幻の本土決戦計画を今に伝える「八戸要塞」

幻の本土決戦計画
今に伝える「八戸要塞」(2018年8月9日 青森局 牧野大輝記者)

青森県八戸市では、旧日本軍が本土決戦も想定して地域住民を動員していたことを伝える建造物、「八戸要塞」を見ることができます。

実際に使われたわけでも、破壊の生々しい跡が残されているわけでもない要塞。その記憶を、語り継ごうとしている人がいます。

「本土決戦」を想定し
八戸に要塞を建設

八戸市是川地区の山に、ひっそりと残る建造物があります。「八戸要塞」の1つです。

「八戸要塞」は、旧日本軍が戦闘の拠点として造ったもので、本土決戦が想定されていたことを物語る、貴重な戦跡です。

所有するのは、この山の持ち主でもある差波紀一さん(74)。親から山を受け継いだため、要塞の管理も続けています。

差波さんの案内で、要塞に入ってみました。中はドーム型で、大人が立って歩けるほどの広さです。内側にはコンクリートが打ちつけられていました。

八戸市内に50以上あるこうした要塞の総称が「八戸要塞」です。

八戸市は、日本の太平洋側でも砂地が多いとされています。太平洋戦争では、アメリカ軍の上陸を許しやすいと考えられたため、この地に要塞が集中的に造られました。

差波紀一さん:
「一個中隊がここに常駐して、小学校などに泊まって要塞を造ったと聞いています」

人手が足りず、地域の女性や子どもが大勢駆り出されたとも、差波さんは親から聞かされていました。

荒らされることも

差波さんは、3つの要塞を管理しています。昭和19年の生まれで、戦争の記憶はありませんが、「八戸要塞」のことを伝える使命を負っていると感じています。

差波紀一さん:
「いまは、当時のことを知らない世代ばかりになっていますよね。いろいろ親から伝え聞いたことを、後世に伝えていきたいと思っています」

差波さんは十数年前から、解説の看板を立てて、誰でも自由に要塞を見学できるようにしていました。しかし、心ない人に荒らされることもしばしばでした。

取材で中を案内してもらった時も、誰かがたき火をしたため床が黒く汚れてしまっているところがありました。空き缶が捨てられていたことや、子猫が箱に入ったまま置き去りにされていたこともあったそうです。

身近に戦争があった

貴重な戦跡「八戸要塞」を、当時のまま残さなければならない。そう考えた差波さんは、3年前、自由に立ち入らせることをやめ、みずからガイドとなって案内することにしました。

わかりやすく説明できるよう、当時を知る地域の人への聞き取りを重ねて、情報を集めました。

ガイドの時の差波さんは、「八戸要塞」がどんな役割を果たそうとしていたのかを、その構造とともに1つ1つ解説します。

「建造当時は、学徒動員の人がセメントを運んだり、川から砂利や砂を運び上げたりしていた」など、聞き取りで得たことも、丁寧に語りかけます。

見学者の感想:
「これこそ、平和を維持するための生きた教材であり史料だ」「使われなくて本当によかった」「こうした戦跡を知ることで、本当の意味での平和のありがたさがわかります」

差波さんはこれまでに、地元の小学生から大人まで300人以上に「八戸要塞」のガイドをしました。「いつでも連絡をくれれば案内しますよ」と穏やかに話す一方、真剣な目で、こう決意も語ります。

差波紀一さん:
「体力の続く限り、はいつくばってでも山に登って、見たい、聞きたいという人、特に、これからを担う若い世代に広めていきたいです」

造られてまもなく戦争が終わったため、「八戸要塞」は、使われることは一度もありませんでした。しかしその姿は、地域のなかに戦争があったことを、私たちに静かに語り続けています。