした。
逃げるときに健さんがいた部屋のタンスが倒れていたということで、タンスで胸を強く打ったのではないかと家族は話しています。
輪島塗「まき絵師」制作に打ち込んだ父
健さんは、伝統の輪島塗に金粉などで美しい装飾をほどこす「まき絵師」として35年以上にわたって制作に打ち込んできました。
健さんが手がけた作品の1つ、「大名行列蒔絵」。
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家族に「一人一人の表情に変化をつけてこだわって描いた」と話していました。
未来さんは仕事に打ち込む父親を見て育ちました。
未来さん
「絵がすごく上手で毎日仕事に行って頑張っていたし、たまに部屋で漆の匂いがすることもあって一生懸命頑張ってるなと思っていました。『これお父がつくったやつやぞ』と作品を見せてくれて、『こんなに上手に描けるんや』とすごくびっくりしました。輪島塗を見るとお父さんを思い出します」
長年連れ添ってきた妻のさおりさんも、健さんの職人としてのこだわりを見てきました。
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妻のさおりさん
「本当に休まないし真面目でした。ほかの人が辞めていく中でも自分ひとりずっとまき絵師でいました。コロナで工房がつぶれたときも『やっぱりまき絵師がしたい』と続けました」
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「ずっと一緒にいたかった」
健さんが目の前で命を落として1か月。
家族はその死を受け止めきれず、今も苦しんでいます。
さおりさん
「1か月なんてあっというまだった。悲しんでいるよりもやることがありすぎて、地獄の中にみんなでいたという感じだったから。本当に毎日頭の中、だんなのこと、家族のこと、これからどうしたらいいんだろうって考えてしまう。みんな私が『元気やから大丈夫』って言ってくれるけど、全然大丈夫じゃない」
「ずっと一緒にいたかった。この先もずっとじいじ、ばあばになるまで一緒にいるのが当たり前だと思っていました。なんで死んだのって本当にさみしいです。地震さえなければと思うけど戻ってきません」
「本当に前向いていこうとするしかないよね。せっかく命あるから。だんなの分も生きていこうとかそういうことじゃなくて、現実は自分たちが生きていかないといけない、このつらさを持ったままというだけやんね」
「受け入れたくないけど実感が」
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未来さん
「1日から父はずっと15日間そのまま保管されていて、いつ火葬されるのかもわからなかったので先が見えず、泣く暇もないくらい忙しくて、でも火葬が終わってちょっと落ち着いてきたら、受け入れたくないけど実感がわいてきてしまって、毎日涙が止まらないです。
目をつぶるとあの日のことがすごく鮮明に思い出されてしまって、寝られなくて。全然心に余裕が無いというか、いつ落ち着くことができるのかなと思います」
「いつも味方でいてくれて、私が仕事でつらかったときは『未来ならなんでもできるわい』って笑顔で言ってくれる優しくて大好きなお父さんでした。家族だけでなく周りの人にも優しくて、みんなから『たけちゃん』と呼ばれて愛されていた人で、尊敬しています。感謝の気持ちとか、大好きとか、恥ずかしくて言っていなかったけれど、生きている間にたくさん伝えればよかったと思います。
楽しみにしてくれていた結婚式も見せたかったし孫も見せたかった。それができないと思うと残念です。戻ってきてほしいし、いつもみたいに笑って未来って呼んでほしい」
ニュースポスト
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