目の前の暗闇で絶望しない コロナ禍の被爆者 サーロー節子さん

目の前の暗闇で絶望しない コロナ禍の被爆者 サーロー節子さん(2020年8月13日 科学文化部 籔内潤也記者、アメリカ総局 佐藤文隆記者、広島局 喜多祐介記者)

新型コロナウイルスの影響で、被爆75年の広島・長崎の式典も参列する人数を制限して行われるなど、異例の事態となった2020年夏。
長年、体験を証言し核廃絶を訴えてきた被爆者たちの活動も制限されています。

3年前、核兵器を法的に禁止する条約の採択に貢献し、ノーベル平和賞の授賞式で演説した被爆者、サーロー節子さんは5か月近くにわたり、自宅から出られない状態が続いていました。

そんなコロナ禍でも88歳のサーローさんが自宅から訴え続けたこととは。

5か月近く自宅から出られないまま

サーローさん
「コロナで外に出られなくなって、少しはゆっくりになるかな、と思ったら、いろんなところからズームでのインタビューがあって、家の中でもバタバタしています。でも、外に出られないのは気詰まりでした」

カナダ在住のサーロー節子さん、電話から聞こえてきたのは、張りのある声でした。

サーローさんが住むカナダの最大都市、トロントは、新型コロナウイルスで3万人以上が亡くなったアメリカ・ニューヨーク州と隣り合ったオンタリオ州にあります。

サーローさんは、2月にパリで核兵器廃絶を訴える集会に出席したあと、トロントがロックダウンとなったこともあって、5か月近く、自宅から一歩も出られなかったと言います。

パソコンが得意ではないサーローさんですが、家族の助けを借りて、オンラインで各国の平和運動に加わり、欧米などのメディアからの取材に応じていました。

証言が各国を動かす

サーロー節子さんは、1945年8月6日、13歳だったとき、広島で被爆。原爆がさく裂したとき、爆心地から1.8キロの場所で、倒壊した建物の下敷きになりました。

「あきらめるな、押し続けろ、光の方にはっていくんだ」

目の前の暗闇の中から聞こえてきたことば、差し込んできた光を信じ、命からがら逃げ出して、生き延びました。親族8人が亡くなりました。

10代の頃のサーローさん

広島の大学を卒業したあと、1954年に留学のため、アメリカに渡り、その後、世界各国で被爆体験を語り、核兵器廃絶を訴えてきました。実体験に基づく証言は、多くの外交関係者などの心を動かしました。

3年前に国連本部で核兵器禁止条約が採択された時には、他の被爆者とともに、その原動力になったとされています。

そして、共に活動してきたICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンがノーベル平和賞を受賞した際には、授賞式で演説。世界に向けて自身の被爆体験や核兵器の非人道性を語り、核廃絶を訴えました。

2017年 ノーベル平和賞授賞式での演説

自宅から各国指導者に手紙

本来ならことしは、世界の核軍縮の枠組みを決めているNPT=核拡散防止条約について話し合う、5年に1度の重要な会議が開かれるはずでしたが、新型コロナウイルスの影響で延期になりました。

いま、核軍縮、核廃絶の議論は後景に退いているように見えます。サーローさんは、世界の状況をどう見ていたのか。

サーローさん
「新型コロナウイルスで、全世界的な、怖い状態になってきていますよね。やはり人間社会の無力さというか、将来とか、自分の命とか、家族の幸せとか、大切な問題をもっと身近に感じるようなときがいま来ているのではないかと思うんですよ。
コロナだけじゃなくて、もっともっと怖い現実があるんだと。うっかりしておれないと。ちょっと勉強してみようと。そういう気分にもなっているような気がしますね」

コロナ禍にある世界で、特に若い世代が自分たちの生存に関わる問題に関心を深めていると感じ、活動を強めていました。

その1つが、核兵器禁止条約への早期発効を呼びかける活動です。世界197の国と地域の首脳に宛て、被爆者としての思いを記した手紙を送りました。

サーローさんが各国首脳に送った書簡

核兵器禁止条約は採択されましたが、実際に効力を持つには50か国が署名し、それぞれの国内の手続きを終える批准が必要です。

アメリカやロシアなどの核保有国は反対、それに、日本やカナダ、ドイツなど、アメリカの核の傘の下にある国も否定的な立場を取っています。

条約の採択には122の国と地域が賛成しましたが、核保有国から圧力をかけられているとも伝えられていて、まだ、発効には至っていないのです。

手紙の中で、サーローさんは、核保有国、核の傘の下にある国、核兵器禁止条約に積極的な国、それぞれの立場に応じた文面を書き、強く署名や批准を呼びかけました。

返答も次々に届いているということです。デンマークやハンガリーなど、アメリカと立場を同じくするNATO=北大西洋条約機構の国々からは「別の考えもある」と賛同しない旨が記されていたということですが、ナイジェリアの外交官からは「手紙を書いてくれて感動した。批准の作業を早めるよう大統領に伝える」という答えが届いたということです。

祖国・日本と、長年暮らすカナダへ

特に力を入れたのは、自身の祖国・日本と半世紀以上にわたって暮らすカナダの政治家への働きかけでした。いずれもアメリカとの関係から、核兵器禁止条約には否定的な立場を取っています。

