“人工雪” “厳寒” そして“風” ジャンプ台に適応できるか
北京に隣接し、およそ180キロ離れた河北省の張家口にある「国家スキージャンプセンター」はデザインが如意棒に似ていることから「雪如意」という愛称でも呼ばれています。
北京オリンピックに向けて中国で初めてのスキージャンプ台として新しく建設されましたが、着地点などはほとんどが人工雪で整備されています。
男子個人ノーマルヒルの決勝が行われた2月6日の夜の気温は、マイナス14度ほど。外に10分もいれば、まつげが凍ってくるほどの厳しい寒さでした。
こうした状況の中で、初めて飛ぶジャンプ台にいかに適応することができるかが勝負の大きなポイントでした。
日本代表の佐藤幸椰選手
「雪がない、人工雪の寒さって本当に寒い。ワールドカップを転戦する中でも1、2を争う寒さだ。そういう面ではすごくジャンプの質を上げるの難しいと感じる」
さらにこのジャンプ台の大きな特徴のひとつが“風”です。
ジャンプ台から見渡せる2キロほど離れた山に設置されているのは、風力発電施設の風車。「張家口の風でオリンピックを光らせる」というテーマのもとで稼働されているといいます。
張家口にある取材拠点からも毎日、勢いよく回っている風車を見ることができます。
“風”が競技に影響を与えるジャンプ台。
その向かいの山に風車という不思議な光景を目にすることができます。
このジャンプ台は“風ゲー” 攻略には“運”も必要
小林陵侑選手の兄、小林潤志郎選手は、このジャンプ台で競技することを「風ゲー」と表現していました。
踏み切り地点や着地地点で風の感じ方が変わるだけでなく、秒単位で風向きや強さがめまぐるしく変わるのが理由です。
1回目と2回目で風の条件が全く異なることも多く、瞬時に風の状況を把握して、それに合わせたジャンプができるかどうかが、大きく結果に影響するとみていました。
風向きやスタートゲートの位置を踏まえて示された選手ごとのポイントに大きく差があり、自分の順番でいい風をつかめるかの“運”も大きく左右するジャンプ台だったのです。
小林陵侑選手は、このジャンプ台で初めて飛んだ日の印象をこう話していました。
小林陵侑選手
「風が一定して吹いてなく、ゲートの設定が低くくなるのでジャンプにばらつきが出る。難しいジャンプ台だ」
自分のパフォーマンスだけに集中
予選はジャンプに有利な向かい風が多かったものの、決勝の1回目は、ほとんどの選手が不利な追い風の中でのジャンプとなりました。
今シーズンのワールドカップで、ここまで総合トップのドイツのカール・ガイガー選手も飛距離を伸ばせないなど、有力選手たちは次々と90メートル台にとどまりました。
そんな難しい条件にも小林選手は気負いが全くなかったと言います。
小林陵侑選手
「自分のパフォーマンスだけに集中できていたので、どんな風であろうといいイメージができていた」
そのことばどおり、小林陵侑選手は追い風で難しい条件の中でもこれ以上飛ぶと危険とされるヒルサイズに迫る104メートル50の大ジャンプ。
2回目は99メートル50にしっかりとまとめ、余裕さえ感じるジャンプで金メダルを手にしました。
その圧倒的な力を、銀メダルを獲得したオーストリアのマヌエル・フェットナー選手もたたえました。
マヌエル・フェットナー選手(オーストリア)
「1回目の時に10ポイント近く差がついていたので勝てると思わなかった。彼はすばらしいジャンパーなので金メダルなのは当然だ」
常にひょうひょうとして自然体に見える小林選手ですが、実は極度の緊張に悩まされた経験がありました。
克服のため、メンタルトレーニングで身につけた呼吸法などを実践するなど、試行錯誤を重ねて試合の際の心の持ちようなどを学びました。
これ加えて、年末年始恒例の「ジャンプ週間」といった勝たなければならない精神的なタフさが求められる試合を数多く経験。
そうした経験こそが、不利な条件の中でもいつもどおりの自分のジャンプができた要因でした。
小林陵侑選手
「たくさんワールドカップで緊張してきましたし(笑)。たくさんいろいろな経験をしてきたことが金メダルにつながったんじゃないかな」
ジャンプの魅力を知ってほしい
オリンピックで日本のジャンプ陣、24年ぶりの金メダルという快挙を達成した小林選手。
ジャンプの魅力をより多くの人に知ってもらいたいという思いがあります。
小林陵侑選手
「このあと、ジャンプブームに火がつけばいいなと思う」
日本のジャンプ界にとって新たな歴史の1ページとなった小林選手の金メダル。
これからもみずからのビッグジャンプで歴史を作り、長野大会のようなブームを作りたいと考えています。