特攻の基地 世代交代で薄れる記憶

特攻の基地 世代交代で薄れる記憶(2016年8月15日 鹿児島局 杉本志織記者)

「大叔父は、回天の搭乗員でした。平和な世の中なら違う人生を歩んでいたと思います。私たちは戦争を起こさせないようにしないといけない」

8月15日の終戦の日に、特攻隊員の基地があった鹿児島県では中学生や高校生たちが平和の尊さを訴えました。

今も遺族から寄せられる遺品

鹿児島県鹿屋市にある特攻隊の資料館では、当時の様子を伝える遺品が、今も遺族から寄せられています。

「身は特攻の華と散るも喜んでいきます」

特攻隊員として戦死した浅田正治さんの遺品です。

両親にあてた遺書や遺影を、浅田さんの兄が長年保管していたのを、浅田さんのめいの中野佳子さんがことし4月に寄贈しました。
浅田さんの兄が亡くなった後、仏壇の引き出しに置かれたままになっていたため寄贈を思い立ったといいます。

中野佳子さん:
「大切なもので、やっぱり私たちが持っているわけにはいかないし、私が亡くなったらどうしようもない。国のために一生懸命頑張ってきたおじさんですから、みんなに見ていただきたい」

特攻隊員の記憶は受け継ぐのは

特攻隊員の多くは若くして亡くなったため、子どもがいません。特攻の記憶を受け継ぐのは「きょうだい」から「おい」や「めい」へとなってきているのです。

鹿屋航空基地史料館の池田克彦館長は「時間の経過も感じる中、世代交代も進んでいるのかなと思います。風化しないように保存・展示を行っていきたいです」と話していました。