唯一の被爆国、日本がどうして核兵器をなくそうという条約に参加しないのか疑問を投げかけ、被爆国としてのリーダーシップを発揮するよう訴えました。

そして、亡き夫の祖国で、50年以上暮らすカナダ。広島に投下された原爆の計画にも加わり、道義的な責任もあると訴えました。

コロナ禍で新たな証言の形

さらに、新たな活動として行っていたのが、オンラインでの被爆証言です。核兵器禁止条約が採択されて3年となる7月7日、ICANと日本のNGO「ピースボート」が共催したオンラインでの証言会には、欧米やアジア、中東など、世界各地から200人以上が参加しました。

オンラインでの証言会

この中でサーローさんは、自身の被爆体験を語るとともに、新型コロナウイルスで世界で多くの人が苦しむ中で「どうして兵器の近代化に何兆ドルもつぎ込むのか。資金は人の暮らしを豊かにするために使うべきだ」と述べて、アメリカやロシアなど、核保有国を批判しました。

そして、核兵器禁止条約の早期発効と核廃絶を呼びかけました。

話を聞いた人からは「核兵器に関する認識に影響が出るような話だった」とか「いろいろな人に証言が届き、核兵器禁止条約発効への後押しになるように」などといった反応があったということです。

ふだんは聴衆の反応を見て訴えてきたサーローさんですが、オンラインだと体への負担が少なく、世界に訴えられる手段ができたと前向きにとらえていました。

サーローさん
「非常に身近に感じることができてよかったといってくださる人がずいぶん多かったです。体力を消耗しないで、いろいろな国の人たちと会話が持てるということはすばらしい新しい方法だと思うんですよ。新しい発見だと思って喜んでいます。
でもそれがすべてではなくて、やはり直接顔を合わせて、教会の地下室で、学校のクラスルームで、ディスカッションを続ける大切さも忘れてはいけないと思うんです。
でも、被爆者の数はだんだんと減少していますし、あまりぜいたくは言えないです。できるだけ技術的なものを活用して、生き残っているわれわれが、息ある、呼吸のできるかぎり、みんなで頑張ってと思っています」

カナダで初めて連邦議会の鐘が

オタワにある連邦議会議事堂

こうしたサーローさんたちの働きかけが、ことし、一部で実りました。

広島と長崎に原爆が投下されて75年となった8月6日と9日に、原爆の犠牲者の追悼と、平和の願いを込めて、首都オタワにある連邦議会議事堂の平和の鐘が75回鳴らされたのです。核の問題に無関心な人が多いとされるカナダでは初めてのことでした。

アメリカの若者に生じ始めた変化

核兵器をめぐる意識は徐々に変化してきています。ことし、NHK広島放送局は、日米の18歳から34歳の若者を対象に、平和や核兵器への意識をインターネットを通じて調査しました。

この中でアメリカの若者は1056人が回答。原爆についてもっと知りたいと思うかという質問に「とても知りたい」または「ある程度知りたい」と答えた人の割合は、アメリカでは日本より高く、合わせて80.5%に上りました。

また「世界に核兵器は必要と思うか」という問いに「必要ない」と答えた人は70.3%に。

さらに、原爆投下について「許されない」と答えた人は41.6%で、「必要な判断だった」と答えた31.3%を上回りました。

「原爆投下によって戦争が終わった」と正当化する声が強かったアメリカでも、若い世代では、核兵器への意識が変わってきていることを示唆する結果でした。

目の前の暗闇では絶望しない

サーローさんは、若い世代は核兵器の問題を、差別や経済格差といった身近な問題と地続きだと考えている、その変化は活動を通じても感じると話します。

サーローさん
「核の問題は『広島・長崎だけの問題じゃない。全世界的な問題なんだ、自分にも関係があることなんだ』と身近にとらえてくれていると集会を行うたびに感じています。
地球温暖化の問題や貧困の問題に対する活動も、本質的には『一人ひとりの命を大切にすること』『人間の尊厳』を中心にしていて、行動することで社会全体がよりよく安全になるという確信に基づいていますね」

トランプ政権ができて以降、米ロの間で結ばれていたINF=中距離核ミサイル全廃条約は破棄されました。

核弾頭の数などを制限した、核軍縮条約「新START」も延長されるか不透明になっており、核兵器に関して米ロを縛る条約がなくなる可能性が出てくるなど、核軍縮の枠組み自体が揺らいでいます。

その中でもサーローさんは。

サーローさん
「世界のコミュニティーのリーダーシップが非常に不安定で、国際政治がますます険悪になっている。でも大きな目で世界を見ると、歴史を見ると、若い人たちに希望が持てる時代がやってきたという感じを私は持っています。ICANでの活動でも感じましたし、たびたび感じるようになってきています。ですから目の前の暗闇で絶望することはしていません。若い人たちに対する希望や期待は非常に大きなものになっていることを、長年、生き延びてきた被爆者の1人として若い人たちに覚えていてほしいと思いますね」

人々の生存脅かす問題コロナ禍も核兵器も

核兵器禁止条約を批准した国は、8月に入って少し増え、44か国となりました。発効するのは50か国が批准した90日後で、早ければことし中に発効する可能性もあります。

新型コロナウイルスによる危機が続くいま、同じような問題として、世界の人々の生存を脅かす核兵器についても考えてほしい。88歳の被爆者、サーロー節子さんは訴えています。