• TOP
  • 特集
  • 2002年日韓大会 宮本恒靖さん「フェースガードの誕生 実は…」

2002年日韓大会 宮本恒靖さん「フェースガードの誕生 実は…」

ワールドカップの記憶に残るワンシーン。元日本代表で活躍した4人が、そのプレーや知られざるエピソードを明かしてくれました。日本代表へのエールも届いています。

1回目は、2002年日韓大会・宮本恒靖さんです。

日本が大躍進し、初めてベスト16に入った大会でディフェンダーとして活躍。黒のフェースガードを着けた姿も大きな注目を集め、一躍、有名になりました。フェースガード誕生の裏話です。

【記事内にフェースガード姿の動画あり】

目次

    注目を集めた“バットマン?!”

    大会直前に鼻骨を折った宮本さん。鼻を守って試合に出るために着けたのが「フェースガード」でした。

    自国開催のワールドカップでの記念すべき初戦はベルギーとの対戦。試合前のロッカールームである話が進んでいました。

    宮本さん

    「もともとフェースガードは少しクリームがかった白色でした。いわゆる医療器具の色だったんですけど。ちょっと“見た目が弱い”となって、試合直前にコーチから提案があり黒の油性ペンで塗ろうということになったんです。ロッカーの中で塗り始めてたんですけど、ウォーミングアップに行かなければいけない時間になったので、他の人に委ねたんです。それで、ロッカーに帰ってきたら黒くなって完成していました。白よりも意外といいかもと思いましたね」

    宮本選手の顔つきに力強さを見せるため、黒の油性ペンで塗っていたのです。

    当時は珍しい、フェースガードを着けてのプレー。

    しかも黒い色。

    ベルギー戦後、海外メディアが宮本さんを人気映画の「バットマンシリーズ」のキャラクターになぞらえて伝えたことなどから、一気に注目が集まりました。

    会場を訪れた人たちには、黒いフェースガードやマントを着けた人の姿も見られたのです。

    宮本さん

    「ベルギー戦の翌日にゴールキーパーの曽ヶ端準選手が『恒さん“バットマン”って言われてますよ』みたいなことを話してくれて、初めて認識したんですけどね。真似したようなものをつけてくれてるような人もいましたし。それはそれで面白いなと思って見てました」

    予期していなかった途中出場

    宮本選手はベルギー戦でベンチスタートとなり、ピッチの外から試合を見つめていました。

    日本が2対1とリードしていた後半「フラットスリー」と呼ばれる3人のディフェンダーが並ぶ陣形の中央を守っていた森岡隆三選手が左足を痛めたため、急きょ、ピッチに入ることになりました。

    宮本さん

    「森岡選手がケガあがりだったので、座り込んだ時にケガが再発したかなと思って見ていたんです。立ち上がってプレーをしましたが、また座ったので、もしかして本当に交代があるかもなって。これ、もしかして試合に出るかっていう気持ちになりました。当時の映像にトルシエ監督の話に頷いてる自分が映っているのですが、何を言われたかまったく思い出せない。当時はディフェンダーが途中で出ることも少なかったですし、そういった意味では緊張もグッと上がりました」

    後半26分に交代し、ワールドカップのピッチに初めて足を踏み入れました。その時の会場の雰囲気や独特の緊張感は、きのうのことのように強く記憶に残っています。

    「ピッチに入ったら、普段は自分のポジションまですっと行ける距離が、体が重たいんです。空気が重たく感じて。水の中で抵抗を感じて歩く時って歩きづらいじゃないですか。あれに近いような感覚でした」

    “フェースガード”の影響

    さらにフェースガードが、微妙にプレーに影響を与えていました。

    宮本さん

    「(顔に)何も着けてなければ足元も間接視野で見えるので、顔を上げて前を向きながらプレーできますけど、フェースガードがあると足元の視野が消えてしまう。ボールがどこにあるか不安になるので、下を向いて確認しなければいけないんです。これまで見えていた周囲が見えなくなるので、プレー自体は本当に50%くらいになるイメージでした」

    危機感が快進撃の原動力に

    日本は後半30分、隙をつかれて同点に追いつかれ2対2で引き分けました。

    初めての勝ち点「1」に代表チームの士気は上がっていましたが、ディフェンス陣は2失点目のゴールに危機感を抱いていました。

    宮本さん

    「相手のベルギーがすごく研究をしてきて『フラットスリー』の弱点を突かれたんです。ディフェンス3人がラインを同時に上げていたタイミングで、背後に2列目からベルギーの選手に飛び出されて反応できなかったんです。だから試合後にみんなと宿舎の露天風呂に入ったとき、同じ状況ならラインを上げきらないとか、前方から来るボールに対応しやすいよう構えるなど、守備陣で話し合いながら修正して次の試合に臨みました」

    宮本さんは黒のフェースガードを着けて、1次リーグから決勝トーナメントまで4試合すべてに出場し、ディフェンスの中心的な役割を担いました。

    ディフェンスラインの上げ方など、守備の修正を図った日本は続くロシアとの試合に1対0で勝利。

    日本がワールドカップで初勝利を挙げました。

    第3戦ではチュニジアに2対0で勝ちました。

    2試合続けて無失点の堅い守りで、初めて決勝トーナメントに進む快挙を成し遂げました。

    あれから20年余り。

    今は日本サッカー協会の理事を務めています。会長補佐という重責を担い、カタール大会を盛り上げる取り組みや、選手時代の経験を協会の職員に伝え、代表の環境をサポートする仕事に関わっています。

    改めて振り返って、自分の姿を多くの人たちの記憶にとどめてくれた黒のフェースガードに感謝の気持ちを抱いています。

    宮本さん

    「何より黒いフェースガードを着けていたことで、今でも私を思い出してくれる人もいます。良かったんじゃないかな」

    最後に、過去最高の成績となるベスト8以上を目指す日本代表にみずからの経験を踏まえて、エールを送ってもらいました。

    宮本さん

    「ワールドカップでは、大会を通じて現場で出た課題をいかにチーム内で修正していくかが、チームが勝ち進むうえで重要なカギになることを学んだ。それぞれの国のサッカーの総合力が求められる大会になる。日本も力をつけてきていると思うので、今回は1つのチャンスだと思います。ぜひ、日本がベスト8に行く姿を見てみたいですね」

    日程・結果(日本時間)

    日本代表