やり残したことは何だろうと思うことはなかった

浅田真央

フィギュアスケート

2017年4月12日。都内のホテルで開かれた引退会見には海外のメディアも含め50台のテレビカメラ、100台のスチールカメラが並び、430人の報道陣が詰めかけた。

「私、浅田真央は選手生活を終える決断をいたしました。たくさん山がありましたが、支えてくださった方、たくさんのファンの方の応援があったから続けてくることができました」

女子の選手では当時は成功例の少なかったトリプルアクセルを持ち味に10代の頃から日本のフィギュアスケート界を実力と人気の両面で支えてきた。
5歳でスケートを始め、15歳で迎えたトリノオリンピックのシーズンは、オリンピックの出場資格を満たしていない年齢ながらグランプリファイナルで優勝。19歳でオリンピック初出場となったバンクーバー大会では、トリプルアクセルを女子選手で初めて成功させ銀メダルを獲得した。金メダルを目指した2014年ソチ大会は、ショートプログラムで16位と出遅れたものの、フリーでトリプルアクセルを決めるなど会心の演技で挽回。6位に順位をあげた。

「気持ちが今までの試合以上に落ち込んでいたり、つらかったりした部分があったが、それでもあれだけの挽回の演技ができた。それがオリンピックだったのがいちばんよかったと思います」

2014年5月。浅田は「自分の体と気持ちを少し休めたい」と休養を表明。現役を続けるか引退するのか、その可能性については「ハーフハーフです」と答え注目されていたが、1年後に競技に復帰した。
しかし、ケガもあって本来の力が発揮できない試合が続く中、引退を決断した。

「復帰後は試合に出るにつれて、今のスケート界の時代はすごいので、私自身もついていけるのかなという思いが強くなったり、気持ちだったり体の部分で復帰前よりも少しつらいことのほうが多くなった」
「引退を決断するにあたってはたくさん悩みましたが、やり残したことはなんだろうって思うことはありませんでした。それだけやりつくしたのではないかと思います」

約50分間の会見。浅田が登場してから退場するまでカメラのフラッシュやシャッターを切る音が絶えることはなく、報道陣からは次々と質問が続いた。
浅田が涙を浮かべてことばを詰まらせながら最後のあいさつを終えると、会場からは大きな拍手が贈られた。

フィギュアスケート