助けられなかった娘「ごめん」見つかった遺品は【被災地の声】

倒壊した建物から見つかった、成人式の前撮り写真です。

写っているのは、地震の4日後に20歳の誕生日を迎えるはずだった娘の姿。着物を一緒に選んだ母親と2人、帰らぬ人となりました。

現場で2人の思い出の品を捜し続ける父が、苦しい胸のうちを話してくれました。

輪島市河井町 ビル倒壊で妻と娘が

輪島市河井町で居酒屋を営む楠健二さん(55)は、地震が起きた1月1日、店舗を兼ねた3階建ての自宅で家族5人で過ごしていました。

突然の大きな揺れで、隣にある7階建てのビルが倒壊、自宅は巻き込まれる形で下敷きになりました。

楠さんは助かりましたが、妻の由香利さん(48)と長女の珠蘭さん(19)を亡くしました。

珠蘭さんはふだんは神奈川県の看護学校に通っていましたが、正月休みで帰省中でした。

楠健二さん
「もう謝るしかない。娘を助けてあげられなかったし、娘と女房に毎日謝ってる」

楠さんによりますと、珠蘭さんは当初、倒壊した建物の中で話ができていたということです。

楠健二さん

「助けてとは言わなかったんだけど『パパ水ちょうだい』『パパジュースが飲みたい』『パパ、珠蘭平気だよ』って言ってたんだよ。ジュースは無かったから、通行人から水をもらって水だけ飲ましてあげたんだけど」

楠さんは水を飲ませながら助け出そうとしましたが、がれきに挟まれていて助け出すことはできませんでした。

「もうちょっと俺が助け出してあげられるような力があればさ、助けられたものを助けられなかった。謝るしかないんだよ。俺のせいだなと思うよね。だから、それを抱えて生きていくしかない」

思い出の品を捜し続ける

地震のあと、楠さんは県外に避難していましたが、1月27日に輪島市に戻り、2人との思い出の品を捜し続けています。

今月1日も自宅を訪れました。

手向けられた花の前で手を合わせたあと、ビルにつぶされた建物の隙間から中に入りました。

運び出したのは、妻の由香利さんがデザインした居酒屋のユニフォーム、そして、子どもたちの写真が入っている携帯電話です。

「テーブルがあって、その下にホットカーペットがあったんだけど、それがどうしても動かせなくて。ずっと潜ってガチャガチャやってたらコードが見つかったのね。たどったらこれがつながってた。見つかると思わなかったけど、よかったよ」

「時間は止まったまま」

これまでに、大切な思い出の品も見つかっています。

地震4日後の1月5日に20歳の誕生日を迎えるはずだった珠蘭さんの、成人式の前撮り写真です。

珠蘭さんが由香利さんと一緒に選び、楠さんが買ってあげた着物を着て写っています。

由香利さんは娘の成長した姿に、涙を流していたということです。

「俺は着物とかセンスないんで、女房と下の娘と上の娘の3人で決めに行ったんですよ。気に入ってましたね。すごく喜んでた」

このほか楠さんがどうしても見つけ出したいのが、珠蘭さんの携帯電話と去年の誕生日に由香利さんからプレゼントされた腕時計です。

地震前、テレビの上に置かれていた腕時計は、入っていた箱だけは見つかりましたが、腕時計そのものはまだ見かっていません。

腕時計は、サプライズで贈られたものだったということです。

「(由香利さんは)家族のために全力を尽くす人だったから。自分のことは二の次で全部やってきたから。だから捜しても女房のものはあんまり出てこない。自分のもの、あんまり持ってないから」

「時間は止まったまんまだよ。2人も一緒に失えばどうしていいかわかんないもんね。きのうが1月1日みたいな気持ちだから。切り替えが全然できない。1日とかきょうは何曜日とか、震災から何か月とか、全然頭にないんだ。ただただ、なくしたものを捜すだけだから」

そして、寒い中で2人の遺品を捜し続けることについては、こう話していました。

「娘が寒い思いして亡くなったから、寒いのは我慢することにしてるんだ」

輪島市 10数年ぶりに家族全員が

一方、地震で自宅が倒壊し80代の母親と帰省していた40代の娘2人を亡くした輪島市の夫婦も、地震から1か月となった今月1日、倒壊した自宅を訪れていました。

輪島市門前町道下の神崎浩二さん(70)と智子さん(66)です。

2人は、地震の発生時刻に静かに手を合わせました。

この家では、同居する智子さんの母親の美智子さん(87)と、帰省していた長女の希美さん(43)、次女の麻衣子さん(40)の3人が家屋の倒壊で亡くなりました。

正月に家族全員が集まったのは10数年ぶりのことで、くつろいでいたところだったということです。

美智子さんはゲートボールや韓国ドラマが好きで、畑作業に熱心だったということです。

明るい性格の希美さんと物静かな性格の麻衣子さんの姉妹は仲がよく、東京と金沢市にある互いの家を行き来したり、趣味のプロ野球観戦を一緒に楽しんだりしていたということです。

「たとえ動かなくなっても」

浩二さんは娘たちから還暦祝いにプレゼントされた時計をがれきの中から探し出し、形見として大切に保管しています。

神崎浩二さん
「助けてあげられなくて申し訳ないと思う一方で、1か月がたってもまだ全然実感がわかないというのが素直な気持ちです。残された人たちで一生懸命生きていくことが亡くなった家族たちのためになると思います。時計はたとえ動かなくなっても大事にします」

智子さんは涙を流しながら、こう話していました。

智子さん
「1か月がたっても現実に起きたことなのかとまだ信じられません。夢であればいいのにと思います。東京や金沢にまだ娘たちがいるのではないかと思うことも、助けてあげられなかったことを後悔することもあります。心の整理がつきません」

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